石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

8月18日(火)の放送は、元プロ野球選手の牛島和彦が登場。石橋と同学年である牛島が、大阪・浪商高校2年の春に「第50回選抜高校野球大会」に出場したことや、当時バッテリーを組んでいた香川伸行さん(故人)の話など甲子園の話題を中心に、石橋の前で語った。

甲子園の土を踏んだときのサクッという足の裏の感触がいつまでも残っている

石橋:ちょうどですね、まったく同学年で。「大阪の浪商の牛島・香川ってコンビがすごいらしいぞ」って高1くらいから知れ渡ってましたからね。東京にですよ?

牛島:(笑)。

石橋:牛島さんは、甲子園に50回大会の選抜から出られてますからね。

牛島:はい、何とか3回出させてもらいました。

石橋:やっぱり甲子園っていいものですか?

牛島:最初、甲子園の土を踏んだときのサクッという足の裏の感触がいつまでも残っている感じですね。

石橋:そうですかぁ(と、うらやましそう)。

牛島:で、初めての甲子園でナイトゲーム。ナイトゲームなんてやったことないじゃないですか。

石橋:カクテル光線の下で。

牛島:いきなり緊張して、ワンバウンド投げました、真っすぐで。

石橋:あの、「クソ度胸」で有名だった牛島さんが(笑)。

牛島:初級ワンバウンドで、ベースの手前に落ちました(笑)。

石橋:ああ、そうですか。

牛島:「え~、こんなに緊張するんだ」と思って。

石橋:甲子園には魔物がいるんですか。

牛島:何やってるかさっぱりわからなくて、あっという間に1点取られていました。

石橋:僕ね、あのときの50回大会というのは、我が帝京高校野球部は、春夏通じて初めての甲子園だったんですよ。

牛島:あ、そうなんですか。

石橋:はい。甲子園のすぐ近くの、球場でいえば三塁側のちょっと端っこの方の旅館に僕ら泊まっていて。当時、牛島さんたちが戦う前の、浪商の応援団が、試合前の最後の応援の練習みたいなのを見ながら宿舎に帰っていった思い出があるんです。もう、これもんで、これもんで(と、ガラの悪そうなジェスチャー)。「うわ、浪商怖っ!」みたいな(笑)。

牛島も、「うちの学校に来ると、みな、あないになりますけど」と笑いを誘っていた。

アンダーシャツに水を湿らせ…水たまりを飲んだことも

石橋:どうですか、コロナによって甲子園がないという異常な(状況ですが)…。

牛島:本当にこんなに苦しい、悲しいことはこの先あるかどうかわからないですけど、これを乗りきって次に進めれば、これから先に何か起こっても、乗り越えられるんじゃないか、という話しかできないですよね。

石橋:まぁ、たいてい人生、苦しいことの方が多いですからね。

牛島:はい、多いですね。楽しかったことより、苦しかったことの方が鮮明に覚えていますね。

石橋:そうですか。

牛島:練習めちゃくちゃハードやし、しごきみたいなのもあったりとか。

石橋:水飲めない時代でしたしね。

牛島:水、飲めないです。ドラム缶4つあるんですよ、そこに水をためるんですよ。バケツでグラウンドに、ホースないから、撒(ま)くんですよ。

石橋:うちの学校もそうでした。ホースないから、汚ねぇ、あれ何の水だったんだろう?雨水かなぁ。変な排水をまくんですけど、1年生の時ってまき方が下手だから、べちゃべちゃにして、内野のレギュラーに怒られるんですよ(笑)。

牛島:そのドラム缶から水をくむときに、アンダーシャツに水を湿らせてチュチュチュっと。

石橋:何の水がわからないでしょ、それは。

牛島:ごみとか虫とか浮いてるんだけど、そんなこと言ってられないじゃないですか(笑)。一度、雨降った後に、水たまり、飲んだことあります。

石橋:当時、牛島さんが高校1年生のとき、浪商野球部って何人入ったんですか。

牛島:150人です。

石橋:えー!

