エンターテインメントの裏側に密着する番組『連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME』。Season4の第2弾として、TOKIOの特集がスタートした。

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11月26日(金)の放送は、Episode1「HANDMADE」。

1990年、ジャニーズJr.内ユニットとして結成されたTOKIO。1994年には、ロックバンド形式でCDデビューし、アイドルグループとして活動。それから27年がたった2021年春、TOKIOは新しい道へと歩み始めた。

株式会社を立ち上げたのだ。社長はグループのリーダーである城島茂、副社長は国分太一と松岡昌宏。国分は、「変化があったから、会社を立ち上げることを考えたので、その変化を楽しまないとボンヤリ生きて終わっちゃいそうだなと。まだ見ぬ景色を見たいな」と、意欲を語る。

日本経済新聞で会社の始動を報告した3人。
「汗をかいて。手を働かせて。思いを重ねて。」
そのモットーの裏にある、3人の姿を追う。

松岡のWeb会議アプリのダウンロードが第一歩

会社立ち上げの2ヵ月前。TOKIOの姿は会議室にあった。この日のテーマは、最近ようやくスマートフォンを持ち始めたという松岡が、Web会議用のアプリを使うことができるか。松岡が「(議題は)聞きました。分からないから、任せる!」と言うと、国分から「マネージャーに任せちゃダメだよ。自分で」と指摘されてしまう。

その後、国分から「Zoomのアプリを…」とダウンロードの手順を説明され、戸惑う松岡。それでも音声検索をしてアプリにたどり着き、3人でZoom会議をすることに成功し、記念写真を撮影。「初めてだ。こんなテレビ電話するの!こんなことができるなんて、すごいじゃん!」と、会社としての第一歩を喜んだ。

これぞTOKIO!名刺づくりも木の伐採から!

2021年3月。ホームページ用の写真撮影が行われた。通常のアーティスト写真とは異なり、「力まないで撮りたい」という思いから、メンバーがお互いを撮るというスタイルで撮影。3人は手触りのある仕事に、とことんこだわる。

厚みのある木材で作られた名刺も、3人のこだわりの一つ。長年テレビ番組で付き合いを深めてきた福島県で、自ら木を伐採し、それを名刺の素材として制作することに。木にくさびを打ち、斧を振るう松岡だが、城島の「おーい!倒れろ!」という声もむなしく、木はなかなか倒れない。

そんな木に対し、松岡は「木も生きてるからね。『こんなとこでやられてたまるか』みたいな。『お前ら、会社経営っていうのはこういうことだぞ。そんなに簡単にはいかねえぞ』と(言ってる)」と言い、再びオノを振るう。そして、ようやく木が倒れると3人でハイタッチをして、「えらいですね。いい木ですね」と、しみじみ放った。

こだわりの裏にある思い「自分たちの手でやらないと気が済まない」

出来上がった名刺の裏には、国分がデザインした「株式会社TOKIO」のロゴが刻まれた。国分は「自分たちの手を動かしていることで自信になっている部分もある。達成感と誇りを増やしていくことで自分たちは自信をつけてきたのかなと思うので、僕ららしさが評価されていくといいかな」と語る。

さらに、城島は「温もりだったり、思いだったり、生きた証だったり。どういうものを残せるかな、作ってるかなという期待感はありますね」、松岡は「結局は自分の手でやらないと気が済まないんでしょうね。自分で作ったものであれば文句の言いようもある。そこに責任がかかってくると思うので、それは自分たちに課したほうがいいだろう、と」と、期待と覚悟を明かした。

松岡が初めてWeb会議アプリを使うことになった場面に、SNSでは「Zoom講習してる(笑)」「マボ(松岡)、音声検索は使えるんだ!」と、笑い、驚くファンの声が。また、名刺用の木の伐採風景については、「自分で木を伐採できるって…やっぱすごいよTOKIO」と、改めて感激するコメントが見られた。

企業とのコラボもスタート!溢れるアイデアで新メニュー開発

3人はいち出演者として参加するだけではなく、さまざまな会社と手を組み、企画の段階から完成するまでスタッフとして関わっていくことを株式会社TOKIOの方針として掲げた。

会社始動から3週間。全国にうどん店を展開する大手チェーンとの共同プロジェクトがスタート。打ち合わせでは、「我々に思いつかないアイデアを」と求められ、さまざまな意見が交わされる。

2021年5月。城島が打ち合わせで発した、「こども弁当っていうのを作ってもいいかもしれないですね」というアイデアをもとに、新しいメニューを開発することに。食材選びから行うため、国分がテストキッチンへ足を運んだ。

その場でも「弁当の中でバランスがとれていたら、それが答えだと(思ってもらえて)、それが今度は家の献立にもつながるとか。見本のお弁当に」と、熱く発言する国分。親になったからこそのアイデアも飛び出す。袋入りのうどんつゆについて、「開ける作業を子どもができると、本当に親は助かるかもしれないですね」と、袋型では子どもはうまく開けることができないのではと、提言したのだ。

一方で、「これって、(商品を)発表する前にお母さん方に食べてもらわないんですか?いろんな人に愛されたいから、『全然ダメ』って言われるのが怖くなってきちゃった(笑)」と、おどけて見せ、スタッフの笑いを誘うことも忘れない。

そして、試食の日。国分が指摘したうどんつゆの容器は袋ではなくボトル型に変更され、見た目の彩りを含め好評を得た。

その頃、松岡は株式会社TOKIOオリジナルのメニュー開発に臨んでいた。トマトとたまごのカレーうどん。これは、料理好きとして知られる松岡が長年温めてきたもの。試食では、うどんチェーンの社長から「今年の夏は、これで決まりですね」と太鼓判をもらい、松岡も笑顔に。結果、「こどもうどん弁当」も「トマたまカレーうどん」も大好評のうちに販売を終了した。

50歳にして新たな挑戦!「それ、おもろいな」でモチベーションが上がる

さまざまな選択肢がある中で、3人はなぜ会社を作るという道を選んだのか。松岡は「TOKIOっていう名前に、やっぱり屋号にこだわりがあったんですよね。今まで築き上げてきた、この母屋というTOKIOを無くさないために、もう一つ横に新しい建物を作ったっていう感覚」。

国分は「なんとなく3人でやる(グループ活動を続ける)ことに対しては、みんな反対だった。自分たちの尻を叩くじゃないけども、この年齢になってきて、いろいろな経験をさせてもらったからこそ、自分のフィルターを通してどうやったら新しい表現ができるんだろう」。

城島は「TOKIOにしかできない開拓の道を、新たな道を作るべきやというか」と話し、「50歳にして株式会社という新たなアプローチができることに対してのワクワク感、『それ、おもろいな』という感じで、またモチベーションが上がるんですよね」と、今後へさらなる期待をにじませた。

3人が商品開発をする姿にファンからは「裏側見られたのうれしい!」「こども弁当もトマたまもおいしかったから復活希望!」「当たり前かもしれないけど、これだけ真剣に考えていてくれた商品だったんだね」と、感激する声が。また、グループ、そして会社への思いに対し「母屋がTOKIOってすごくしっくりくる」「屋号に一番敏感なのはマボだよね」「私たちもワクワクしてるよ」と、SNSでは盛り上がりを見せていた。

次回、12月3日(金)は、いよいよ走り出した「株式会社TOKIO」の自ら手を働かせ、汗をかく日々を追う。そして、国分が立つ音楽のステージにも密着する。

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