毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。

5月23日(日)の放送は、常盤貴子、鈴木砂羽、中川翔子が登場。3人は、2015年に放送されていた連続テレビ小説『まれ』(NHK)の共演をきっかけに「まれ婦人会」を結成、親交を深めた。

それぞれの幼少期の話題や芸能界に入るきっかけ、いじめ克服法、コロナ禍での気づきなど、さまざまな話題で盛り上がった。

「稽古場で話すことがすべて。家でのダメ出しはない」

まずは、常盤の夫である長塚圭史が演出を担当する舞台「王将」-三部作-に出演している常盤に、中川が「どんな感じなんですか、旦那さまに演出されるって」と投げかけた。

常盤:基本、やっぱり、稽古場だと「演出家の言うことに従う」「演出家のやろうとしていることを実現する」のが俳優の役目だっていうのが全員にあるから、もう稽古場においてはやっぱり演出家の言うことを従う。だから、それはもう別に…自分にとってはそのときは夫ではないし。

中川:ほかの舞台とも変わらずに。

常盤:うん。

中川:じゃあ、終わって「お疲れさまでした」「一緒に帰ろう」とか、そういうことはないですか?

常盤:一緒に帰ったりもするよ。

中川:帰ってるんだ。すごい。

鈴木:それは、いいんじゃない?

中川:かっこいい。

常盤:想像してるほうがずっと大変だったんだけど、やっぱり「稽古場で話すことがすべて」っていうのがあるから、家で稽古のダメ出しとかはない。

中川:お家で「やっぱり、あそこがさ」って言い出すと…。

常盤:そうなると、たぶんイヤになっちゃうと思うけど、それはないから。

中川:線引きしてるんですね。

常盤:そう。やっぱり、ダメ出しは全員が聞いてるところでする。家でもダメ出しされたらイヤだよね。

鈴木:イヤですよ、イヤだよ、もう。

中川:イヤだ、イヤだ。

とはいえ、ソファで寝てしまった長塚を起こすと、寝ぼけて「じゃあ、ぶつかるところからやろうか、せーの」と始まることがあるそうで、「何かやんなきゃいけないの?みたいな気になるのよね。それはもう本当に大変」と、演出家の夫との暮らしぶりの一端を明かした。

連ドラの女王への道は「マネジャーさんが導いてくれた」

父親が俳優・ミュージシャンだったという中川、両親ともに画家の鈴木に対し、一般的な家庭に生まれ、事務所に所属したときもごく普通の短大生だったと話す常盤。女優となり、“連ドラの女王”と呼ばれるまでになるには「やっていく中で、マネジャーさんが導いてくれた」という。

常盤:就職をするのか、この世界でやっていくのかの2択で。事務所の社長が「3年後でも普通の仕事をすることはできるだろうから、とりあえず3年間はこの仕事で頑張ってみなさい」って言ってくださって。「ちゃんと給料制にしてあげるから」って言われたから。「じゃあ、就職するのと同じか」と思って。

中川:ドラマにブワーっと、ずっと続けて出まくるときって、脳みそどうなるんですか?大変そう。

常盤:それがでも、ありがたいことに、ちゃんと1個ずつやらせてもらって。1個やったらちゃんと何日間かお休みをいただいて、また次のっていうふうにやってもらえたから。

中川:大変って思わないでやれてたんですか?

常盤:全然。もう、楽しいばっかりで。

中川:すごい。

常盤:いや、大変だったけど、本当に今振り返れば、だいぶ…病んでたけど(笑)。

鈴木:(笑)。

常盤は「でも、まあまあ大丈夫って感じ。そのころはそのころで」と、当時を振り返った。

21歳でデビューの鈴木「20代は生きづらかった」

常盤が順風満帆にキャリアを積んでいたころ、鈴木は「生きづらかった」と回顧した。

鈴木:すごく「ちゃんとしなさい」ってよく言われてたの。ちゃんとというか「敬語も使えないのか」とか、そのレベルから言われてたから。すごい、生きづらかった。20代が生きづらかった。

中川:えー。

鈴木:デビューも21歳ぐらいで遅かったし。(常盤が)すごいドラマにバンバン出てたときに、ちょうど同じアパートに住んでた友達が、私の部屋に駆け込んで来て「今日、代官山で常盤貴子見たよ!」って(笑)。

中川:なんか、その友達いいな(笑)。

鈴木:代官山のケーキ屋さんにいたんだって。「めっちゃ細かった!」とか言って。そういうのが、すごくこう…何か、芸能界ってそうでなくちゃいけないんだっていうふうに。「きれいでなくちゃいけないんだ」っていうこともすごいプレッシャーだったし。

これに、中川も16歳のころ、母親に連れて行ってもらった香港で、憧れていたジャッキー・チェンと運命的な出会いを果たし、ジャッキーの事務所に入るという奇跡が起こったものの、「仕事がなさすぎてクビになりました(笑)」と、下積み時代を語った。

コロナ禍の自粛で仕事がなくなり「ついに終わった」

また、中川は、昨年の緊急事態宣言で「気持ちが落ち込んだ」と明かした。

中川:細かくずっと忙しくさせていただいていたんですけど、去年のステイホームで初めて、休み。仕事全部なし、ってなって、めちゃくちゃ落ち込んで、「ついに終わった」とか思ったんですけど。変わりましたか?考え方とかお仕事に対して、コロナで。

鈴木:本当に、そういうふうに不安になろうと思えば、いくらでもなっちゃうじゃないですか。仕事のことに関しては、なんかもう底なしというか。でも、そんなのコロナじゃなくたって、いつでもそこに、隣にそういう不安はあったりはするわけですよ。

中川:確かに。そうか。

常盤:もともと私たちの仕事って依頼をされて、それをやらせてもらうという仕事だから、意外と作品と作品の間に、結構時間があるということもあるから。

中川:ああー!

鈴木:だから、いかにその仕事をしないときのモチベーションというか、そういうのを保つのも仕事かなって。

常盤:たぶん、その訓練がずっとできているんだと思う、私たちは。

中川:できてたんですね!

鈴木:それを先輩たちに教えてもらうこととかありましたよね。「そんなのもう、じたばたしてもしょうがねぇ」みたいな。

「『待つのが仕事』って先輩が言っていた」(常盤)、「実際ね、現場でもずっと待ってるし」(鈴木)という2人の言葉に、中川は「そっか」とうなずいていた。

久しぶりの再会に、話が尽きない様子の3人だが「(テレビでは)言えない話もしたい」(中川)と、プライベートでの「まれ婦人会」の開催を約束して、鼎談は終了した。