俳優・アーティストとして活躍する城田優が、J-POPカバーアルバムを今秋にリリースする。「Mariage」というタイトルが表すように、恋愛や結婚にまつわるナンバーを城田自身がセレクトしたものだ。

そのリリースに先駆け、6月19日には平井堅の名曲をカバーした「even if」も配信され、話題になっている。城田がこの曲で何を表現したかったのか。さらには、コロナ禍における生活の変化などについてもインタビューした。

――「even if」は平井堅さんが約20年前にリリースした楽曲ですが、この曲についてご存じでしたか?

当時、僕は中3から高1ぐらいだったのかな。平井さんの世界観が好きで曲を聴いていたんですが、冒頭の「♪たまたま見つけたんだってさっき言ったけど、本当はずっと前から君を連れてきたかったんだ」や、「♪言葉をさえぎるためだけに煙草に火をつけた」というフレーズの意味すらわからなくて、ただせつない物語だなと思いながら聴いていました。

ある日、カラオケで歌っていたら同級生から「この曲は優にすごく合ってる」と褒められ、印象に残っていたんです。時間が過ぎ、大人になってから久しぶりに歌ってみたら、足りなかったピースがすべて揃ったというか、気づかされることがたくさんあって。いつかこの曲を自分のアルバムに入れたいと◎をつけていました。

――10代の少年にはわからなかったけれども、30代半ばとなった今なら理解できるという。

今はバーボンの味もわかりますからね(笑)。料理でもお菓子でも、若い頃はただ「美味しいから」と口にしていたものが、大人になると「これがこうだから美味しいんだ」という“理由”がわかるようになる。

それと同じ感覚がこの「even if」でも起きたので、僕と同世代やもっと上の世代にも聴いていただきたいと思いつつ、オリジナルを知らない10代、20代の子たちにも聴いてもらって、数年後に「この曲にはこんな意味があったのか」と共感してもらえたらうれしいです。

――レコーディングではどんなことを意識して歌ったんですか?

オリジナルの雰囲気をそのままにしている部分もありますが、平井堅さんと城田優のマリアージュ(Mariage)ということで、僕のカラーもしっかり出さなければ、と。そのバランスには気をつけました。

そして、歌詞を読むとわかるように、この曲は物語が明確に浮かぶ曲なので、その情景をイメージしながら設定をつくっていきました。テイク1は、20歳そこそこの若い女性、テイク2は長年片想いをしている同世代、テイク3は憧れの年上の女性が相手という設定でいくつか録音したんです。

さらには、一発録りというのが生(ミュージカル)でずっと歌ってきている人間として大事にしたいところであったので、そんな部分にはかなりこだわりました。

――6月27日(土)放送のフジテレビ『MUSIC FAIR』でお披露目されるそうですが、スタジオで歌ってみてどんな手ごたえを感じましたか?

テレビだとどうしてもフルサイズで歌えないので、感情を切り取らなきゃいけないことが難しいんですが、この曲は特に1コーラス、2コーラスとサビの感情がまったく違うので、どこまで感情をもっていくかなどの加減を意識して、歌わせていただきました。

とても素敵な演出をしていただいて、想像力を掻き立てるものになっているので、仕上がった映像を見るのが僕自身も楽しみです。

自粛期間中には、GLAYとのコラボ曲「それでも」が誕生

――まだ元通りとはいえないものの、コロナ禍でも少しずつ日常が戻ってきました。城田さんのプライベートにも変化はありましたか?

友達と集まったり、これまでのように「何してるの?」と気兼ねなく連絡をして…ということはまだできていません。でも、みんながシビアになり過ぎると、本当に世界は滅びてしまうと思うんですよ。僕たちがエンタメをまわしていかなければいけないように、経済もまわしていかないと、大切な人たちが経営する飲食店の存続も危うくなってしまいますから。

この2、3ヵ月、ずっと自宅にこもっていたので、すべてをいきなり解禁するのも違うと思いますし、かといって完全に外出を控えるのも違う。そのバランスを今、一番大事にしたいと考えています。

――ちなみに自宅ではどのように過ごしていましたか?

