毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。

2月28日(日)の放送は、尾崎世界観(クリープハイプ)、又吉直樹、小説家の村田沙耶香が登場。「作家」という共通項を持つ3人が、執筆のこだわり、コロナ禍における仕事への影響などを語った。

歌詞と小説を書くことの違い

又吉は、尾崎がボーカル&ギターを務めるバンド、クリープハイプの音楽を聴いているという。

又吉:尾崎さんが書く歌詞がすごい好きでずっと聴いてきたんですけど、それと小説書くっていうのはやっぱり何か違いありましたか?

尾崎:歌詞に関しては、“一言で逃げられる”感覚があるんですね。そんなに言いきらなくても、何となく良い感じになってしまうのが不満でもあったので小説を書いたんですけど。小説は小説で難し過ぎて、その間で結構今は悩んでいますね。小説の中で、思いきり振りかぶってパンチする瞬間が自分でもわかるんですよ。「ここで感じてほしい」っていうのが出ちゃってるなっていうのがあって。

尾崎は「歌詞で染みついた大ぶりのパンチをやめたい」と今後の課題を明かした。

一方、小説家である村田は、作詞は「全く書けない」「短い文章も苦手」だという。

村田:帯とかを頼まれても、1冊の本を読んで「20字から80字でお願いします」って…。

尾崎:短いですよね、あれ(笑)。

又吉:はははは。

村田:結構難しくて。200字くらい書いて「好きなところを使ってください」みたいにしたり。

すると尾崎は、ミュージシャンならではの苦悩を語る。

尾崎:基本的にはそこ(ミュージシャンでもあること)が自分の強みだとは思ってるんですけど、終わらせてしまうんですよね。キリが良くなってしまうとか。書いていても、なんとなく音楽的に感じてしまって、「あ、ここでいいな」っていう、ちょっと早めに切り上げてしまうんですね。その終わりが自分で見えてしまうから。

又吉:なるほど。

尾崎:音楽って結構わかりやすく終わりがあるというか、ライブの中でも、1曲1曲終わっていって、その終わりの積み重ねなんですけど。小説にとってそれは良くないなと思いますね。

自粛期間中「小説や文章を書くことに救われた」(尾崎)

「喫茶店で書く作家だった」という村田は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、飲食店に滞在しにくくなり「追い詰められている」。ここからコロナ禍での創作についての話題に。

又吉:尾崎さん、音楽の方はどうですか。コロナの影響ってありました?

尾崎:ライブができないので、変わりましたね。制作をその分、しようとも思ったんですけど、“コロナの影響でライブができない時間に曲を作る”っていうのが何か、どうなのかなっていうことを思って。それでできた曲は、結局コロナに影響されている感じがして。まだ今、作品にするのはちょっと早いんじゃないかなっていう、自分の中で消化しきれていないというのがあるので、そこはすごく迷ってますね。

尾崎は、ライブも制作もしていない時間に、小説や文章を書くことで「救われた」と自粛期間中を振り返った。

尾崎:又吉さん、ライブはどうですか?

又吉:ライブは、月1ぐらいしかできてないですね。それも配信だけになったりしていますね。お客さんがいるとライブで自分が用意してきたものとかやって「あまり盛り上がってないな」と思ったら修正したり、やり方変えたりしていくじゃないですか。配信だと反応がないんで、まったく誰も笑ってへんかったとしてもずっとやるわけですよね。すごい器用なタレントさんとかやったら、そういう状況でもいつも通りできたりすると思うんですよ。

尾崎も、ライブの際は「1回(お客さんに)まず投げて、跳ね返った感じで“その日”を決めるっていう感じでやってたので、今はそれがないから難しい」「どうしてもネットの反応に頼るしかない」と、その難しさを語った。

エゴサーチで出てきた「編集長の愛人」

「エゴサーチするか?」という話題になると、村田から思いがけないエピソードが飛び出した。

又吉:(村田に)どうですか、その、人が何か言ってるかなとか調べたりすることありますか?

村田:私は、24歳くらいにデビューしたときは、自分の本の感想がもしかしたらヒットするのかなと思って検索したんですけれど、「編集長の愛人だ」っていう話しかヒットしなかったので(笑)。

尾崎:そんなのがヒットしたんだ。

村田:それを見てもう、「エゴサーチはやめよう」と。エゴサーチという言葉、当時はなかったんですけど、自分は検索しても「愛人だ」。感想が読めるわけじゃなくて、(感想は)ないんだ、「愛人」だと。

尾崎:愛人のあれしかヒットしないから(笑)。

又吉も小説デビュー作の「火花」を書いた直後は、SNSでの反応をチェックしたが、小説への感想は最初だけで「芸人が小説を書いた」ということに焦点が集まっていく様に「なるほど、こういうふうになっていくんだ」と思い、それ以降は見ていないと明かした。

マスクはパンツに似ている!?

また、コロナ禍における「恋愛」への意識の変化についても作家ならではの視点で盛り上がった。

村田:友達の作家さんがコロナ禍になって、恋愛小説をずっと連載していて。でもだんだん「この2人、濃厚接触だな」っていう気持ちになったりとか。なんだろう、“急に会って抱きしめる”とか、“急に会ってキスする”とか、ロマンチックとして書いていたのが…。

尾崎:何か悪い、野蛮なことをしている。

村田:急にものすごい野蛮なこと、何かものすごい…。

又吉:そうか。急に2人で「一緒に手洗ってから…」みたいなのもね、何か。

尾崎:でもそれじゃあ伝わらないこともいっぱいありますからね。

村田:“そっと手を繋ぐ”とかも、「いや、20秒以上お互い手を洗ってからじゃないと」とか。

尾崎:その衝動が気持ちを表してたのに。

又吉:あと、出会いも圧倒的に少なくなりましたよね。今、出会っていれば、数年後に結婚みたいなことがあり得たかもみたいな人って、いっぱいおんねやろなと思って。

尾崎:取材を受けていたりしても、その人が一瞬マスクを外して飲み物を飲む瞬間とか、ちょっと目そらしちゃうんですよね。見ちゃいけないような気がして。本来だったら見ないかもしれないものを見るから。

村田:ほかの作家さんとの対談で、「マスクってちょっとパンツに似てる」みたいなことを話していて、すごい面白い話だったんですよね。

尾崎:今までは“着ける”っていう感じで見てたんですけど、“外す”っていう感覚で、今は見るじゃないですか。

村田:確かに。

尾崎:だからそれ、ちょっとエロい感じありますよね。

村田:恋人同士でもキスするときだけ、「じゃあ」ってマスクを外す、何かエロティックな。

最後には「人と会ってしゃべるのが本当に好きだったんだなって思い知らされました」と村田。

村田:自分には、予想つかないものの見方してたりとか、そういうまなざしを摂取するというか。「あ、こんな見方であの街を歩いてるんだ」とか、そういうことを聞くのがすごく好きなんですね。それができなくなったから。自分のまなざししかなくなっちゃったから、すっごく苦しいですね。

尾崎:確かに、自分のまなざしだけだと苦しくなりますよね。

又吉:確かに。こんなね、ちゃんと距離取って話せる環境作れないですもんね、自分たちではなかなかね。

村田:久しぶりに人と会えて、マスクなしで人と話せて、良かった。楽しかったです。

「またどこかでお会いしましょう」(又吉)と、笑顔で鼎談を締めくくった。