中村勘九郎「父も、喜んでるなって思いました」坂東玉三郎がカーテンコールで平成中村座の舞台に
12月22日(金)放送『密着!中村屋ファミリー 勘九郎の涙 七之助の宿命 姫路城で歴史が動いた!46年ぶりの衝撃SP』
中村勘九郎さんが、中村屋一門の一年を語りました。
12月22日(金)、『密着!中村屋ファミリー 勘九郎の涙 七之助の宿命 姫路城で歴史が動いた!46年ぶりの衝撃SP』(フジテレビ)が放送されました。
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2023年、人々はようやくコロナ前の活気を取り戻し始め、歌舞伎の舞台にも観客のあふれんばかりの笑顔と歓声が帰ってきました。中村屋もその期待に応えるかのように疾走。
姫路城と小倉城、ふたつの名城を借景にした「平成中村座」では、歴史的な芸の継承や地元女子学生とのにぎやか交流が。一方、古参の門弟との突然の悲しい別れも…。そんな中村屋ファミリーの激動の一年にカメラが密着。
番組から、中村勘九郎さんのロングインタビューが到着。未公開分を含む、その談話を紹介します。
<中村勘九郎 インタビュー>
――5月は、姫路城で「平成中村座」を上演しました。
世界遺産登録30周年を記念して「平成中村座」ができるというのは、素直にうれしかったですし、プライベートでも姫路城の方にうかがったときに、あの三の丸広場を見て「こんなにいい土地がある」というのは、ずっと思っていたことなので、ワクワクしましたね。
そのワクワクが現実となった瞬間、ロケーション的には、今までの「平成中村座」史上最高のものになったんじゃないかと思います。
あの橋を渡って門をくぐって、またあのカーブがいいんですよ。(先が)見えない角を曲がるっていう。何なんだろう。遊園地の、テーマパークのアトラクションに入った瞬間みたいな感覚でしたね。
曲がった瞬間に、三十軒長屋が手前にあって「平成中村座」があって。そのうしろに、姫路城がある。あれを見たら、笑いが止まらなかったですね。素晴らしいロケーションでした。
――演目は、どのように決めたのですか?
僕が提示したのは「播州皿屋敷」と「天守物語」。これは、ぜひやった方がいい、やりたいと。でも、これは自分がやるものではないから、(中村)七之助の意見というのがすごく大事ですし、彼をどうにか口説き落とすというね。これはもう、みんなでしましたね。
やはり、おいそれとできる演目ではないですし、アンタッチャブルなものだったと思います。僕にとっても、彼(七之助)にとっても、本当に尊敬して大好きな先輩、坂東玉三郎のおじさまという方がいらっしゃって。その方が作り上げてきた世界ですので、触れちゃいけないもの、“お持ち帰りのもの”という感覚があったんですけど。
でも、それじゃあ本当にもったいないですし。どうにかこの「平成中村座」で、姫路城で公演するっていうので、七之助にやってほしかったですね。
――玉三郎さんが、一から稽古に来てくださいました。
稽古を見てくださった瞬間というのは、たぶん、ずっと忘れないでしょうね。歌舞伎をやっていれば、これは当たり前のことなんですけれども、受け継がれる伝承というか。
おじさまがお座りになっていて、その目の前で富姫の台詞を発している弟を見た瞬間は…うん…良かったなと思いましたね。
コロナもあって、僕たちが追い求めていたものが、やっぱりいろんな先輩たち、大好きな人たちが亡くなって、受け継げなくなって、もどかしい気持ちがあったんです。
(だからこそ)あれが伝わった瞬間というのは、うれしかったですね…。精神というのが受け継がれたのは、良かったなと思います(と言って、涙ぐむ)。
玉三郎のおじさまは、2月から定期的に稽古を、そして姫路に入って本当に朝早くから夜遅くまで、明かり(舞台照明)を作ってくださいました。
演出も、ダメもとでお願いしたんですけれど、快く引き受けてくださって。こちらが心配になるくらいに「天守物語」を作り上げていく姿を見て「ああ、こうならなきゃいけないし、(こう)なるためにはいろんなことを知らなければいけない。勉強しなきゃいけない」と、改めて感じました。
――カーテンコールでは、玉三郎さんが舞台上に…。
初日と2日目、姫路に入ってくださって。初日ね、カーテンコールで下手(しもて)から、おじさまが出てきたときは、うれしかったですね。
僕らも大好きですけど、うちの父(十八代目 中村勘三郎さん)がね、本当に大好きな人だったので。いつかは「平成中村座」にって話をしていたのも知ってるし。でもね、チャンスがなくて。
もちろん「お染の七役」を教えに来てくださったときとか、「平成中村座」の空気とか雰囲気とかは知ってますけれども、舞台に立つ、お客さまのところに…というのはね。良かったなと思いました。お父さん、喜んでるなって思いました。大好きだったので。
でもそれは、七之助のおかげですね。あっぱれです。あいつが良くなかったら、できなかったですからね。本当にいい弟をもったし、それをもって親孝行ができている彼を見て、本当にうれしかったですね(と、再び涙)
――姫路城公演では、昼の部で学生貸し切りの日がありました。
うれしかったですよ。やっぱりね、歌舞伎を観たことのない方はたくさんいますし、歌舞伎教室だとか、そういう授業の一環として見ることが多かったんですけれども、全館貸し切りであの「平成中村座」という雰囲気を味わってもらえたのでね。
学生さんたちのアンケートを見ても、「見方がわからない」と。そこは、歌舞伎のもつイメージなんでしょうね。
見方なんてないじゃないですか。でも、「どうやって観たらいいのか」「ルールがあるんじゃないか」と思わせてしまっているという部分を、これから変えていかないといけないなというのはありますね。
――実際に、学生の反応はいかがでしたか?
