2024年12月に54歳で亡くなった、俳優で歌手の中山美穂さんの「お別れの会」が、4月22日、都内で営まれました。

“お別れの言葉”を贈ったのは、中山さんが姉のように慕っていたという、小泉今日子さんです。

小泉今日子(59):
初めて会ったのはテレビ局の控え室。狭い部屋を2人で使うことになったんだよね。
人見知りのあなたは、上手に微笑むことさえできなかった。そのとき、あなたはまだ16歳。右も左も分からない、新しい世界に飛び込んでしまって、おびえている子猫のようでした。
あなたの瞳の中には、自分の心の中の真実、つまり サンクチュアリ(聖域)には、誰も侵入させないという強い意思が宿っていました。その瞳は、ずっとあなたの魅力だったよね。
友達になった私たちは「美穂」 「きょんちゃん」と呼び合い、うちに泊まりに来たり、旅行に行ったり、一緒にお酒を飲んではしゃいだり、楽しい青春の時間をたくさん過ごしました。
美穂、さようなら。美穂、よく頑張ったね。美穂、ありがとう、かわいい妹。
美穂、元気でね。美穂、そのうち行くから待っててね。小泉今日子。

訪れた共演者たちが別れを惜しむ中、数多くの作品で共演し、プライベートでも親交があったという永瀬正敏さんは、中山さんとの思い出を話しながら、何度も言葉をつまらせました。

永瀬正敏(58):
10代20代30代の頃は、ほぼ仲間と一緒に毎日のように会っていたので…。あの…すみません。
仲間ですよね、背中を押してくれたこともありますし…あの…すみません。

――きょうはなんてお別れの言葉をかけられたのですか?
お別れはしてません。

森口博子(56):
当時FAXでやりとりしていたんですけど、忙しかった私に「心は健康ですか?」っていうメッセージを送ってくれて「明日も頑張りすぎないように楽しんでね」ってメッセージをくれた。美穂ちゃん自分も忙しいのに優しい。周りのことを常に見てくれている。すごい冷静で芯の強い同期でした。
「皆さんの笑顔が私の宝物」中山さんからファンへのメッセージ
ステージへと向かうゲートをイメージした祭壇には、笑顔の中山さんの写真と、好きだった赤いダリアなどの花々が飾られ、会場には、テレビ番組に出演した際に着ていた衣装や、愛用のギター、写真など 数々の思い出の品も展示されました。

喪主を務めた妹の中山忍さんは、中山さんを愛したファンたちに向けて「どうかいつまでも覚えていて」と話します。

中山忍(52):
姉が今年の3月1日で55歳になりまして、デビュー40周年の記念の年だったんですね。
コンサートツアーをやらせていただく予定でしたし、ファンの方に直接40年応援してきてくれてありがとうございますって言いたかったと思うんです。
どうかいつまでも姉のことを覚えていてください。
とっても優しい人でした。ことあるごとに姉は、忍と弟のことはお姉ちゃんが守るからねって、ずっと言ってきてくれていたので、姉が急にいなくなってしまったことに、ああこれからどうやって生きていったら良いのかなって、本当に心細く思いました。
まだお別れを言いたくないんですね。なので、ただ、ただもう一度会いたい。

参列したファン:
(ライブの時に)皆さんが(ペンライトを)つけるじゃないですか?それを見てミポリンが「アイドルみたいだね、アイドルみたいだね』と言ってくれて。
こう振っていたら「遠い街のどこかで…」歌ってくれたんですよ。そしたら目があって、一緒に「Happy merryX`mas」 と歌っていたら、一緒に首を振ってくれていたので。それを思い出して…、泣けてきます。

献花に訪れたファンには、中山美穂さんのサインとメッセージが添えられたカードが配られました。
その中には、こんな言葉がつづられていました…。

『中山美穂さんからのメッセージ』
これだけたくさんの人がいて、皆さんもそうだと思うけど、ここまでの人生の中で、やっぱりいろんなことがあったりとか、積み重ねてきたものがあると思うんです。
とっても尊い、素晴らしい、愛せる人生を送ってきたと思います。
いろんな選択をしてきて、ここまで来ました。
いろんな道があって、そこでいろんな出逢いがあって、ご縁があって、人と出逢って、私の場合、曲と出逢ったりとか、作品と出逢ったりとかします。
今までのすべてが大切です。そして、きてくれたみなさんの笑顔が私の宝物です。どうもありがとう。
(『サン!シャイン』 2025年4月23日放送より)