三者三様の“偉そう”が見事に表現されマリアージュしている
うん、で、まず何が珍妙かって(珍妙とはポジ要素はもちろんのこと、ネガ要素=妙ですら、愛せてしまうことを指します)、妙に偉そうなシェフ・翔太(神山智洋)と、こっちも妙に偉そうな僧侶・輝元(中村海人)という、バディドラマ史上初なんじゃないか?って思えるほど、二人とも妙に“偉そう”なキャラ、という造形の妙。
バディってのは、つまりは凸凹コンビ、なわけだから、どっちも“偉そう”だと凸凹にはならないし、“偉そう”がぶつかり合うと、それはそれでそもそもバディにはなりえないんだから、W“偉そう”キャラってのはあまりにリスキーなわけです。
だけど翔太の“偉そう”は、“何か”を秘めているからこその虚勢である、ってのはそれはそうなんだけど、“偉そう”ではあるんだけど、そこに「偉そうにしてんじゃねーよ!」っと気軽にツッコめる余地が残っている…。
対して輝元は、ごく自然で天然な、生まれながらにしての、ナチュラルボーン“偉そう”(意味わからん)でありつつ、ツッコミが的確という、ツッコミを入れやすそうな翔太に呼応するようなコントラスト。
漫才師に例えるなら、ボケ担当は道化でなければならないはずなのに“偉そう”キャラで、そんな“偉そう”に対して、ツッコミまで“偉そう”…ではあるんだけど、そのコンビは、不思議と、成立している!!!革命!!という、新感覚。
なんなら、中盤に登場したキーマン・陽美(剛力彩芽)も偉そうなもんだから、主要人物3人、全員、もれなく“偉そう”だけど、三者三様の“偉そう”が見事に表現されマリアージュしている。そう、それはまさに、ラ・ボンノォ!(うまい!…うまくはない)
で、で、そもそもなぜミッドナイトなのか?そしてなぜ屋台なのか?でもってなぜに、根本に、寺が舞台なのか?その理由は…物語の中に描かれてはいて、それによって納得できるものがちゃんと用意されてはいる…んだけど、そのなぜ?を、物語を深く理解せずとも、その「?」になんの疑問も抱かせず、すんなりと勢いまでつけて、むしろ「しゃらくせー」と言わんばかりに、全力突破させてくれるのが、そんな珍妙キャラのおかげ!っという、うん、そう!ホントに、マジで、 ラ・ボンノォ!!!(言いたいだけ)
だもんで、終盤、あんなに偉そうで、プライド高くて、シェフという呼称に固執しすぎてて、そうは簡単にオレの料理…作らせないぜ☆風情な翔太が、最初のお客さんに対して、ちゃんと、レシピ通りに、1グラム単位で計量して料理する姿…に、なぜか、なぜだか、涙…いや、号泣してしまう!んだよね…(溶き卵ですらグラムちゃんと測ってたよね?そんな翔太に、おじさん、おじさん、もう涙こらえられなかったよ!これは、これは春だからなの?この涙は、春だからなの?更年期だから、ではないよね?(誰に!?)

一番珍妙だったのは、あのカステラ業者よな!!!
うん、だけどもだけども、第1話で、最も、最大に、一番に、珍妙だったのは、冒頭お葬式の御礼品のカステラを入れ忘れた、あのカステラ業者よな!!!
なぜ、空箱を堂々と送りつける?しかも、あんなに大量に。むしろ、作ってあった方のカステラの数々はどこいった??あのカステラ業者、一体全体どうなってんだよ…だけどだけど、それをなぜか、なぜだか自分はただ配送しただけなのに、それに何ら疑問も抱かず、全責任を負う翔太と、「こんなことになったのは、全部あんたのせい」だった輝元の、その二人の、造形美=説得力な。なんでやねん!を、翔太と輝元のキャラクターの妙によってすべて軽々突破してしまう!!!
もうこのドラマ、何が起きても、箸が転んだだけでも、許してしまうゾーンに入ってる。まだ第1話終わったばっかなのに!うん!そう!そうだよ!ラ・ボンノォォォオオーーーーーーォオオォォオオオ(いい加減にしろ)!!!