石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

7月14日(火)の放送は、元プロ野球選手の清原和博が登場する後編。これまでで一番嬉しかった野球の記憶や、ライバルたちとの試合、今後の目標について語った。

前編の記事はこちら!

夏の甲子園の中止は「ショックだった」

7月7日に放送した前編では、薬物取締法違反による逮捕とそこから執行猶予が明けるまでの4年間の苦悩や葛藤について語ったが、後半は、今年の春のセンバツ( 選抜高校野球大会 )、夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)がなくなった話題から。清原は、中止を聞いて「ショックだった」と語る。

清原:泣いている選手もいれば、泣くことすらできない選手もいて。「今までの糧をステップとして次に進めばいい」という人がたくさんいたんですけど、自分に置き換えれば「ふざけんなよ」と。

俺は小学校3年生、9歳のときから、朝昼晩毎日走って、朝早くお母さんが弁当作ってくれて…。家族全員の夢だったじゃないですか。たった3年間じゃないんで。少年野球時代からの初めての夢が甲子園だったんですよ。

石橋:うん。

清原:その、戦う舞台すら立てないと考えたら、自分だったら野球を辞めてしまうかもしれないなと思いますね。中止が発表された次の日に、グラウンドでバット振ってる選手の姿見たら、涙出てきましたね。僕だったら何ヵ月も野球やらないと思いますし、代わりの大会をやると言ってますけど、僕だったら監督に「出ろ」と言われても「出ません」という気持ちですね。

石橋:全員が甲子園に出られるわけじゃないんだけど、僕も、3年生は(心情的に)決着がつかない感じがする。予選で負けて、結果、甲子園に出られなくても、「チャレンジしたんだ」という事実が3年生は欲しいんですよね。レギュラーだろうが、補欠だろうが。

清原:「戦える」ということがまず大事だと思うんで。それで高校野球で一区切りして、ほぼ9割方、そこで決着をつけて(進学などで)新しい世界に向かっていくと思うんですよ。そこの心の踏ん切りがつけられるのかなって、心配ですね。

野球の神様に愛された男・清原の一番うれしかったこと

清原はPL学園3年生当時、希望していた巨人からドラフト指名されずに涙を流したが、石橋は、西武への入団は「実はもう神様が決めていた」のではないかと語る。

石橋:(当時の)ジャイアンツに行っていたら、守るとこないんだもん。中畑(清)さん元気だし、原(辰徳)さん元気だし。

清原:はい。

石橋は、西武に入団したからこそ「高校卒業して、すぐプロの四番を打てた」と力説。「(清原がドラフトで巨人に指名されず)泣く映像を見るたびに『キヨさん、いいんだよ、これで。これで合ってるんだよ』って思うもん」と語りかけ、清原を笑顔にした。

そんな“野球の神様に愛されてきた”清原が、野球をやってきて「今まで一番うれしかったこと」については…。

清原:自分、プロ野球に入って何回も日本一になりましたけど…(高校)3年生夏の決勝戦でホームランを2本打てたことですね。

石橋:あれ、すごいんだよね、宇部商のセンターの藤井くんが、その前の準決勝で4本目(のホームランを)打ってるんだよね。キヨさんはその時3本で。4本が大会記録。決勝で「宇部商・藤井君 対 PL・清原」っていう4番対決だってことになるんですよ。それで、キヨさんは、桑田(真澄)くんに言ったんでしょ?

清原:はい、「とにかく藤井には打たせないでくれ。それで俺、ちゃんと(ホームラン)2本打つから」と。

石橋:宣言してる!2本。

清原:あいつ(桑田選手)がまた真っすぐばっかり投げるんですよ。

石橋:打たれるんだよね。

清原:ファースト守っててヒヤヒヤして。

石橋:リードされるんですよね。

清原:リードされるんです。僕がホームラン打って同点で。また逆転するんですけど、逆転されて。どっちに転んでもおかしくなかった試合だったんです。甲子園って独特な雰囲気があって、負けている方を応援するんですよ。ましてや僕ら、地元大阪のPL学園なんですけど、その、僕らが負けるとこ見てみたいんでしょうね、やっぱり。

石橋:甲子園ですら、常勝PLの最後のKK(清原・桑田)コンビが優勝する姿を見るんじゃなくて、「KKコンビが負ける瞬間を見たい」って雰囲気になってきちゃうんだ。

清原:だから異様な雰囲気でした。

石橋:それでいよいよ、1点リードで6回でしたっけ、7回でしたっけ、キヨさんの打席が回ってくるんですよね。それはもう、ホームラン狙い?

清原:もう、行くしかないと。

石橋:ピンポン玉のように飛んでいきましたね。手に感触残ってます?

清原:残ってますね。(一昨年の)100回大会に行ったときに「俺、あんなところまで飛ばしたんだな」って。

石橋:(笑)。高校生で。

清原:人ごとみたいに(笑)。

勝利に弾みをつけた清原のホームランを振り返り、当時の裏話で盛り上がった。

バッターとして記憶に残る対戦相手とセ・パの違い

石橋:キヨさんが戦った相手で、ベストスリー挙げるとしたら誰ですか?

