東京に暮らす東京人が語る、自分だけの東京ストーリー。第6回は、パントマイム・アーティストとして、世界35ヵ国以上で公演を行ってきたが~まるちょばが登場。今夏、東京2020オリンピックの開会式で披露した“ピクトグラム”も大きな話題となり、来年1月には「が~まるちょば LIVE 2022 STORIES “ PLEASE PLEASE MIME ”」の開幕も控えるが~まるちょばに、東京にまつわるエピソードを聞いた。
<が~まるちょばの、東京物語。>
20代前半のころ、本格的にパントマイムをやっていこうと決めて、(埼玉県の)実家から上京しました。そこで初めて住んだのが、府中市でした。そこから何年住んだか…そういうのを記憶するのが苦手なんですけど(笑)、10年以上はいたと思う。
最初は府中刑務所のすぐ横で、そこから4丁目、3丁目、4丁目、2丁目といった感じで、3回くらい引っ越しました。府中を選んだのは、もともと師匠が住んでいて稽古場もあったから。
府中は、東京競馬場があったり大きな企業があったりして、財政的に裕福だし、都心からもほどよい距離で緑も多くて住みやすい。でも、僕は、出不精だし、こんな顔をして酒も飲まないので、あちこち出かけていくことはなくて。食べに行くといっても、寿司、そば、ラーメン、カレーとファミレスくらい。ラーメン屋さんをテーマにしたパントマイム作品を作ったこともありますけど、モデルにしたお店はもう潰れちゃいましたね。
ジョギングで外には出ても、人に会うのもあまり好きじゃないんで、走るのも深夜が多い。最後に住んだのは(府中の森)芸術劇場のそばだったので、その周りや隣接する府中の森公園とか、調子が良ければ競馬場のほうまで、人がいない時間に走っていました。
それで、あれは2月のものすごく寒い夜、いつものように深夜2時ごろに走っていたら、芸術劇場と(航空)自衛隊(府中)基地の間の路地の、電灯の下に段ボールがあるのを見つけたんです。嫌な予感がしたけど、一旦通り過ぎて、でも、本当に水も凍るような寒さだったから気になって戻ったら…猫がいるだろうという予想に反して、中からシーズー犬が出てきました。
仕方がないので家に連れ帰って、ブルブル震えているその子にミルクをあげたり世話をしたりして。命の恩人なのに、噛みつかれそうになりながら(笑)、2、3日家に置いて、その後、実家の飼い犬となって10年以上生きたという…そんな出会いもありましたね。
あとは、今でも通う美容院も府中にあって、同じ美容師さんにモヒカンにしてもらっています。最初にモヒカンにしたのは、30代前半だったと思います。パントマイムはしゃべらない芸なので、ストリートでやっているとお客さんの足を止めるのが難しいんです。だから、少しでも目立ちたいというのと、あとは、バイトも辞めて、パントマイム一本でやっていく…ここから後戻りできない、という決意表明みたいな思いもあったかな。
まあ、もともとパンクファッションが好きで、憧れていたというのはあったにせよ、そこからちょうど20年くらい経つので、その思いは貫徹できている、と言えるかもしれないですね。
その後、府中を出て品川や新宿近辺にも住みましたけど、最初に東京に出てきて長く住んだ府中は、下積みを経験した街、という思いがあります。引っ越したあと、最初に府中の森芸術劇場で公演ができたときには(2013年)ちょっと感慨深いものもありましたが、府中に住んでいるときに出られたら、近いしラクだったのにな、なんてことも思いました(笑)。
稽古場が近かったので、何度か「くらやみ祭り」に行ったことがある大國魂神社や、僕が引っ越したあとにできた府中市美術館もよさそうだし、その周辺の桜通りやいちょう並木通りもきれいですし、文化と芸術の雰囲気があるいい街です。
<が~まるちょばの東京、気になるスポット>
◆CAPIC(キャピック/刑務作業常設展示場)
住所:府中市晴見町4丁目10番地
府中刑務所の受刑者の方が、刑務作業の中作った製品が展示・販売されているショップです。最初に住んだ府中の家が刑務所の横だったので、何度か訪れて箪笥(たんす)を買ったことがあります。細々した日用品から大型の家具まで、しっかりした作りのものが結構リーズナブルな値段で買えたので、珍しく思った記憶がありますね。
GAMARJOBAT
20代よりパントマイムを天職と志す。ソロで活動ののち、1999年にが~まるちょばを結成。パントマイムの固定概念を超えた演劇作品とショーで、世界35ヵ国以上で公演を行い称賛を受ける。2019年にはデュオ活動に終止符を打ち、ソロとしてが~まるちょばを継続。ロック、バイク、革ジャンをこよなく愛する。最新スケジュールなど、詳しくは、公式サイトまで。
撮影(東京風景):YURIE PEPE