最初の「播州皿屋敷」は、最後の演出はみんなで考えて。あれは、すごかったですね。たぶん、表まですごい声が響いてたんじゃないかな。ただでさえ、あそこは音漏れが多いので、「キャーキャー、ワーワー」と(笑)。
その「播州皿屋敷」のせいでですね。鰯賣(「鰯賣戀曳網」/いわしうりこいのひきあみ)で花道から出るんですけれども、揚幕(あげまく)を開けるときにシャリンという大きな音がするので、(揚幕が)開いた瞬間に、花道脇の生徒たちが悲鳴をあげて飛び退くっていうね。
恋煩いで弱々しく「伊勢国に…」って言わなきゃいけないのに、笑っちゃって。でも、そうやって楽しんで見てくださったので、良かったなと思います。
――姫路という街はいかがでしたか?
最高でした。本当にいい街でした。
初めて行く土地ですし、不安だったんですよ。一ヵ月の興行をしたことがない場所だったので、食べることひとつとっても、お店を知らないですし。「食」は、体のメンテナンスの部分で影響が大きいですから。でもね、冗談抜きで全部おいしかったです。行ききれなかったですもん。だから、早くまた行きたい(笑)。
駅を降りて、幟(のぼり)が立っていて、ポスターが貼ってあって…商店街だけではなく、街全体で歓迎してくれたのは、本当にありがたいことでした。また姫路に戻って来たいですね。
――9月には、古参のお弟子さんである、中村勘之丞さんとの別れがありました。
勘之丞さんは、もうやさしさの塊です。とにかく、とにかくやさしい人だった。感情の匂いって、わかるじゃないですか。イライラしたり、ピリピリしたりだとか。その匂いがしないというくらい、やさしい人でしたね。
仲助さんから勘之丞さんになったときと、僕ら兄弟の役者としてのスタートが一緒だったのでね。思うこところは、たくさんあります。
あとはね、いい男だった。ビジュアルが。亡くなって、お家に行ったんだけど、隆行(七之助)と一緒に「やっぱり、かっこいいよね」という話をしました。役者の「二枚目」っていう人でしたね。
勘之丞さんの存在は、大きかったですよ。だって中村屋はね、こうやって密着してもらってさ、ほのぼのした風だけれども、実際は曲者ぞろいなんですよ(笑)。その中で、一番人間的にも、まともな人。ちょっと天然だったけど、まともな人だったからさ…。
――十七代目(中村勘三郎)のお弟子さんということで、我々は勘之丞さんに十七代目の匂いを感じていました。
芝居でも、例えば今度の「籠釣瓶」(籠釣瓶花街酔醒/かごつるべさとのえいざめ)でもそうですし、(十七代目)ゆかりの演目をやるときに、その昔の匂いだとか、出ているだけでその時代の雰囲気だとか、祖父の芝居とかっていうのを肌で感じて、同じ空間に出ていた人たちが、どんどんいなくなっちゃうっていうのは、本当に怖いですし、若い(中村)仲助とか(中村)仲侍とか、立役(たちやく)の先輩だったわけですから、もっといろんなものを教えてほしかったと思ってるし、もっといろんな話もしたかった。
だからやっぱりね…嫌ですよね。嫌だね、嫌だな。悲しいとか寂しいとか悔しいでもいい。とにかく、いなくなっちゃったのが嫌。
――11月は「平成中村座 小倉城公演」がありました。
ゆかりの場所近くでの公演。壇ノ浦、安徳天皇、七盛塚とお参りさせていただいて、次の日に(新中納言)知盛で出ていったら、全然そんなつもりではなかったんですけど、久しぶりに「持っていかれる」という感覚を味わったんです。
頭の中は冷静なんですけれども、「あ、これ完全に持っていかれちゃう」「ああ、なんか、このまま尽きてもいいや…」っていう。
これは、怖いことだし…いやでも、たまらなかったですね。
――中村芝翫さんが復活させた「小笠原騒動」を、勘九郎さん、中村橋之助さんとつないでいく形になりました。
これは、平成11年に芝翫の叔父が復活させた演目で、ロングランでもかかって、僕もいつかやってみたいなというのを、(4年前に)ご当地の小倉でやらせてもらったんですけれども。
最初に憧れていたのは、芝翫の叔父の岡田良助だったわけで、これは絶対3人(中村橋之助、中村福之助、中村歌之助)につなげないといけないと思っていたのでね。
もちろん、何年後かにはどこかでやっただろうけれども、20代の…国生(橋之助)が28くらい、宜生(歌之助)になると22と若いでしょう。
それを早く、とにかく早くつなげれば、今後いろんなところで、芝翫の叔父が作ったものをお客さまに観てもらえる機会が増えるじゃないですか。これはもう絶好の機会だなと思って。
「小笠原騒動」を小倉城公演で再演するとなったときには、もう自分の中では決まっていました。
――今回は、若い世代が台頭する公演となりました。
若い、年寄りとかじゃなく、ベテランだ若手だっていうのではなく、うちの父がそうだったように、みんな同志ですからね。チームですから、カンパニーなので。
僕らもそうやって与えてもらって幸せだったし、怖かったし、プレッシャーだったしっていう経験をしてきました。
みんなにも、どんどんいろんなものをやってもらいたいですし、 これから夢が膨らみますよね。
聞き手:花枝祐樹(番組ディレクター)
公式HP:https://www.fujitv.co.jp/nakamuraya/index.html
TVer見逃し無料配信:https://tver.jp/series/srnrupcret
<2024年1月5日(金)13時50分まで>
FOD見逃し無料配信:https://fod.fujitv.co.jp/title/3691/
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