過酷な船内で乗客を支えた「ハヤシ ユマ」さんとは?
船内で感染した陽性患者を病院へ搬送するなど、船に乗り込み、対応に当たったのが、医師や看護師らによる災害派遣医療チーム「DMAT」。しかし、医療のプロたちにとっても未知のウイルスへの対応は過酷だったといいます。
神奈川県DMAT調整本部長(当時)
阿南英明医師:我々が貫いたのは、具合の悪い方を優先しよう。コロナであろうがなかろうが、船の中で災害が起きてしまっている。パニック状態ですし、災害なんですよ。
DMATの隊員は、全国の病院などから駆けつけた精鋭の医療従事者たちですが、敵はウイルスだけではありませんでした。
神奈川県DMAT調整本部長(当時)
阿南英明医師:偏見差別問題ですね。ダイヤモンド・プリンセスに乗った人たちが戻った病院にコロナを持ち帰るかもしれないと。それぞれいっぱい病院に問い合わせが来たり、攻撃的なメッセージが送られてくることもありました
いつ、誰が感染してもおかしくない中、誹謗中傷を受けながらも、医療チームは命懸けで立ち向かっていました。
そんな過酷な船内の中にいたケントさん。
最愛の妻・レベッカさんと念願の船旅で、日本旅行を楽しむはずでした。
ケント:何が起きているのか?ウイルスって何なんだ?私たちにどう影響するのか?何も分からなかった。外を見ると、すごい数の救急車で、とんでもない数が感染したのでは?と不安になりました。
船内隔離3日目には、妻・レベッカさんが感染。
未知のウイルスに侵された最愛の妻と、次に会える確証もないまま、離れ離れになったケントさん。たった1人の隔離生活が始まりました。
ケント:なぜ彼女だけ陽性で、自分は陰性なのか理解できなくて、彼女がいたことで精神状態を保てていたのに、突然ひとりで乗り越えなければいけないことが受け入れられなかった。
船内隔離から6日目以降、新規の感染者数は60人以上とさらに伸び、検疫官や救急隊員も感染していました。そこかしこで急変する患者の対応に追われる医療スタッフ。まだ国内に感染者を受け入れてくれる病院は少なく、船内で様子を見るしかない状況でした。
地獄絵図と化していく船内で、乗客のために働き続けたのは医療スタッフだけではありません。ダイヤモンド・プリンセスのクルーが、感染リスクもある中で、食事など様々なことを支えていたといいます。
そんな中、船内のテレビ画面に現れた1人のとびきり明るい女性。
船専用のチャンネルで、船内にいるクルーが乗客たちを元気づけようと始めたものでした。毎日のように、張り詰めた船内に笑顔を届けようとした彼女の名前は、ハヤシ ユマさん。
ユマさんは、クルーズの中でのイベントを手がけるチームの一員でしたが、感染拡大後はイベントが中止に。
その一方で、隔離が長期化した船では、持病がある乗客の薬が尽きてしまいます。命にも関わるため、一刻も早く薬を調達して届ける必要がありましたが、ダイヤモンド・プリンセスは5階から14階までに1300以上もの客席があり、まさに迷宮。外から来た医療スタッフでは、船内や乗客のことを把握しきれず、船を知り尽くしたユマさんたち、クルーが薬を届けるしかありませんでした。
誰が感染しているか分からない状況で直接、向き合わざるを得ない。リスクを負ってでも、1つ1つ笑顔で困っている人に薬を届けたといいます。
そんな日々、客室で疲弊していく乗客のため、自分たちにできることはないかと、船内イベントを手がけていたチームで始めたのが、船専用のチャンネルでした。
コンテンツは様々で、運動不足解消のためのエクササイズやクイズ、さらには盆踊りまで。
「こんな大変な時に…」と、最初は受け入れられなかったというケントさんですが、この船内放送がなければ、たった1人の隔離生活を乗り切れていたか分からなかったと振り返ります。
ケント:私はいつ下船できるのか、そればかり考えていました。でも彼女は感染リスクはおいながらも、笑顔でみんなを元気づけようとしてくれていたんです。モニター越しの彼女を見て、本当に温かい気持ちになれましたし、元気をもらえたんです。
そして、船内隔離18日目の2月22日、ケントさんの隔離が終了しました。
一刻も早く、妻が入院している病院へ。ユマさんに感謝を伝え、船を出ようとしたケントさんですが、どこにいるのか見当もつかず、お礼を言えないまま、横浜港を降り立ちました。
この8日後、乗客乗員全員が下船。最終的に14人が命を落としましたが、DMATらの奮闘により、船の中で亡くなる人はいませんでした。
