石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。
9月22日(火)の放送は、ゲストに俳優の佐藤二朗が登場。俳優を志した理由や、あこがれの俳優、芝居の秘密などを語った。
初対面で「石橋貴明って実在するんだ」と実感する佐藤
意外にも初対面という2人。佐藤は「石橋貴明って実在するんだ」と率直な気持ちを明かし、石橋を笑わせる。
佐藤:(石橋は)ほぼ、ネッシー。僕、前に『平清盛』っていう大河ドラマ…これ、思いつくまま話していいんですよね?この番組。
石橋:はいはい。
佐藤:『平清盛』やった時に、松田聖子さんが出られていて。阿部サダヲさんが僕の隣にいて。阿部さんがずっと僕の耳元で「松田聖子って本当にいるんだね」って何度も言うんです。僕も本当に同感だったんですけど、(今の気持ちも)それです!「いるんだ!」と。
石橋:いやいや。でも、聖子ちゃんは確かにそれあります、僕も。
と、石橋と佐藤は、デビュー当時の松田聖子の思い出話で盛り上がった。
「松田優作になりたい」今でもその可能性はあきらめていない
石橋は「誰にあこがれて役者さんに?」と佐藤に問いかける。
佐藤:一番スッと思いつくのは、僕の年代とか、あるいは上の方とか、気持ちを持っていかれていると思うんですけど、松田優作さんですかねぇ。
石橋:あぁ~!優作さんですか。
佐藤:僕が大学1年か2年の時に、亡くなったわけですけど。その時、役者になりたいとは思っていたけど、なれるかどうかもわからない中で、松田優作さんが亡くなったのは結構ショックでしたね。
石橋:やっぱり、将来自分が役者になって、一度は一緒に仕事したかったという?
佐藤:うん。僕、昔ね、自転車キンクリートの鈴木裕美さんという、今は舞台で日本を代表する演出家がいて。僕が20代の頃にいろいろ鍛えてくれた人なんですけど。その人と飲んでるときに「『この映画のこのシーンをやりたい』でもいいから、なりたい人、やりたい人の名前を教えて」って。
僕はね「松田優作」って言ったんです。鈴木裕美さんに「それはお前、自分のルックス考えないと」と言われたんですけど、今でもその可能性をあきらめていないんですよね。
石橋:ほう。
佐藤:僕は、ルックスも全然違う。だけどね、いまだに松田優作さんみたいな、「野獣死すべし」みたいな芝居がしたいなって思うんです。
石橋:ハードボイルドな。
佐藤:ハードボイルド!あっはっは。自分で言っちゃうとちょっとあれですね、恥ずかしいですね。
意外にも!?「いずれはハードボイルドを撮りたい」
佐藤は映画監督もしており、監督2作目で売春宿を描いた、山田孝之主演の映画「はるヲうるひと」は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で公開が延期になっているという。
「ハードボイルド」と口にしたのは初めてと言う佐藤だが、「いずれはハードボイルドを撮りたい」と願望を語った。
石橋:え!何で?面白いやつ撮らないんですか?
佐藤:あはははは!それね、実際にプロデューサーがお金集めするときにね、いろんなところを回るんですよね。「山田孝之さん主演で佐藤二朗さんが監督で…」と話すと「お!いいね、それ」って前のめりになるんです。だけど、二言目には「残念。コメディなら金を出すのに」って。みんなに言われます(笑)。
石橋:(笑)。「違うんだ!違うものをみんなに見せたいんだ」と。
佐藤:まぁ、そうですね。僕はどっちかというと「負」を抱えた人間が、「負」になる要因の障壁が全部パーッと取っ払われて物語の最後には成長する、という話にはあんまり興味がなくて。相変らず昨日と同じように「負」は今日もそこにあるのに、それでも明日も生きようかと思える人の話がすごく好きで。
これは理屈じゃなくて、自分がどうにもグッとくるんですけど。「負」がそこにあるのに、全然状況は良くなっていないのに「明日もちょっと生きてみるか」と思うところに、ものすごくドラマを感じるんですね。なので僕が書くと、いつもそういう話になっちゃうんですけど。
もちろんコミカルも、すごくありがたいですし、食えるようになったのは、31(歳)ぐらいで。今は、みなさんにそういう(面白いという)イメージを持たれてることにはものすごく、言葉では言い表せないくらいありがたいと思っているんですけど、「やりたいことをやりたいので、やりたいことをやりたい」という感じです…ごめんなさい、小学生の感想文みたいになっちゃった(笑)。
福田雄一作品に対する思いを語る
意外な一面を語った佐藤に、石橋は最近見た作品での芝居について斬り込んでいく。
石橋:『今日から俺は!!』(2018年/日本テレビ)を見ていて、この人はどこまでセリフでどこまでアドリブでやっているんだろう?という。あれは監督が「好きにやっていい」って言ってくれているんですか?福田監督が。
佐藤:あの、福田雄一がですね、いつからだろう?『勇者ヨシヒコ』(シリーズ/テレビ東京)というドラマがありまして、その仏(ほとけ)役というのが割と(福田作品出演の)最初の時期だったんですけど(1作目は2011年放送)。普通、ドラマって段取りがあってテストが何回かあって本番なんですね。だけど、どういうわけか、仏のシーンだけ、段取りもないんです。
石橋:へへへへへ!
