「七之助という役者を構築してくださったのは、玉三郎のおじさま。本当に素晴らしい人に出会えた」
――8月は歌舞伎座で『野田版 研辰の討たれ』(※)『日本振袖始』がありました。
『研辰』は、初演のときの印象がすごく強い作品。私もいろいろと怒られましたし、思い出がたくさんあります。『野田版 研辰の討たれ』は、私たちにも特別な作品です。
(※)『野田版 研辰の討たれ』は、2001年8月に、十八世中村勘三郎さんと野田秀樹さんの初タッグにより歌舞伎座で初演。今年、再演された、野田版歌舞伎の第一弾作品。
月日が流れ、うちの父(勘三郎)がいなくなってしまい。もうやるのかやらないのかわからない状況のなか、父と(坂東)三津五郎のおじさまだったり、みなさまが作りあげた『納涼歌舞伎』で、しかも初演と一緒の歌舞伎座で8月にやると。
(松本)幸四郎のお兄さんがやっていた役を(息子の市川)染五郎さんがやって。うちの兄がやっていた役を勘太郎がやって。父がやっていた役を兄がやり。そして叔父(中村福助)がやっていた役を私がやらせていただくという。それだけで何か幸せだなと思いましたし。越える、越えないとか、そんなことも考えませんでした。稽古を含め、ただただありがたく「みなさんが作り上げてきたものを、今、歌舞伎座でやっているんだな」と感じながら、毎日が楽しかったですね。
勘太郎も、あんな大役(平井才次郎)をやるのは初めてだったと思うんです。難しかったと思いますけれども、稽古中から、日に日に良くなっていった。
ほとんど演出の部分は変わってはいないんですが、うちの父たちがやっていた『研辰』とは全然違うものに。兄がやっていた才次郎とも、年の違いはあれ、やっぱり違うんです。これが本当に面白いところで。
うまく見せようとか、何かこうしなくちゃいけないっていうんじゃなくて、そのまんまの真っ白な魂を見せてくれるようなお芝居だった。ああいう、ほんとに一期一会というか。あの年にしかできないものだったんじゃないかなと思います。素材そのもの、光り輝くものを、何か見たような気がしました。
これから、いろいろ大人の役をやっていくうちに、壁にぶつかったり。人間としてもいろんな経験を積むでしょうから。そこで、それが芸になったり味になったりするんですけれど。
『日本振袖始』は、坂東玉三郎のおじさまから「やってみたら」というお話をいただいて。玉三郎のおじさまの型で、やらせていただいたのが良かったですね。
七之助という役者を構築してくださったのは、玉三郎のおじさまなので。もちろん父、祖父、そして福助の叔父という3人はいますけれども。手放しで全部教えてくださる。本当に素晴らしい人に出会えたなと思っております。
