元SKE48のメンバーで、タレントの松井珠理奈さんが1st写真集発売(2015年9月9日)からちょうど10年にあたる2025年9月9日に、2nd写真集『アイヲシル』を発売。

撮影/鈴木ゴータ

今回、撮影の舞台となったのは、松井さんの地元・東海地方。地元を愛し、今もなお拠点として活動する松井さんならではの、飾らない自然体の魅力が詰まっています。
また、大人の魅力が詰まったランジェリーカットにも初挑戦。10年という時を経て、魅力を増した松井さんの“今”を見ることができる一冊になっています。

めざましmediaは、写真集の発売を控えた松井さんにインタビュー。
11歳でアイドルになり、走り抜けた13年間を振り返ってもらうと、「家にいる自分と仕事をしている自分。どっちが本当の自分か分からなかった」と告白。社会現象にもなった「選抜総選挙」で感じたプレッシャーなどを赤裸々に明かしてくれました。
さらに、加入していきなりAKB48のシングルでセンターを前田敦子さんとともに務めた松井さん。「いきなりアンチがいっぱいでした」と、当時の心境も語ってくれました。

アイドル人生13年を振り返る「どっちが本当の自分か分からなくなった」

2008年にSKE48の1期生として加入し、2018年の選抜総選挙では1位を獲得。“絶対的エース”として、グループをけん引する一人として、第一線を走り続けてきました。
2021年の卒業後は、タレント・アーティストとして活動の幅を広げ、テレビ出演やイベント出演、SNSを通じて地元東海地方から全国、世界へ向けての活動を始めています。

――改めて、アイドルとして駆け抜けた日々をどう振り返りますか?

こんなに長く続けると思っていませんでした。グループとして叶えたかった夢は、本当に全部叶った気がしています。1人では何もできなかったと思うので、それは全部たくさんの方が支えてくれたおかげです。

振り返ってみて、こんなに大きな社会現象になっていたと思うと、本当にすごいことだなと思いますし、自分たちではない気がしますね。いま個人で活動していますが、そういう過去の大きな舞台で歌わせていただいたことが、本当にありがたいことで凄いことだったんだと、1個ずつ噛み締めながら歩むことができています。

でも、卒業したら燃え尽きたといいますか、これ以上好きになれること、やりたいことが見つかるかなと思ったくらい、アイドルが本当に大好きだったなと思います。人生の中で熱くなれたり、夢中になれることができたことは、とても幸せなことでした。

――アイドル人生“13年”は長かったですか、短かったと思いますか?

小学6年生から学生生活のほぼ全部仕事をしていて、「いつの間にか20歳過ぎてる!」とは思いましたが、人生の半分以上やっていたので、長かったですね。

本当に濃い時間で、家にいる自分と仕事をしている自分、どっちが本当の自分なのか分からなかったです。仕事をしている自分の方が自分の気もするし、こっちも自分だしな…みたいな。もう分からなくて、長く感じた部分もあるかもしれないです。

――24歳でグループを卒業されましたが、卒業のきっかけを教えてください。

私、卒業したの24歳でした!?あまり年齢を気にしていなかったですね。
やり切ったと思いましたし、次の後輩たちにいっぱい活躍してほしいという気持ちが大きかったかもしれないです。

後輩の活躍を見て、自分がいなくなっても大丈夫という安心感みたいなものをすごく感じました。自分もグループとして叶えたい夢が全て叶ったので、もう少し違う個人的な夢やこれまで出来なかったことをやりたいという気持ちになりました。

いきなりAKB48のシングルでセンター抜てき「アンチがいっぱいでした」

――そもそも、なぜアイドルになろうと思ったのか、聞かせてください。

元々、歌って踊ることがすごく好きでした。
昔、水泳を習っていましたが、そこの先生が厳しかったのと、あまり私にセンスがなく辞めたいと思って。そのスクールにダンススクールもあったので、変えてダンスを習い始めたことが好きになったきっかけです。

当時、モーニング娘。さんがすごく流行っていて、ミニモニ。が大好きだったんです。
歌って踊る仕事がしたいと思い、そのことを親に話したら、まだ小学生だったので、東京でそういうことは心配だということで夢を一度諦めました。

そうしたら、地元・愛知にSKE48というグループが出来ると知り、「これならいいよ」と親からもOKをもらって、オーディションを受けましたね。

グループ加入と同年の10月、「11歳228日」と当時最年少で、AKB48のシングル『大声ダイヤモンド』で前田敦子さんと共にダブルセンターに抜てきされた松井さん。
単独ジャケット写真を飾り、衝撃的なデビューを果たしました。

――当時の気持ちを振り返るとどうでしたか?

当時は、事の重大さが分かっていなかったです。
後から聞いた話ですが、元々『大声ダイヤモンド』はジャケット写真やレコーディングが撮り終わっていて、振付も全部終わっていたらしくて。でも、私が来たことで、みんな変わったそうです。そういう中だったので、私も「やるしかない」と、もう必死にお姉さんたちについていかなきゃという感じでした。

みんな本当に優しくて、自分は一人っ子なので、お姉ちゃんができた感じで、毎日ハッピーだったんです。でも、元々私のポジションだった方のファンの方は、やっぱり私が邪魔じゃないですか。「なぜそこのポジションなの?」「姉妹グループのSKEで、AKBじゃないじゃん」と思う方も結構いたので、いきなりアンチがいっぱいでしたね。自分だけ握手してもらえないとか、そういうこともありましたが、負けず嫌いだったので、そういう方にも、いつかは自分のことを好きになって欲しいと「応援してください」って声をかけたり。でも、楽屋に帰ってきてから、メンバーがいないところで泣くとか、そういう経験をいきなりしました。

その後、同じように抜てきされるメンバーが増えてきて、私と同じように悩んで、壁にぶつかっている姿を見て、寄り添ってあげることができたので、自分がしたつらい経験が生きて良かったなとすごい思ったんですよ。つらい経験は無駄にならないなと思いました。

最年少でダブルセンターに抜てきされ衝撃的なデビューを飾るも、さまざまな苦悩と戦っていたアイドル時代。
そして、もうひとつ戦っていたというのが、社会現象にもなった「選抜総選挙」。
松井さんは2018年に念願の1位を獲得しましたが、プレッシャーのあまり「最後3日間くらいはほぼ寝ずに生配信していた」と当時を振り返りました。