牛島:150人いるもんですから、100人を辞めさせにかかるんですよ。

石橋:とにかく、全員は入れられないんですよね、グラウンドに。

牛島:そうです。夏までに100人辞めさせるんです。いろんなしごきがあるじゃないですか。言えないものもありますよね。言えるものでしんどかったのは、1周1.5キロを150人で競争して、上位5人ずつ帰してくれるんですよ。

石橋:俺たちで言う、ダービーってやつですね。頭抜け出来るんですよね。

牛島:1本目こそっと後ろに隠れてて、2本目で…。

石橋:全部勝負していると持たないですよね。

牛島:持たないですから。で、2本目で失敗するともう最悪ですね。延々と(走らされる)。

厳しい練習を乗り越え、高校3年生春の「第51回選抜高校野球大会」では、準優勝。夏には大阪府の予選決勝で4季連続の甲子園出場を狙っていた前年夏の優勝校・PL学園高校を破って甲子園へ。ベスト4入りを果たした。

予選の決勝を戦ったPLと浪商から、10人くらいプロ野球に入っている

石橋:春の甲子園と夏の甲子園って、違うものですか?

牛島:そうですね。春の甲子園は、近畿でベスト4にまで入れば出られますから。夏は、大阪から1校しか出られませんからね。「強い」「強い」言われてましたけど、PL学園が強かったんでね、ずっと。

石橋:小早川(毅彦)さんがいたわけですね、。

牛島:1個上には西田(真二)さんと木戸(克彦)さんがいて。勝てなかったんですよ、PLに。最後に勝って、18年ぶりに甲子園出場を決めたときは「やったー」という感じでしたね。ここ(PL学園)に勝たないと甲子園に行けないというのはずっとありましたから。

石橋:そうですよね、だって西田さん、木戸さんでPL日本一ですもんね。その次の年が、いわゆる小早川…。

牛島:で、山中(潔)、阿部(慶二)。

石橋:あー、阿部!阿部っていましたね。確か満塁ホームランかなんか甲子園で打ってて。

牛島:予選の決勝やったPLと浪商で、10人ぐらいプロ(野球)に入ってますから。

石橋:そんな?

牛島:はい。あの2チームで。

石橋:浪商が、牛島さん香川さん、ショートの?

牛島:山本(昭良)。センターの1個下の子と、控えのピッチャーも1年後に。

石橋:入ってるんですか。PLも…。

牛島:4~5人は入ってますね。

石橋:もう、すっごいレベルの高さですよね。

牛島:ええ。僕が浪商に入るときに、「3年後に強いチームにしたいからうちに来てくれ」と言われたんですよ。

石橋:3年計画で。

牛島:はい。それで1年生から出ていたんですけど、ちょうど3年後の一番最後の大会で結果出したんで、自分としては誘われた責任を果たしたみたいでうれしかったです。

石橋:牛島さんほかにどこが(勧誘に)来ていたんですか?

牛島:僕はね、天理高校に決まっていたんですよ。

石橋:えぇ?本当は天理に行くはずだったんですか?

牛島:奈良で生まれたので、奈良に親せきがいたので、天理のセレクションうけて。あの当時強かったじゃないですか。それで天理高校行こうと思っていたんですよ。

牛島は、いとこが奈良県代表で甲子園に出ていたが、そこの監督に「奈良に来るな、大阪の学校行け」と言われ、浪商高校に変更したことを明かした。

あのときのチームは、チーム力じゃなくて個々のわがままなやつの集まり

また、「名バッテリー」とその名を全国に轟かせたキャッチャー・香川との関係についても言及。

石橋:何かで読んだんですけど、あれだけ大活躍して1年生からコンビを組んでいた香川さんとは、ブルペンでボールを受けてもらったことはない、ほとんど口もきいたことがないっていうのは、本当なんですか?

牛島:そうですね(笑)。

石橋:全然、会話ないんですか?

牛島:ほとんどなかったですね。ブルペン来ないんですよ。

石橋:どうやってサイン…。牛島さんが首を振るんですか?

牛島:「頷(うなづ)くまでサイン変えてくれ」って言いましたけど、結構頑固なんで、変えないんですよ(笑)。

石橋:ぜんぜんコミュニケーション取らずで、それこそPLに勝ち…。

牛島:1年生からバッテリー組んでますから、試合で。だから何となくわかりますよ。

石橋:それは、阿吽(あうん)の呼吸でわかるんですか?

牛島:はい。彼の性格上、こうだろうな、とか。

石橋:それで勝ってたんですか?

牛島:あの時のチームは、チーム力じゃなくて個々のわがままなやつの集まりみたいな。

石橋:個の力で勝ってたんですか!?

