シリアスからコメディまで幅広い演技力で知られる貫地谷しほり。彼女がそのコメディエンヌぶりを発揮しているのが、放送中の土ドラ『顔だけ先生』(東海テレビ・フジテレビ系)。

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ルックスは抜群だが、教師らしいことはいっさいしないため、“顔だけ先生”と揶揄される私立菊玲学園高等学校の非常勤講師・遠藤一誠(神尾楓珠)が、悩める生徒たちの問題を奇想天外な方法で解決していく学園ドラマだ。

貫地谷が演じているのは、生物教師で学年主任の亀高千里。亀高は、真面目で責任感が強く、仕事も生徒の問題も抱え込みすぎている。その上、TPOをわきまえず、とんでもない発言や行動によって問題の種をまき散らす遠藤に振り回され、爆発寸前という役どころ。

教師という仕事の重責、職場のストレス、将来への不安や焦り…現代女性のリアルな姿を笑いに換えて演じる貫地谷に、神尾との共演エピソードや作品の魅力、仕事への向き合い方ことなどを聞いた。

<貫地谷しほり インタビュー>

何度も出てくる同じセリフは、“脚本家からの手紙”

――貫地谷さん演じる亀高先生は、遠藤先生(神尾)に毎回振り回されているという役どころ。コメディエンヌぶりが好評ですが、演じていていかがですか?

だいぶ振り回されていますね。でも、振り回される役だと思っていたら、意外と自分で自分を振り回している部分もあって(笑)。最近は真面目な役柄が多かったので、久しぶりにコミカルな役柄で、楽しくやらせていただいています。

自分としては、コメディエンヌという意識はないですけど、そう言っていただけるのはすごく光栄なことだと思っています。

――リアクションで工夫していることはありますか?

連続ドラマは、1話から3話までバラバラに撮ったりするので、同じセリフが出てくることがあるんです。亀高が遠藤先生に、「今度は、何?」というセリフがあるのですが、これは何番目の「今度は、何?」なのって(笑)。

同じセリフがあるということは、同じ言い方ではダメだという脚本家さんからの手紙だと思いながら、その都度、変えたりしています。

他には、神尾くんが現場にあるもので急にいろんなことをやり始めるので、何をやっているのかを見逃さないようにしています。

“台本はルール”。アドリブはルールの中でどう遊べるかということ

――神尾さんは、アドリブが多いのですか?

アドリブというか、役者はセリフはありますが、基本的に動きはフリーなんです。ト書きで指定があればそうしなければなりませんが、動きの部分で何気なく何かを触るとか、そういう予期せぬおもしろいことを神尾くんはするんです。

神尾くんに限らず、八嶋智人さんはじめ職員室にはおもしろい方がたくさんいらっしゃるので、もう大変です(笑)。芸達者な方ばかりですから、すごく自由にやっています。

――アドリブは、これをやるとおもしろいと思ってやるのですか?それとも、思わず出てしまうものですか?

人それぞれあると思いますが、私は“台本はルール”だと思っているので、ルールは崩しません。アドリブは、ルールの中でどう遊べるかということ。だから、基本的にはあまりしません。

ただ、監督が、台本にない、ルールを壊す瞬間を求めている時は(笑)、現場で提案しながらやったり、勝手にやってみたことがOKになったりすることはあります。

――“台本はルール”というのは、いつ頃思ったのですか?

幼稚園の時に、人形劇をやったことがあったのですが、その時、お話を勝手に作って演じていくのがすごく楽しくて、いつまで経っても終わらなくなってしまったんです。

そうしたら、一緒にやっていた子に、「しーちゃん(貫地谷のあだ名)とやってると終わらないじゃん!」と言われて。それが強烈に残っていたんです。

お芝居を始めてからそんなに意識していなかったのですが、その時の記憶が頭の隅に引っかかっているのかもしれないですね。ルールを無視すると、だれかが被害をこうむるって(笑)。

初めて神尾楓珠と対面した際、「キレイだね」という言葉が自然と出てきた

――『顔だけ先生』というタイトルはインパクトがありますが、このドラマの話を聞いた時はどう思いましたか?