佐藤:つまり、「おはようございます」「ハイ本番!」なんです。ありえない!そんなこと。
石橋:もう、お任せなんですね(笑)。
佐藤:仏の長ゼリフがあるんです。仏がいろいろと説明するんです。「魔王」がどうのこうのって。その長ゼリフの終わりにト書きで「以上のセリフを、適宜噛(か)む」って書いてあるんですよ。「俺任せかよ!」と。
石橋:(笑)。
佐藤:ただ、みなさんが思っているほど自由ではなくて。福田と緻密な打ち合わせもしているんですけど。緻密と言ったら、本当の緻密に怒られるかもしれないけど「そこじゃなくて、ここ噛んだ方がいいんじゃない?」とか。
石橋:ふははは!
佐藤:大の大人がそんなことを話すわけですよ。
石橋:細かいんだ。
佐藤:意外と細かいんです。あと、本当は俳優って素で笑うのは厳禁中の厳禁というか、一番やっちゃいけないことなんだけど「福田組だけは、いいか」ってやってたら、いつの間にか…まぁ、福田がずいぶん売れやがって(笑)。
石橋:(笑)。
佐藤:俺も福田とやることが多くなって。そうすると、俺はずっとそういう芝居をやってる感じになっちゃって。まぁでも、要は面白くなればいいと、福田はそういう考えなので。俳優の楽しみの1つにあるのは、監督の色に染まるというか、その作品の色に染まるのが楽しみではあるので、福田作品のときだけは、いいかなと思って、やってますけどね。
「お前、いい加減にしろよ」と言いたくなる暗黒の20代とは?
現在の俳優・佐藤二朗のイメージの起源を知ったところで、俳優としての起源をさかのぼると…。
石橋:1回、サラリーマンをやってるんですね。
佐藤:そうなんです。“暗黒の20代”と呼んでるんですけども。
石橋:ちゃんと、すばらしい会社に入って。
佐藤:会社には問題ないんですけど、僕自身がどっちつかずの気持ちだったので、入社式の日に、辞めてしまいました。
石橋:何だったんですか?
佐藤:ちょっと短めに話しますと…。
石橋:1分で!
佐藤:(笑)。子供の時から、愛知県の片田舎にいて、田んぼばっかりの。自分は絶対に俳優になる「運命」だと、「夢」とかそういうことじゃなくて、卒業文集に描くようなことじゃなくて「なる」し「運命」だと。アホみたいに思っている強い思いと、全く矛盾するんだけども、同じ大きさで「いやいや、大東京に1人で行って、役者で食えるわけがない」っていう、真逆の思いを同じ強さで持った小・中・高・大学生だったんですよね。大学を卒業して、就職せずにバイトしながらどこかの劇団員になって夢を追う、という勇気もなかったんですよね。すべてが中途半端だったんですけど、それで普通に就職したわけです。
入社式を終え、配属先も決まったが「この人たちと10年20年一緒にやるんだ」と思うと、気付いたら実家に帰っていたという。
その行動を「人生の汚点」「今でも申し訳ないと思っている」と振り返るが、そこで、会社員の道をあきらめて、俳優へと向かうことを決意したのだった。
1年間アルバイトをしながらお金を貯め、松田優作がいた文学座の門を叩く。初めての公演では、松田優作も演じた役をもらったが、入門から1年後の査定で落とされた。また、他の養成所の査定にも1年で落ちた。そこで、「役者はダメだったんだ」とあきらめ、2回目の就職をした。
石橋:またそこで(就職へ)?