日によってまったく異なりました。食事とトイレくらいでほとんど動かない日もありましたし、逆に気分がのっている時は曲をつくったり、勉強したり、映像を見てリラックスしたり。

自粛期間中は“Stay Home”を一番に掲げていたので、外に出たいという思いもほとんどなかったんですが、何もせずに一人で過ごす時間は心のアップダウンを生み出すので、ジェットコースターのような感情で過ごした2ヵ月でした。

――そんな時に作られたのがGLAYのTERUさんやHISASHIさんとコラボした「それでも」という曲なんですよね。

これは、アルバムを出すから曲をつくって…というものではなく、ただ思いが先行して、必然的に生まれた曲なんです。アレンジしてくれたUTAくん、友人のHISASHIさんやTERUさんなど、関わってくださった皆さんが僕に賛同して参加してくれたプロジェクトで、いろんなことで落ち込んだり、悲しんだりすることもあるけれど、「それでも」前を向いて生きていこうよというメッセージを込めました。

テニミュは青春であり財産。「歌は気持ちから」という思いは今も同じ

――先日、城田さんがミュージカル「テニスの王子様」(以下=テニミュ)に出演していた18歳の頃に書いたメモの画像をTwitterでアップして、かなり話題になりましたね。

自宅の整理をした時に中学時代の通知表や作文、高校時代のノートなどと一緒に出てきたんですが、僕自身も内容をすっかり忘れていましたし、何より字が汚すぎて、人に配るんだったらもう少し丁寧に書けよって(笑)。

18歳の自分にちょっとバカっぽさと愛おしさを感じて、Twitterにアップしたんです。想像以上に反響が大きくて、逆に恥ずかしくなりました。

――改めて読み返してみていかがですか?

僕が演じた手塚国光という役柄同様“部長ヅラ”したかったんでしょうけど(笑)、自分の経験や知識を誰かの役に立てたいと躍起になったあの時の感覚は大事だなと感じました。求められたらどこまでも相手のために頑張りたいし、テニミュに関してはミュージカルが初めてで喉を壊してしまうメンバーも多かったので、なんとかしてあげたいと思ったんですよね。

といっても、僕自身もたいした経歴があったわけではなく、「美少女戦士セーラームーン」でタキシード仮面を2年間演じながら身につけていったので、それをみんなに共有したかったんです。

――「歌は気持ちからです」という一文がとても印象的でした。

そこに関しては、演出を手掛けるようになった今も同じことを演者に伝えています。「うまく歌おうとしなくていいです。心を届けよう、歌詞を届けようというマインドで歌ってください。音がブレて、歌唱指導や音楽監督から何か言われることがあるかもしれないけど、僕がつくりたい方向としては思いが先行するものであってほしいから」って。そこは昔から変わっていません。

――城田さんにとってテニミュとはどんな存在ですか?

青春ですね。同世代の子たちと歌って踊って演技をして、ヤンチャして遊んでは叱られて、いろんな感情を経験させてもらいました。多感な時期に、皆がライバル心をもって臨む現場に入れたことは誇りです。

キャストによっては黒歴史だって思う人もいるかもしれない。でも、その場に自分が存在したことは紛れもない事実で、過去があるから現在の自分がいる。僕はセーラームーンもテニミュも、永遠に大切なものとして語り継いでいくつもりです。戻れるなら戻りたいという時期もあれば、絶対に戻りたくないツラい時期もありますが、僕の人生においての財産です。

――近年は演出家としてもご活躍ですが、役者とは違う苦労もあるかと思います。

演出家としてはミュージカル2本、ショートフィルムやドラマを2、3本やらせてもらいましたが、圧倒的に時間がかかるんですよ。どんな作品にしたいか、どんなスタッフとどんなふうに作っていきたいかから始まり、各セクションのリーダーと意見を交えては決定権を持つ、会社でいう社長のような存在。

愛と情熱を注ぐからこそ、もちろん有意義な時間なんですが、あまりにも消費カロリーが高く、昨年「ファントム」というミュージカルの演出と主演をやった時は、ほとんど体を動かしていないにも関わらず、どんどん痩せていくという初めての経験をしました。演じる側と作る側とでは、まったく違う脳を使ってるんだなと去年、改めて実感しましたね。

――そんな演出家の手腕がまた見られる日が近いうちに来るといいですね。では、最後にファンの皆さんへメッセージをお願いします。

モノ作りの現場においては除菌やフェイスシールドをせず、顔を合わせてお芝居したり、肩を組んだり、握手をしたりすることができるようになる日常を1日も早く取り戻したい。未知のウイルスとの闘いはまだ続きますが、皆で一丸となって、頑張っていきましょう。

僕個人のことでいうと、30代後半に突入するのでより本物志向、自分にできる最高のエンタメを実現させたいです。まずはアルバムのリリースを楽しみにお待ちください!