株式会社TOKIOの活動がスタートし、ますます幅広い活躍を見せているTOKIOの3人。カメラがその素顔を密着していると、時々本音がこぼれることが。今夜10日(金)放送のフジテレビ『連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME』は、今年デビュー27周年を迎えたTOKIOが新たに立ち上げた「株式会社TOKIO」特集の第3話だ。

6月下旬、TOKIOの3人は福島県にいた。レギュラー番組での企画をきっかけに、20年以上通い続けたつながりの深い場所だ。この日は、県産品の魅力を発信するキャンペーン「ふくしまプライド。」のCM撮影が行われていた。さらに、福島県庁内にある「TOKIO課」に、木製の看板が設置された。この看板は33人が自ら木を伐採、彫刻刀で掘り上げ、ニスを塗って完成させたものだ。国分太一は「本当に何でも作ってるね」と笑顔を見せた。

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松岡昌宏は、主演舞台『東京ゴッドファーザーズ』に挑んでいた。13歳の時、自ら履歴書を送り事務所に入所した松岡。そして17歳でTOKIOとしてデビューを果たす。当時を振り返り、「TOKIOの松岡っていうのを覚えてもらうためにいろいろしましたね。何をしたかっていうと、ジャニーズ事務所なのにサングラスをして髪ぶっ立ててっていう。なんだあいつは、っていう風に思われる。でも、なんだあいつは、ってなれば覚えられますよね。覚えられたら僕の勝ちなんですよ」と語った。さらに「舞台は、有名になるまではやらないって(決めていた)。僕だって分からないのに見に来ていただいても嫌なんです」と、自らルールを課していたことを明かした。

国分太一、30年来の友人・井ノ原快彦と下積み時代の話を

タレント活動と並行して、株式会社としての仕事も日に日に増していた。この日、国分が訪れたのは、あるIT企業が主催するイベント。国分には株式会社を始動させた時から、常に持ち歩いているものがあった。それは自らデザインした、会社のステッカー。ベース型の真ん中に大きくTOKIO、その上には会社のモットーである「Do it ourselves(みんなでつくろう)」の文字が書かれている。仕事相手に株式会社TOKIOの名を覚えてもらうためにと、この日もスタッフひとりひとりにステッカーを手渡していた。

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会社始動から7ヵ月、国分には久しぶりに会いたい人がいた。それはデビュー前から30年来の親友、井ノ原快彦。国分が、会社を作るというアイデアを最初に相談したひとりだという。まさにその場所で、2人は懐かしい下積み時代の話に花を咲かせる。そして井ノ原の「(会社の設立に)メンバーはなんて言っていたの?」という問いに、国分は「こんなタイミング、チャンスはないということで、改めてもう1回スタートラインに立って、この年齢でも必死に汗かいている姿を見せることで、何か僕らにもプラスになるものがあるんじゃないのかな、って言ったら、“面白いかもね”みたいな感じで、すぐ理解してもらえた」と明かした。さらに、TOKIO3人で話し合う中で「すごい反省した部分もある」と、親友の井ノ原を前にしたからこその、本音も語られる。

TOKIO3人で話し合いを…「すごい反省した部分もある」

新しいグループの形を模索し、走り続ける株式会社TOKIO。会社のモットーである、自ら汗をかいて手を動かすモノづくりへの思い、そしてその原点に迫る。

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