清原:パ・リーグだと、やっぱり自分が(プロに)入った時の、村田兆治さんだったりとか、山田久志さん。

石橋:ああ、村田さんや山田さんがまだいるんですもんね。投げていたんですもんね。

清原:デッドボール当てられて怒られたの、この2人ですね。

石橋:え?え?

清原:デッドボール当てられて、ですよ。それでマウンドから降りてきて「しっかり避けんか」って怒られたんです。

石橋:(笑)。すっげぇ。それぐらいなら避けて当然、と。あれは本当なの?山田久志さんからホームラン打って、キヨさんが試合後に「やっと山田さんのシンカーを打てました」って言ったら「俺は、高卒の1年目のバッターにシンカーなんか投げない。あれは落ちてるように見えるけど、真っすぐだ」って言ったっていう。

清原:あれは、ストレートだったんですよ。

石橋:え!ストレートだったの?

清原:あまりにも僕を子ども扱いするので、ちょっと挑発してしまったんです。

石橋:そしたら、「高卒1年目にシンカーは投げない」って。

清原:本当に投げてくれなかったですね。そういうプライドの高い投手が僕がルーキーの時は多かったです。

村田投手も「ここでフォークを投げられたら三振する」いうシーンでもストレートで勝負してきたと振り返り、石橋も「やっぱり、長年大エースと言われていた人は…」と感心していた。

そのほか「恐怖を感じた」という伊良部秀輝投手、「トルネード投法が独特だった」という野茂英雄投手の2人を、印象に残っている対戦相手として挙げた。

一方、ここぞという時はストレート勝負が多かったパ・リーグに比べ、セ・リーグはそうではなかったといい、西武から巨人へ移籍した当初は「戸惑いがすごくあった」と語った。

清原:自分たちの時代は、交流戦もなかったので。野球というものがまるっきり違いました。

石橋:だから藤川球児(当時阪神タイガース)あたりに「お前、おちんちんついてるのか!」って言っちゃうんだね。

清原:ありましたね(笑)。あの時、僕、500号(ホームラン)にもってこいの場面だったんですよ。あの日はホームラン2本打ってたんですよ、あの試合。東京ドームでどうしても決めたかったんですよ。最後、2アウト満塁で、僕は100%ストレートだと思っていたんだけど、彼も150キロ近い球を投げるんですけど、そこでフォークだったんですよ。もう腰砕けになりました。ぎっくり腰みたいになりました。

石橋:(笑)。それであの発言に。

清原:暴言吐いてしまいました(苦笑)。

大魔神・佐々木主浩への感謝とこれからの生き方

そして、清原にとって公私ともに忘れてはならない存在が、“大魔神”と呼ばれる佐々木主浩さん。対戦する際は「100%諦めて打席に入っていた」と振り返った。

石橋:大魔神のあのフォークは反則でしょ?

清原:野球盤の「消える魔球」以上ですね。

石橋:ああ、そう。

清原:あとでVTRを確認するじゃないですか。「こんなに(ボールと)バットが離れているんだ」と。自分ではもっと近くを打っているつもりなんですけどね。

石橋は、佐々木投手と野茂投手とロサンゼルスの焼肉店に行ったことがあると話し、「あの2人は、すっげぇ仲がいい」「2人とも真っすぐとフォークで勝負してきたから、野球観が同じ」と明かした。

佐々木さんは、清原が逮捕された際も、弁護側の情状証人として出廷した。

石橋:あの男は、男っぷりがいい!「なぜ今回清原さんのために証言台に立ったんですか?」と聞かれた時に、「友達だからです。親友だからです」とまっすぐ前を向いて言った言葉を聞いて、「大魔神かっけー!」って思った、俺。

清原:ありがたかったですね。そのあとも本当にいろんなことを面倒見てもらって。

と、やさしい顔で佐々木とのエピソードを語った。

最後に、今後について聞くと…

清原:自分は人にない経験をさせていただきましたし、そういう人間がすべてを失って失敗して。そこで気付いたことは、いかに自分が傲慢な人間であったか。今までは人にしてもらったことに感謝することなく当たり前と思っていましたし、ここ4年間で、皆さんに助けられてやっとここまで来たというのがあるので、人に対する感謝という気持ちをまず心に持つこと。

将来的には、甲子園を目指す少年、小学生中学生たちに甲子園の素晴らしさというのを伝えていきたいし、野球の素晴らしさも伝えていきたいですね。

あと薬物で苦しんでいる人たちに、自分が頑張ることによって、少しでも、「清原、頑張ってるのか、じゃあ俺も(薬を)やめて頑張ろうかな」って思ってもらえるような生き方をしていって、最後は「いろんなことあったけどいい人生だったな」と思えるように生きていきたいと思っています。執行猶予は明けましたけれど、罪は消えていないので、一歩ずつやっていくしかないと思っています。

石橋はまず、息子さんのためにも、そして、全国にたくさんいる清原和博ファンのためにも、そして何よりも、野球にぜひ、清原和博の力を、素晴らしいパワーを、また見せてください」と激励した。