好きなように生きなさい
マユミさんには18歳と12歳の2人の娘がいて、娘たちにとってどんなお別れがいいのか、悩み続けていました。
家族で話し合った結果、娘たちは日本に残り、夫と2人でスイスに行くことになりました。
11月6日、月曜日の早朝。
空港に着き、別れの時間まで1時間ほどありました。
「何か言っとかなあかんことは?」という夫の問いに「なんとでもなるから、好きに生きたらいい」と、娘たちに言葉をかけ、それぞれが設えた手紙を交換すると、涙ひとつ見せずにお別れしました。
悲しい別れにしないように、と家族で決めたことだったといいます。
でも、母が背を向けて保安検査場に向かうと、娘2人も後ろを向き、こらえていた涙が。
「お母さんの写真、いっぱい撮ってきてください。」
娘たちからそんなお願いを受け、私はマユミさん夫婦と同じ便に乗りました。
12歳の娘からのLINE
マユミさん一家と直接お会いするのは、この空港が2回目。
私は娘たちに、母の安楽死についての話を深く聞く勇気を、まったく持ち合わせていませんでした。
そんな中、マユミさんが私に見せてくれた、次女からマユミさんに宛てたLINEがあります。
「これが次女の本心だと思います」と。
(LINEでのやりとり)
次女「ママは安楽死したいの?」
次女「可能性は一個もないん?」
母「ない」「だから少しでもいい形でみんなとお別れしたくてママの苦しんでいる姿を見せたくないなと思っていっぱい悩んだけど安楽死を選びました」「末期がんていってここまできたらあとは死を待つだけやねん」
次女「そうなの」「じゃあ」「もし私たちがとめててもやった?」
母 「それは難しい質問ですね。あと1ケ月長く生きれたとしてそれは面会もできない病院にずっと入院してたり、家にいても痛くて泣き叫んだり脳の病気だから性格が変わってしまうんだけど今のママとは別人の例えばずっと怒鳴り散らしたり」「そういうことがこれから起こってくるけどみんなはそれをどう思う?ってもっと話し合ってたかもしれない」
次女「そっか」
母 「やっぱり安楽死なんかしてほしくなかったよね」
次女「うん」
母 「それはほんとにごめんね」
次女「大丈夫」
母 「病気になったのがごめん」
次女「大丈夫」「ママは悪くない」
母 「ママはどうしたらよかったのか答えがないんだよ」「どれを選んでも悲しいからさ」
次女「もうちょっとするの遅くできなかったの?」
母 「それもわからない
次女「できたかもしれないん?」
母 「うん。でもこれ以上遅かったらスイスに行けなくなってたかもしれない」
次女には、母親のマユミさんに面と向かって聞けなかったことがたくさんあったようです。
12歳の小学生にとっては、おそらくは計り知れないたいへんな決心をしてマユミさんにメッセージしたのだと思います。
私は、マユミさん一家はそれぞれがそれぞれに覚悟を決めた強い家族だと思っていましたし、実際にその通りだと思います。
しかし、その覚悟と強さというのは、答えが出ることなどないのにもかかわらず、それでも最後の最後まで何が正解なのか悩み続ける、その苦しみから生まれているものなのだ、ということを、私は次女のLINEに教えられた思いがしました。