1972年千葉県出身の金巻芳俊は、木を素材とした作品を生み出し続ける彫刻家。現代木彫の世界で最前線を走る人気アーティストの一人で、国内での活動はもちろん、近年では台湾をはじめとするアジアへと活動の幅を広げている。
現在では展示をすれば作品は即完売、予約は10年待ちとなるなど日本を代表する彫刻家の1人だが、大学卒業当時は理解者を得られず、苦しい時代も続いた。
新進気鋭のアーティストの考え方に迫るシリーズ企画「アートに夢中!」。今回は伝統性の強い木彫の世界の魅力を継承しつつ、現代のあるべき姿へと更新していく金巻の世界観と挑戦について話を聞いた。
【写真でみる】現代の彫刻家 金巻芳俊のアンビバレントな世界
当時は全くの無反応…モヤモヤしたまま7、8年「辛い時期でした」
――金巻さんの制作は、特にコンテンポラリー(現代的)なシーンでの木彫表現そのものが一つのテーマであるように感じます。木彫との出会いや学生時代の話から伺ってもいいですか?
元々はプロダクトデザインを学ぼうとしていて、木彫どころか彫刻とも無縁でした。
美大受験の浪人中「デザインか、ファインアートか」と揺らいでいた結果、最終的に表現活動を自分一人でやりたいなとアートに進みました。
木彫については素材との相性が良かったし、何より木彫の「削っていく」というマイナス思考の制作プロセスが気に入ったんですね。
木彫のシーンで言うと仏教彫刻の流れを受け、脈々と継いできた近代木彫の文脈があります。僕が在籍していた当時の多摩美術大学の彫刻科では、その近代木彫の流れを汲んだアカデミックな気風というか、団体展系の作家の方が多かった印象があります。
僕の周りではマーケットや海外まで視野に入れた作家は決して多くなかった。木彫に対して地に足の着いた考えや技術、表現があるけれど、自分が探求する道として捉えた時に、片輪しか備えていない様な物足りなさを感じていました。
1990年代は舟越桂氏や籔内佐斗司氏が伝統を踏まえながらコンテンポラリーな文脈の木彫表現を切り開いていた時期。自分が現代という時代で制作する意味や理由を考えた時、両氏の様なコンテンポラリーな多様性のある表現に強く惹かれて、自作にも取り入れて行った記憶があります。
――金巻さんは作品を語る上で「アンビバレンス(相反する感情を同時に持つこと)」というワードをキーにしていますが、これはどういう意味でしょうか?
「かたち」と「カタチ」が組み合わさって変容して行く様に興味を覚えていたし、そういう傾向は作品にも強く反映されています。
多面性や揺らぎは作品の造形的な面白さである一方、自分自身が彫刻を表現するにあたっても迷いや揺らぎがあります。その表出が「アンビバレンス」という言葉に集約されています。
迷いや二面性、多面性は誰しもあることだし、それをテーマに絵画で描いている人はいるけれど、彫刻でやっている人は見当たらなかった。「アンビバレンス」を可視化すると「こういう形になるよ」というのが僕の提案なんです。
――金巻さんの作品は当時の木彫のシーンを考えると相当に前衛的に映ったと思いますが、発表当時の反応はいかがでしたか?
それが・・・当時は全くの無反応(笑)。
もちろん初期から今の作風ではありません。試行錯誤の末に現在の様なかたちになったのは10年くらい前かな。それまでは近代彫刻的アカデミズムを引きずっていた節はありますね。
アカデミズムでは収まり切らない作品を創り出したかったし、現在の様にコマーシャルギャラリーが若手作家を取り上げて実験的な展示、発表が出来る機会も少なかった。
舟越桂氏等はしっかり国際展やコマーシャルのステージで発表されていたけれど、自分とは全く違う地平に思えたし、そこに接続できないジレンマがありましたね。そういうモヤモヤした期間が大学を出てから7、8年続きました。なかなか辛い時期でした、今思うと。
――村上隆さんが主催する現代美術の祭典Geisaiなど作家主導のシーンもあったと思いますが、そうした同時代のシーンには対してはどの様な距離感だったのでしょう。
2000年代に入り村上隆さんがスーパーフラットやGeisaiなどで積極的にアートシーンを盛り上げていました。マンガやアニメーションは見てはいたけれど、僕自身が表現したい彫刻と直接結びつくとは思えなかった。
確かに僕の背景にはプラモデルやフィギュア、その原作になったマンガ、アニメなど、80年代のサブカルチャーがあります。
でも、そちらに振り切って専業に進みたいという意思は持たなかったし、当時は美術とサブカルは分断している様にも見えていたので、彫刻とは切り分けて考えていました。
とは言え、アカデミックに寄せるような作品づくりをするのも違和感があるな、と。
だから90年代~ゼロ年代のネオポップ、サブカルシーンを横目で見ながらジリジリしていたのが正直なところだったと思います。
――現在は台湾をはじめアジアでも好評を得ていますが、何が転機だったんでしょう。
2008年頃から今の「アンビバレンス」シリーズに繋がる作品を始めたんですが、今はもうなくなってしまったギャラリーオカベという貸画廊で展示をしていた時に現在の所属画廊のFUMA Contemporary Tokyoのギャラリストと出会いました。
作品に興味を持ってくださって、お話しする中で「チャンスを下さい!」といった覚えがありますね(笑)。
個展でもフェアでも、何かチャンスを頂ければ必ずお返しします!と。同年代の作家は評価を受け始めていたし、積極的に自分を打ち出す覚悟が必要な時期だったと思うんです。
「気が付かれず埋もれてしまう怖さがある」
――木彫についてはアジアと日本のシーンの差を感じることはありますか?
