中村七之助「“間違いなく”後輩に伝えるということ、それが大切。だからこそ、一生勉強、修行なんだと思う」
――七之助さんと玉三郎さんの関係のように、歌舞伎という舞台芸能の中で受け継いでいくことの重要さについては、どう感じていますか?
玉三郎のおじさまの素晴らしいところは、もちろん型とかいろいろありますけれども、基礎はあった上で「私は、こう思う」というのが前提なんです。だから、押しつけるわけではない。
いろんなことを知っておくのは、すごくいいことだと思いますし。だから、「教えてください」と来た後輩たちに、“すべて”“正確に”教えられるようにしないといけないというのは、私もいつも思っていることですね。
受け継ぐことも、自分でまだまだできない部分はたくさんありますので、そこを消化しつつ。“間違いなく”後輩に伝えるということ、それが大切だと思いますし。だからこそ一生勉強、修行なんだと思います。
歌舞伎俳優の家に生まれたというのは、誰もが経験できることではないですし、ありがたいと思いながら、ですね。
――2026年は、中村鶴松さんが、初代・中村舞鶴(まいづる)を襲名します。
鶴松はね、どんどん実力をつけていって、すごく向上していますので。このタイミングは、ベストだったと思います。
『舞鶴五條橋』や『舞鶴雪月花』などの舞鶴(ぶかく)は祖父(十七代目勘三郎の)の俳名なんですけれども、鶴松は女方も立役も演じるので、柔らかい方がいいんじゃないかと思いまして、舞鶴(まいづる)と同じ漢字でも読み方を変えることに致しました。
あと、鶴松の鶴(つる)って、愛称での呼ばれ方として定着しており、だから鶴(つる)は残した方がいいんじゃないかなというのもありつつ、舞鶴(まいづる)に。きれいな名前になりましたね。
名前が変わることで、彼の自覚、役者としてもうひとつ何か違うものが芽生えるのではないかと。僕は襲名したことがないので、あんまり言えないんですけれども。でも、彼の心意気次第なんじゃないかと思います。
――3月には、田中亨さん(※)がお亡くなりになりました。
(※)十七世中村勘三郎さんから依頼され、1981年に十八世勘三郎(当時は五代目勘九郎)さんのマネジャーに。99年、勘九郎さん、七之助さんらが所属する芸能事務所「ファーンウッド」を設立。特別顧問を務めていたが2025年3月に急逝。
『仮名手本忠臣蔵』の初日が終わって、家の近所の父、僕も小さいときから行っている焼き鳥屋さんにいたら、いきなり連絡が来て。もうパニックでした。何が何だかわからなかったですね。
田中さんのことは、一言では…簡単にね…親みたいなとかいうのも何かおかしな話なのかな。父のことを愛して、中村屋のことを愛して、私たちのことも愛してくれて。周りのみなさまご存じのとおり、うちの父の無茶振りをすべて形にしてきた人です。
いつもね、前に出るのを嫌がって。ここで、こうやって話しているのも「いや、よしてくれよ」って言ってると思うんですけれども。
コクーン歌舞伎、平成中村座、海外公演…うちの父がパンと言ったことを形にするのはいつも田中さんでした。うちの父と田中さんと、合わせてひとつみたいな感じだったんですよね。
偲ぶ会のとき昔の映像を見て、本当にかわいがってくれてたんだなって。ずっとそばにいてくれる感覚というか。甘えてしまって、それこそ生きているうちに恩返しできなかったなと…父に思ったことと同じ過ちを繰り返してしまったなと感じます。
まさしく、あまりほかの方には感じないこと――悲しいのも、もちろんあるんですけど、それよりも、自分が不甲斐ないというか、何もしてあげられていない。あんなに一緒に大変な思いしてくれた人なのに、という思いがあります。
「七之助さん」って呼ばれることも多かったけど、田中さんからは「隆ちゃん」(※)、僕が生まれるときから知っているわけですから。申し訳ないという気持ちを、今も抱えています。
(※)七之助さんの本名は、波野隆行。
聞き手:花枝祐樹(番組ディレクター)
再放送 2026年1月4日(日)16時~
