石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

10月27日(火)の放送は、木製バットクラフトマン・名和民夫氏が登場。バット職人となった経緯や、イチロー氏、松井秀喜氏らとの交流などについて語った。

バット製作現場で石橋が見たピラミッド型に積まれた原木

15年ほど前、「ミズノの工場に行ったことがあるんです」と話す石橋。当時、“バット作りの名人”として有名な久保田五十一(くぼた・いそかず)氏に話を聞いたというが、その場に名和氏もいたという。

石橋:工場で、ピラミッド型に原木を(積んで)、自然乾燥させてるんですよね、あれ。

名和:そうですね。

石橋:何本あるかわからないんですよ。それで、久保田さんというバット職人の第一人者は「この中で、イチローくんと松井くんに渡せるバットは1本か2本ですね」って言ってましたね。

名和:そうですね、はい。

石橋:本当に一番いいやつが、あの当時、イチローくん、松井くん(の元)に行ってたんですか。

名和:そうですね。100本見たときに、イチローさんと松井さんに使えるようなバットというのは、本当にその中から1本、2本出るか出ないかというような感じですね。

石橋:それで実際、イチローくんと松井くんだったら、年間何本くらい持ってくんですか?

名和:だいたい80本から90本くらいが1年間に使用する、というか、お渡しする本数ではあったんですが。ただその、全部を試して使っていただいて、“試合用”は、だいたい5割。40本くらいが“試合用”として絞り込まれるんですね。

職人が厳選した中から、さらに選手自身が厳選を重ね、試合で使用するバットを絞っていく過程に、石橋は「すごい」と声を上げた。

バットクラフトマンになったのは「人事異動」

現在は、木製バットクラフトマンとして、選手たちから絶大な信頼を得ている名和氏だが「バット職人になろうと思ってなったわけではないんですよ」と語る。入社当初は、ゴルフクラブ製造部門にいたそうだ。

名和:5年くらいですかね、ゴルフクラブを作っていたんですけど、たまたま、私の前任者が退社をすることになったもので、その時の上司が「名和を推薦したいんだけどどうだ?」ということで、この現場に来たというのが正直なところ。なので、言い方申し訳ないんですけど「人事異動」なんですね。

石橋:最初は、ゴルフクラブ作っていたんですね。

名和:はい。バットの方に来たときに、久保田さんと一緒に仕事をすることになったんですけれど、非常に厳しい方で。技は教えてもらって習得するのではなく…。

石橋:見て覚えろと。

名和:はい。「ただし、ひと言言っておくと、“素材に勝る技術はない”から」と。

木製バットクラフトマンは、原木の良し悪しを見分けられるかどうかが職人として大成できるかの鍵になると教えられたそうだ。では、何が決め手になるのか。

名和:木目であったりとか、いろいろな要素があるんですけど、その中で久保田さんによく言われたのは「原木の中にバットを見ろ」と。

石橋:原木の中に…?

名和:「その木の中に、バットを当てはめてみなさい」と。原木の中にバットを落とし込んで、良いバットができると思ったときには、それを「イチローさんとか松井さんに渡しなさい」と言われました。

名和氏は、あらかじめバットの芯の位置を想定して削るのではなく、「削ってバットの形にすると芯ができる」。さらに、乾燥した原木の段階で高い音を出すものはボールが良く飛び、低い音を出すものは、さほど飛ばない傾向にあると解説。

イチロー選手のようにヒットを求められる選手なのか、バントなどボールの勢いを殺すことを求められる選手なのか、「選手に合わせた材料を選んでいくのが、削る前に私たちが判断しなくちゃいけないところ」と語った。

後継者として一流選手にあいさつ…イチローからの「覚悟を持って」

2008年、久保田氏の後継者としてイチロー氏、松井氏に紹介された。松井氏からは「久保田さんと一緒に仕事をしていた方なので、心配しているところはありません」と言ってもらったそうだが、イチロー氏から受けた言葉が「鮮烈だった」と語る。

名和:「作り手が変わるというのは、僕にとっても非常に怖い部分があります。なので、相当の覚悟を持って仕事に臨んでください」と、私の目を見て言われたんですね。そういうニュアンスで言われた、という記憶があるんですが、あとはもう記憶が真っ白の状態で、それ以外のことは何も覚えていないんです。

バットはもちろん、グローブにも相当のこだわりがあったイチロー氏のエピソードを知る石橋は「それだけ厳しいんですね」と唸った。

名和:そうですね、ですから「相当の覚悟を持って」と言われた時に、あのバッターボックスに入るときの選手の精神状況というか、プレッシャーは私たちがバットを作るよりも、もっとすごいところで勝負しているんだなと改めて思ったので、私自身の今までやってきたものをかなぐり捨ててというか、そこからまた心機一転、頑張らなくてはいけないなと思った瞬間でもあるんです。

と、当時の心境を振り返った。

選手から「バットに打たせてもらった」と言われる仕事をしたい

自分が作ったバットを使って「選手が活躍をするとうれしい。それが今の自分の仕事のうれしさでもある」と名和氏。石橋が「これだけは、やり遂げるぞという夢はありますか?」と訊ねると…。

名和:久保田さんがある選手の方と話をされた時に「久保田さん、俺の技術じゃなくて、このバットに打たせてもらったホームランが1本だけあるんだよね」って言っていただいたそうなんですね。私も、そういうことを言っていただけるような仕事がしたいなというのが、今の夢ですね。

石橋:素敵なことを言ってくれる選手がいたんですね。

名和:そうですね。僕もあの、非常に選手の方には失礼なんですけど、まだ自分で“うまい”と思っていないんですね。もっと上手になりたいんですよ。

石橋:まだ足りないんですか?

名和:もっとうまくなりたいです。プロ野球の選手と一緒です。プロ野球の選手の方も、引退するまで「もっとうまく打ちたい」とか「もっと上手に守備がしたい」とずっと思ってるんですよ。私も「もっと上手に削りたい」。

名和氏は、いい仕事をするのに先輩も後輩も関係なく、「良さそうだ」と思ったことは、後輩がやっていることでも取り入れるようにしていると仕事との向き合い方についても語った。

最後には「渾身の1本」として石橋のネーム入りのバットをプレゼント。「これ『リアル野球盤』で打っちゃっていいですか!?」と石橋は喜んでいた。