佐藤:そうなんですよ、20代のこと話すと「お前、いい加減にしろよ」って言いたくなると思いますよ。こっち(就職)にしたり、こっち(役者)行ったり。
石橋:ピンポン状態だったんだ!
佐藤:ピンポン状態!そこで諦めて、2度目の就職をするんです。小さい会社の営業で。そこでは一生懸命働きました。会社を1日で辞め、役者も2年で辞め、もう会社で頑張るしかないと。結構、営業の成績は良かったです。
石橋:それで何をきっかけにこっち側(役者)にピンポンしちゃうんですか。
佐藤:そうなんです、本当にね。申し訳ないとしか言いようがないんですけど、2年くらい会社で働いていた27歳か28歳のときに、やっぱり芝居がやりたくなるんです。
石橋:何で?
佐藤:何でかねぇ?本当に、今度こそ「役者になりたい」という火は消火できたと、ビャーッと水をかけたつもりだったんですけど。
石橋:種火が残っていたんですか。
佐藤:まだちょっとくすぶっていたんですね。
俳優へ再挑戦…そしてつかんだチャンス
養成所時代の仲間を集めて劇団「ちからわざ」(現在は演劇ユニット)をサラリーマンをやりながら旗揚げ。28歳くらいで前述の鈴木裕美に出会い、自転車キンクリートに所属。あるとき、その公演を堤幸彦監督が見に来た。
佐藤:それで、僕を気に入ってくれたんです。堤幸彦さんがそのときに撮っていた本木雅弘さん主演の『ブラック・ジャックⅡ』(2000年/TBS)という単発のドラマがありまして。そこで、板東英二さんにがんを告知する医者Aという役で使ってくれたんです。名前ないです。ワンシーンだけ。普通だったら、AとかBの役はあんまり撮ってくれない。その人がしゃべってるときも主役とかそういう人にカメラは行くんだけど、堤さんは割と撮ってくれて、しかも面白いシーンになったんですね。そうしたら、当然本木さんの事務所の社長が見るじゃないですか。で、本木さんも見て、そのワンシーンだけ出てる僕を「誰だこいつ?」となって、「うちに引き抜け」となってから、今の事務所です。それが31歳です。
石橋:ちゃんと「運命」だったんですね。役者として売れて、才能を開花できるという。
佐藤は「石橋さんにそんなこと言われたら。ちょっと泣きそうだなぁ」と感慨深げだった。
佐藤の芝居はどこまでがアドリブなのか
佐藤は「今までみなさんのご想像にお任せしますと言っていたんですけど…」と前置きをして、芝居の秘密を告白した。
佐藤:例えば、仏で。最新シーズンでセリフを忘れるシーンなんかは、これも初めて言いますけど、たぶん、気が遠くなるくらい練習しています、僕、家で。忘れる芝居を。で、ガチでだまそうとしています、お客を。
石橋:ほぉ~。
佐藤:もう全部、普通のセリフの何倍も、家で練習しています。「噛む」とか「忘れる」とか、練習しないとできないから!
石橋:僕はすっかり見てだまされています。すべてアドリブでやっているんだろうなって思っていました。
佐藤はアドリブを「その場で出たもの」と定義するなら、佐藤の芝居には、アドリブは1つもないと断言した。
役者として、監督として、これからやりたいこと、そして…
石橋:ここまで来たら、これだけはやってやるぜ!という目標は?
佐藤:僕はあくまで役者なので、本来はやっぱり佐藤二朗は隠して、役を前に出したいというのがあり。もちろん、監督が佐藤二朗を出してくれと言ったらそうするし、監督によるんですけど、これからは佐藤二朗を奥に押し込んで、役を前に出すということをやりたいなと役者では思っていて。あと、自分がやりたいと思う表現があるうちは、監督も脚本も続けていきたいなという感じです。
そして、最後に切実な願望も語った。
佐藤:あとね、賞、欲しいかな。賞。俺、全然賞もらえねーの!マジで。どうなってんの、これ。
石橋:ブルーリボン賞とか、日本アカデミーとか?
佐藤:俺がもらった唯一の賞、NG大賞ですからね。NGは「No Good」ですから。賞、誰かちょうだい!本当に。
と言って、石橋を笑わせた。