<中村勘九郎 インタビュー>

――今年は、七之助さんの結婚がありました。

正月に七之助から「結婚したい」という話があって。その後、正式に結婚するっていうのを聞いたのが、2月末か3月くらいだったかな。勘太郎は学校の行事で家にいなかったんですよ。長三郎と愛と、うちの母といて。

そのときに長三郎が、(七之助さんの結婚相手の)杏奈さんにお願いが2つあると。ひとつは「お互いのことではなく、自分を大切にしてほしい」。もうひとつは「結婚のケーキは、チョコレートケーキにして」って(笑)。なかなか言えないですよね。

結婚は本当にめでたいことでね。うれしかったですよ、家族が増えるわけですから。若いときは、結婚願望は七之助の方があったんです。けれども、実際には全然そういうのがなくて。

杏奈さんは芸事もなんですが、とにかく芝居のことに対して熱があるっていう。そこなんでしょうね。

それから、3月に結婚するって言って、6月の末に披露宴でしょう?会場を押さえたり、大あわてな感じでしたね。

中村勘九郎 歌舞伎の面白さは「演じる人が違うだけで印象が変わる」

――8月の納涼歌舞伎では『野田版 研辰の討たれ』(※)の再演がありました。どんな思いがあったのでしょうか?

(※)2001年8月に十八世中村勘三郎さんと野田秀樹さんの初タッグにより歌舞伎座で初演。

『研辰』をやるとは思っていなかったので。というのも、やはりうちの父が演じた辰次っていうのが、もう脳裏にというか細胞に植えつけられていたのでね。

うちの父をよく知っている野田(秀樹)さんが書いているので、もう辰次なのか父なのか…という感じなんです。だから、「これはいい作品だけれども、できねえなぁ」みたいな感じだった。

ただこれ、田中(亨)さん(※)が「やってくれ」って言ってたんです。(宙を見上げて)それで「ちょっと無理だ」って言ったらね、絶対怒られるから。

(※)十七世中村勘三郎さんから依頼され、1981年に十八世勘三郎(当時は五代目勘九郎)さんのマネジャーに。99年、勘九郎さん、七之助さんらが所属する芸能事務所「ファーンウッド」を設立。特別顧問を務めていたが2025年3月に急逝。

改めて、いい作品だな、美しいなと思いました。また、メンバーも一新したことによって、父の、父たちの『研辰』とまったく違うものを作り上げられたのかなというのは思いますね。

歌舞伎の面白いところは、例えば同じ『仮名手本忠臣蔵』であっても、演じる役者が違うだけで印象が変わる。そこにいろんな形(かたち)があって、違う型(かた)があって。でも『研辰』の場合は、演出として野田さんがいるので、野田さんの演出、言ったことを、みんなで方向を一緒にして突き進んでいくという作業でした。そこは大きな違いですね。

聞き手:花枝祐樹(番組ディレクター)