いったい誰がやるのだろうと気になっていました。神尾くんと聞いて、メディアを通してキレイな方だと思っていましたけど、実際に初めてお会いした時に、本当に「キレイだね」という言葉が出てきました。まさにピッタリだなって。

だいたい年下の人たちを見ると、男性でも女性でも「かわいいな」と思うことの方が多いのですが、神尾くんはキラキラしていて、キレイだなと思いました。

――亀高先生の人物像を、どのようにとらえていますか?

初めは絵に描いたような真面目な先生だったのですが、演じていくうちにそうでもなくなってきて(笑)。でも、遠藤先生とは対照的に、常識の概念は持っている人ですね。

ただ、それが本当にそうなのかということを、遠藤先生の自由な行動によって気づいていくんです。対局にいるはずが、実は内に持っているものは同じ。それは、収録をしていく中で気づいたことです。

生徒にとって何が一番いいのか。まず常識を疑うことが大事で、本当の価値観はどこにあるのだろうかということを、毎話遠藤先生に教えられています。

何がキレイではなく、キレイなものをキレイだと思えることが大切

――学園ドラマでありながら、大人も考えさせられる内容のドラマです。貫地谷さんは、どう感じていますか?

神尾くんが、「遠藤は解決しようと思って言っているわけではないけれど、不思議と解決してしまうのが、このドラマの不思議でおもしろいところ」と言っていて。それは響きましたね。

また、学園祭で「男前コンテスト」が中止になった時に、「見た目で判断しない社会なんてあり得ない」(第2話)という生徒のセリフがありますが、「そうだよな~」って。

大事なのは、何がキレイだという(基準の)話ではなく、キレイなものをキレイだと(本質的に)感じられることが大切なんだと思いました。

――これまで「常識」とされていたことに一石を投じるようなセリフがある台本ですが、貫地谷さんの価値観に訴えるようなものはありましたか?

俳優という仕事は、常識とは何だろうと常に考える一面があると思っています。だから、私としては遠藤先生の言っていることの方が、実はしっくりきました。

かつて、あるテレビ番組で、マツコ・デラックスさんが「常識というのは、人に合わせないといけない場面で、相手やその場に合わせること」とおっしゃっていたのを聞いて、「なるほど!」と思ったんです。

集団生活で、みんなが気持ちよくいるためには必要な部分ではあると思うのですが、ルールとして最低限人を傷つけなければ、何をしてもいいんじゃないかと、私自身は思っています。

台本を読んで自分の価値観が揺れることはそれほどなかったですが、男前コンテストのところで、「自分たちは見た目で判断されない社会なんて作れないのに、子どもにはそれを押しつけてくる」という生徒のセリフには、「そうだよな~」と思いながら反省しました(笑)。

悩める亀高先生に同年代の女性として共感

――仕事場でも、プライベートでも悩みや葛藤を抱える亀高先生に、同世代として共感する部分はありますか?

かつて、同時にいくつもの仕事をしている友達に、「すごいね、そんなに仕事して」と伝えたら、「いやいや、貫地谷さんだって1つのことをずっとやっているじゃない。1つのことをやり続けるって、すごいことだよ」と言われたことがあって。

私もこれでいいのかと毎日思いますし、亀高先生も毎日そういうことを思いながら教師を続けていると思うんですけど、やっぱり、向き合うことしかないのかなって。

今は、副業時代といわれるほど、いくつもの仕事をされている方が増えているようですが、その価値観もわかるけど、1つのことを続けるのも悪くないのではないかと思うんです。

もっと言えば、1つ2つとかいうことではなくて、自分が「これをやりたい!」と思ったものに没頭できることが大事だと思うので、何か夢中になれるものを見つけられたら、それが一番なのではないかなと思います。

――亀高先生は、今後どう変化していくと思いますか?

亀高自身、大切なものは何かということを根本ではなんとなく理解しているけれど、「こうあらねばならない」という考えにがんじがらめになって、見えにくくなっている部分があると思います。

本当にそれが正しいかどうかではなく、そうやって生きてきてしまった部分がある中で、遠藤先生との出会いで“ほぐされて”いき、自分が気づかなかった“落とし物”を見つけていくのではないでしょうか。そんなところも、楽しみに見てください。

撮影:島田香