はじめまして。株式会社RECEPTIONIST代表取締役CEOの橋本真里子と申します。
当社は、企業の受付業務を効率化するクラウド受付システム「RECEPTIONIST」などの3つのサービスの開発・提供・運営をしています。
私はもともと“企業の受付嬢”でした。大学卒業後から11年間、上場企業5社で受付嬢として働いてきたのです。USENやミクシィなどの企業でキャリアを積み、11年間で対応した来客数はなんと120万人以上。
そんな中、現場にいて見えてきた受付業務の課題をなんとか解決したいと思い始め、2016年1月にディライテッド(2021年に株式会社RECEPTIONISTに社名変更)を創業しました。
受付嬢から起業家へ―。私にとっては自然な流れでしたが、皆さんにはよく驚かれます。たしかに「企業の受付嬢」と「起業」って結びつきづらいですよね。今回は、私が起業に至った経緯の前に、これまでの受付人生について、自己紹介代わりにお話しできればと思います。
氷河期真っ只中 やりたいことがない
現在41歳の私は、三重県鈴鹿市で生まれ育ちました。中高時代はソフトテニスの部活にはげむ体育会系女子だったのです。武蔵野女子大学(現・武蔵野大学)への進学にともない上京しました。
就職活動が本格化する4年生で、私も進路に向き合うことになりました。ですが、大学在学中に就職活動をすることはありませんでした。自分が何をやりたいのか分からなかったのです。
大学を卒業してから1年間は、アパレル販売員や家庭教師といったアルバイトをしながら自分探しをしていると、「自分は人と接することが好き」ということが見えてきました。さらに企業で働くことを意識し始めたことで、ビジネスマナーを徹底的に身につけられる職種の「企業受付」へとたどり着いたのです。
2005年に、トランスコスモスにて受付嬢としてのキャリアをスタートさせました。受付スタッフが10名近くいる大規模な体制のもと、仕事をバリバリこなす先輩たちに囲まれて“受付嬢デビュー”。しかし、早くも“想像以上な裏側”に直面することになったのです。
本当は楽じゃない受付業務
一般的に「受付業務は来客を案内し、お茶を出し、見送るだけ」と思われているかもしれませんが、実はそれ以外の仕事がとても多いのです。例えばお茶出しひとつ取っても、来客の役員の顔と名前を全て暗記し、さらに役職順に対応するのが基本です。とにかく覚えることが非常に多くてはじめは苦労しました。
さらに、当時は派遣社員として入社しましたが、派遣だろうと契約だろうと求められるのは一流レベルでした。先輩からハードな指導が続いた日もありますが、そんな厳しい教育方針は「プロ意識」の裏返し。ここで受付としての心得や基礎を学び、この仕事を愛するようになりました。
いつの間にかサブリーダーまで上り詰めていた私は、「もっとこの仕事を極めたい」と思い、違った環境に飛び込もうと転職しました。そこで出会ったのがUSENです。
受付業界では有名なUSENに転職
USENの受付は、業界では有名でした。なぜなら、USENの受付嬢はとにかく「美人」と評判だったからです。また、企業受付はどこの会社も「派遣社員」「契約社員」が大半ですが、当時のUSENの受付は「正社員雇用」ということもよく知られていました。
受付嬢からすると「美人」が働く「正社員雇用」のUSENは憧れの職場だったのです。本社移転のタイミングでオープニングスタッフを募集していたので、またとないチャンスだと思い応募し、無事に採用されました。
前職では歴代の先輩たちが作り上げた体制に“飛び込む”というスタートでしたが、USENでは自分たちがゼロから環境作りをしていかなければなりません。その上、10名以上のスタッフを有する大所帯。そこで初めてリーダーを任されることになり、土台固めのためにとにかくいろんな業務をこなしました。
メンバーの先頭に立ち、仕組み作りを率先して進めたここでの経験が活かされて、のちに起業する際ではリーダーシップを発揮することができたのかもしれません。
USENを1年で辞めた理由
そんな希望と刺激にあふれる職場を1年で辞めることになりました。父の病気が発覚したのです。
「平日は都内、週末は三重」と仕事を続けながら実家に行き来する日々を続けていましたが、そんな生活もとうとう限界を迎えます。
真正面から仕事の話をする機会があまりありませんでしたが、受付業界で奮闘している私のことを陰ながら応援してくれていた父。そんな家族の期待にも応えていた誇らしい仕事でしたが、「父との時間は限られている」と悟った私はUSENを退職する決断を下したのです。
まもなく父は旅立ちました。しばらくは母のそばで生活し、日常が少しずつ戻って来た頃、「受付の仕事をまた続けたい!」とまた意欲がわいてきました。
そして、受付嬢として3社目となった新天地は、国内最大の“和製SNS”として隆盛を極めたミクシィ。ここで、自分のキャリアを見直すターニングポイントともなった3年半を過ごすことになったのです。
「受付嬢」は、一生は続けられない職業
ミクシィの受付は2名体制と、前職に比べると小規模な受付。来客数は多かったものの、ゆったりとお迎えできる環境でした。
とても働きやすく恵まれた職場でしたが、20代後半の私は自分のキャリアをふり返ることが増えていきました。「どんなことをしたの?」「転職先では新たにどういうスキルを身に着けたの?」と聞かれたときに、自分じゃないと生み出せない価値を提供できていないと考え始めたのです。
さらに「受付嬢」という職種についても考えさせられる期間となりました。受付嬢の仕事は、残念ながら現状では一生続けられる職種ではないのです。募集要項には年齢制限が設けられることも少なくありません。そんな背景もあってか、秘書やアシスタントへ早々と転身する仲間も多いのです。
自分のキャリアと向き合い直し、私は30歳になっていました。「受付の現場としてのキャリアはここが最後」と決意し、GMOインターネットに転職することになりました。業種、ポジション、受付規模…なにをとっても「自分はここで働くためにキャリアを積んできたんだ。受付の集大成だな」と思える理想の職場でした。
しかし、GMOでの職務が、私の受付人生の中で一番苦労することになるとは思ってもいませんでした…。
さて、次回の更新ではいよいよ起業への転機についてお話します。なぜCEOに転身したか、起業にあたりどんな思いがあったか―。ぜひお楽しみに。