牛島:面白いのが、一声「さぁ行くぞ!」みたいになったときには、グッと(ひとつに)なるんですよ。普段は適当なことばっかりしてるんですけど、そんなチームでしたね。

あの試合で投げる球がだいぶ変わって「プロに行けるかも」と初めて思った

石橋:それで夏の甲子園決めて、いよいよ、最後の夏。

牛島:埼玉県の仁村徹が。

石橋:上尾高校ですね?あれも激戦でしたよね、上尾高校。

牛島:「負けた」と思いましたね。

石橋:牛島さんが打って。それで延長戦ですよね?

牛島:そうですね。

石橋:あの試合、見てたんだけど、すっごい甲子園、暑そうで。牛島さんね、申し訳ないけど、7回8回9回はヘバってる感じなの。テレテレテレテレ投げていて「ふてくされてんな、今日の牛島は」みたいな。だけど、同点になって、延長になったら、急にすごい球投げて。「全然違う!さっきまでと」って言って。

牛島:あれはやっぱりね、地元の高校で出てるじゃないですか。結構、みんな応援してくれてて。同点ツーラン打ったあとに、マウンド行って1球投げてストライク入るだけで、9割、上尾の応援団以外が拍手してくれるんですよ、一球ずつ。

石橋:急に「浪商勝て!」というムードになるわけですね。

牛島:ストライク取るたびに「うぉー」ってなって、奮い立たせてくれるみたいな。

石橋:ノッちゃうわけですか。全然違うんですもん。やっぱり、よく言う「1試合戦うとどんどん成長できちゃう」という、そういう場所ですか?

牛島:はい、そうですね。「プロに入れるかな?」と思ったのは、夏の大会で上尾高校に勝った後くらいからです。いく(投げる)球がだいぶ変わったんで、人生変えてくれたところかなと。

石橋:それだけ1年生から騒がれてですよ?あれだけ「浪商に牛島あり」と言われていた牛島さんが、プロになろうと思ったのは高3の夏なんですか!?

牛島:はい。甲子園の最後の夏の大会も67キロくらいしかないんです、体重。「これじゃプロで通用しないな」と思っていたんですよ、ずっと。で、最後の夏に「この球だったらひょっとしたら」と本当に思いましたね。

社会人野球や大学からのスカウトも多々あったが、学校側から詳細を伝えられず、どのような誘いがあったのか知らなかったと当時の裏話を披露した。

牛島「あの延長戦の球が、マックス」

石橋:一昨年、久しぶりに甲子園に見に行ったんですよ。良いグラウンドですよね。

牛島:良いグラウンドです。

石橋:特別ですよね。あれは、今見てもそう思えるんだから高校生の多感なときに見たら、それは1試合で成長しちゃいますよね。

牛島:しますよね、絶対にね。

石橋:そうですよね。(上尾戦で)あれだけテレテレ投げていた牛島さんが、ホームラン打った瞬間にすごい球投げていましたから、この人は(笑)!

牛島:あの延長戦の球が、マックスです。

石橋:これ、そうなんですよね、いつか言っていましたね。牛島さんの野球人生で、あの延長入ってからの真っすぐが…?

牛島:一番。143キロか144キロくらい出てましたね。プロ入っても出てないです。

石橋:プロ入っても出てないんだよ、牛島さん。でも、驚くべきことは、140キロに満たない真っすぐで、これだけ長きに渡りプロ生活を送っていたという。いかに投球術とか、ほかのボールを駆使して、その140キロギリギリくらいの真っすぐを速く見せていたかということですよね?

牛島:そうですね。やっぱり速く見せるためには、遅い球を磨かないとダメ。遅い球投げるときには、投球フォームが緩むとバレてしまいますから、遅い球を投げるときほど、速球投げるとき以上のフォーム、体重移動で遅い球を投げる、とかいろいろやっていましたね。

石橋:すごい。僕ね、いろんな話知ってるんですけど、やっぱり天才なんですよ。小学校のときのソフトボール投げが、何メートルでしたっけ?

牛島:56メートルです。

石橋:小学生で56メートルですよ?そんな投げられないでしょう、ソフトボールって。

牛島:天理高校のセレクション受けたときは、115メートル投げました。

石橋:えぇ?

牛島:細かったんですけど、放ることは、放れたんですよ。

石橋:じゃあ、もう少し真っすぐが速くても良かったんじゃないですか?

牛島:そうなんですけどね、真っすぐは、速くならなかったですね(笑)。

「またユニホーム着るということはないんですか?」という質問には、「縁があれば」と回答。「なるようになる」と、 最後まで飄々(ひょうひょう)とした牛島だった。