斉藤ブラザーズ(斉藤ジュン&斉藤レイ)インタビュー

――おふたりは、中学校まで宮城県・角田市で暮らし、その後、高校・大学をアメリカで過ごし、帰国後、出羽海部屋に入門します。なぜ相撲をやろうと思ったのですか?

レイ:もともと相撲や格闘技が好きだったんですけど、高校生のときに何か格闘技をやって生きていきたいと真剣に考えるようになりました。当時アメリカで、横綱・朝青龍関の取り組みをYouTubeで見ていて、筋肉質でカッコいいし、とにかく強かったので自分もやりたいなと思うようになったんです。それで、日本に帰って相撲をやろうと思い、その後帰ってきた兄と一緒に入門しました。

ジュン:俺は、当時めちゃめちゃ流行っていたK-1が好きで、K-1をやりたいと思っていました。それで、大学を卒業したあとにアメリカでトラックの運転手をやってお金をためて。日本に帰ってきて埼玉のジムでキックボクシングをやることにしたんです。

だけど、練習はもちろん厳しかったですけど、何より減量がきつかった。

食べないで練習することができなくて「これは、ちょっとできないかもしれない…」と思っていたところに、弟から一緒に相撲をやらないかと誘われて。相撲とキックボクシングは全然別物なんですけど、俺ももともと相撲が大好きだったし、母親も相撲好きだったので「じゃあ、やってみようか」と。

レイ:「ちゃんこ腹いっぱい食べられるぞ」って誘って(笑)。

ジュン:ご飯が食べられたら、稽古がいくらきつくても大丈夫だったんです。自分はやっぱり食べられないとダメなんだなって。それが23歳の手前で、年齢制限ギリギリでした。

――そこから8年後に相撲を引退し、今度はプロレスラーへ転身することとなります。

レイ:引退後、兄は兄で別の仕事をし、自分は長野の北アルプスの山小屋で働いていました。アウトドアや自然が好きだったので、相撲を辞めたあとは、そういう仕事をしようと思って3シーズンくらい働きました。

ただ、相撲は8年やったけど関取になることができなかったので、不完全燃焼のような気持ちが大きくて。そんなとき、YouTubeでプロレスを見ていて面白いと思い、また一からそういった世界で生きたいと思うようになって。それで「一緒にやろう」と兄を誘いました。

ジュン:誘われたのはよかったんですけど、相撲生活も長かったですし、プロレスがどれほど厳しい世界かというイメージはだいたいあったんですよ。年齢も30歳を超えていたし、それでもプロレスをやろうというのは、最初は頭がおかしいんじゃないかと思いました。だから、30回以上は本当に断ったと思います。でも、あまりにもしつこく誘ってくるので、最終的に俺が折れて「わかった、やるよ」って。

その代わり、「絶対にテストに合格してプロレスラーとしてデビューするから、どんなに厳しくても苦しくても絶対に辞めるって言うなよ」と約束して、ふたりで頑張ろうとなりました。

もちろん自分のなかにも不完全燃焼のような思いがずっとありましたし、プロレスも大好きだったので、気持ちをゼロにして一から頑張ってみようと思いました。

レイ:相撲を引退したあと、自分もですけど、兄はそれ以上に体を鍛え続けていたので、もったいないというか。せっかくだからまた格闘技の世界に行ったほうがいいんじゃないかという思いもありました。

小学校のころ、テレビでジャイアント馬場さんの試合をよく見ていたというふたりは、ジャイアント馬場さんが創設し所属選手としても活躍したという理由で「全日本プロレス」のプロテストを受け、合格。過酷な下積みを経て2021年6月9日にデビューします。

――レイさんとしては、どうしてもジュンさんとふたりでやりたかったのですか?

レイ:そうです。もう、シングルでやるより(ふたりが敬愛するアメリカの)ザ・ロード・ウォリアーズとか、タッグチームが好きで見ていたし、絶対にタッグでやったほうがいいと思っていて。

もちろん、今後はシングルとしても、自分ももっとベルトを狙っていくというのはありますけど、やっぱり兄弟で、斉藤ブラザーズとしてタッグでやりたいという思いが強かったですね。

ジュン:でも、最初から自信はすごくありました。30歳を超えていたけど、プロテストに合格さえすればデビューできるという自信がありました。そういう自信が、今の自分たちの強さにもつながっていると思います。