僕がよくご縁のあるのは台湾なんですが、近隣として日本と似通った部分はあると思います。日本の彫刻をよく研究している印象もあるし、文化的に中国からの影響もある様に思えます。
台湾に限らずアジア諸国では様々な地域、年代のポップカルチャーがミックスされていて、日本人からすると「これ見覚えあるな」という懐かしいものでも新しいものに変換されていく。そういう鮮度の高い文化を生み出していく力が感じられますね。
日本はシーン的にある程度成熟、高齢化している一方で、アジア諸国は非常に若い。アーティストもコレクターもギャラリストも、日本がかつて持っていた若さ、活力がある印象ですね。
――2018年には木彫をテーマにした展示をキュレーションされています。こうしたひとつのシーンを取りまとめる仕事はどういった意図があったんでしょうか。
僕の年代プラスマイナス10歳くらいの年代で、多種多様な面白い木彫作家が増えてきました。新しい切り口でコンテンポラリー的な見せ方をする人も、伝統に根差した重厚な仕事をする人も出てきた。
これは今の時代に積極的に見せるべきだろう、という思いがあり「木学XILOLOGY」という展示を企画しました。
例えば人体、動植物など木を用いて制作する人は昔も今もいて普遍的なモチーフなのですが、時代に合わせて捉え方も表現手法も変えていく。
使われている技術や道具も進化しています。受け継がれている木彫、進化を止めない木彫を俯瞰して見せる場が必要だと思っています。伝統を継承しつつ、より良く更新させたいという気持ちもある。
「木学XILOLOGY」では継承という視点で語られるメンバーもいるし、更新という視点で参加したメンバーもいます。
けれど、1年後もしくは2年後に企画したら前回とは違ったメンバー構成になるかもしれない。それくらい現代木彫作家の層が厚くなってきていると思うんですよ。
こういう展開をしている人もいる、こんな技術を生み出している人もいるという風に、相当に実っている時期だと思っているんです。
なので、その活況を途絶えさせないためにも、然るべき場所とタイミングで発表していきたいし、認識してほしいと切望しています。そうでないと、気が付かれず埋もれてしまう怖さがあると思うんです。
――木彫という表現領域の制作やキュレーションをする中で、金巻さんのポジションはリード的になってきたと思います。下の世代や今後の活動についてはどう考えていますか?
それに関しては本当に草の根運動のような感じですね。多摩美(多摩美術大学)で授業を持ったりもしますが、あくまで彫刻をやったことのない初心者のための導入的な授業なので、裾野を拡げるのに専念している感じです。
後進への育成指導よりは、企画や展示などを一緒にやれることがあったらいいと思う。立ち上げた「木学」もそうですが、師弟の様な関係性よりもお互いに刺激できる機会を設けて、世代問わず一緒にチャレンジするような試みを続けていきたいと考えています。
金巻芳俊(かねまきよしとし)
1972年千葉県出身。1999年多摩美術大学 美術学部 彫刻学科卒業。多面的な人物が木彫によって表現される金巻の作品は、人の持つ精神的な揺らぎや二面性、矛盾を孕んだ精神性をアンビバレンスというワードを手掛かりに、削り上げていく木彫という技法によって造形化し、提案する。国内の木彫シーンにおけるプレゼンはもちろん、近年では台湾をはじめとするアジア諸国へと活動の幅を広げる。
最新作として、角度によって見え方が異なる、金巻特有のアンビバレンスな性質を備えた版画が注目されている。
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