元日本テレビアナウンサーで、現在はフリーのアナウンサー、実業家、ハーバリスト。さらに、早稲田大学大学院に通う学生でもある宮崎宣子さんが、日々のあれこれを素直に綴ります。

連載コラム 宮崎宣子の「八転び九起き」第7回

みなさん、こんにちは。暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。

私はといえば…先日、二度目の挙式と披露宴を行いました。

10年前と同じウェスティンホテル東京で(笑)。こんな人、いない…ですよね?

当初、式や披露宴なんてまったく考えていませんでした。

二度目の結婚をしただけでも、私には奇跡のようなことだったので、42歳になって、もう一度ウエディングドレスを着るなんてとても…。

しかも、コロナ禍で感染の拡大が止まらないなか、披露宴が延期されたり、キャンセルされたりする様子を見てきていたので、こんな時期にやること自体、考えられませんでした。

ところが、彼の考えは逆でした。

「こんな時代だからやらない?」

「二度と会えない人がいるかもしれないよ?」

「会いたい人と会って楽しく過ごそうよ!」

と言うのです。

確かにコロナ禍で、私は何度もお葬式へ参列しました。

「今度ご飯行こうね」と言って別れたばかりの人、お世話になっていたのにちゃんと挨拶できていなかった人、いつでも会えると思って連絡を取っていなかった人…。そんな方々を亡くしました。

「コロナが落ち着いたら会おうね」

そんな言葉が、いつの間にか合言葉のようになり、そこから何年も経ってしまいました。

実際、こんな機会でもないと、声をかけにくい人もいます。

「やってみようかな、披露宴」

重い腰をあげたのが、昨年の年末のことでした。

テーマは「ゲストのみなさんに一番に楽しんでもらう」

まず、「どこでやろうか?」となったとき、「僕は一切こだわらない」という彼の後押しもあって、最初に(自身がプロデュースするハーブ製品を扱うブランド)EMARAを扱ってくれたホテルに恩返ししようと、一度目と同じホテルにしたのです。

正直、ほかの人と挙式したホテルで二度目も…というのは、嫌ではないのかな?と、彼の心中を思いました。何度確認しても彼はまったく気にしないと言うし、「ウェスティンにすれば、ほかの式場を見る必要はないよね」と言ってくれたので決断しました。

そして、テーマを決めました。

「ゲストの皆さんに一番に楽しんでもらおう!」

これまでに出会った人々はもとより、これから夫婦ともども「仲良くしていただきたい」と思う方々をお呼びして、ゲスト同士も仲良くなってもらえるような、ご縁が広がる会にしよう、と。

大学時代に仲良しだったけど、卒業後は転勤などもあり20年も会っていなかった同級生、オンラインでやりとりはしていたものの、実際には初めてお会いする方も。日テレ時代の先輩・後輩も来てくれて、久しぶりに当時に戻った気分にもなりました。

北は青森、南は鹿児島、宮崎、長崎から、彼のゲストの中には、インドから来てくださった方も。

披露宴の司会は、私が二度目ということも気にせず、楽しく盛り上げてほしい、それができるのはNON STYLEの井上裕介さんしかいない!と、井上さんにお願いしました。

一方、挙式は大まじめに父親と、披露宴はとにかく楽しくということで、中山秀征さんと入場しました。

お料理は、宮崎の食材と彼の出身地・京都の食材を取り入れたメニューを、総料理長と話し合いながら考案。「お料理がおいしいのが、ゲストは一番うれしいはず」と私たちの思いをくみとり、親身に相談に乗ってくださいました。

来てくれた方々の顔は忘れないし、一生の思い出に

実は、挙式&披露宴の計画が持ち上がった昨年末は、自分が4月から大学院に行くなんて、思ってもいませんでした。式の準備だけでも大変なのに、そこに20年ぶりの学生生活が加わって…。自分が決めたこととはいえ、その両立はあまりにもハードなものでした。

そんな私に、日テレ時代の同期は披露宴で流すVTRを作ってくれたり、ウエディング・プランナーさんは座席表作りを手伝ってくれたり、友人たちも、素敵なブーケやウェルカムボードを作ってくれたりしました。

そして、ようやく披露宴直前というところまでこぎつけましたが、なんと、この時期が試験期間とかぶってしまうという事態に。

披露宴の2日前だというのに、9時から18時まで勉強に追われながら、空き時間に、必死に自習をするクラスメイトの横で、私は台本を作り、招待客へのメッセージを書いていました。

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そして、迎えた式当日。

このコロナ禍にもかかわらず、多くの方が足を運んでくださいました。私たちのためにあたたかい言葉を贈ってくださったり、お祝いの歌を歌ってくださったり、海外からも会場を華やかにしてくれる贈り物が届いたりもしました。

懐かしい方々、お会いしたかった方々に会えて、本当にうれしかった。この機会がなければ、会えなかった人もいたかもしれませんし、久しぶりに会えて絆が深まった人もいました。

ゲストのみなさんからは、「同窓会を開いてくれてありがとう!」と何度も言われました(笑)。

大変だったけど、来てくれた方々の顔は忘れないし、一生の思い出になったことは間違いありません。残念ながら、コロナの影響などで参加できなかった方々からも、後日、あたたかいメッセージをいただき、感激しました。

みなさんの温かい思いを痛感し、心から感謝した1日でした。

「二度目だし、結婚式なんてやらなくていいんじゃないか」と思っていましたが(もう二度とやりたくないですが…)、やって良かったです!

式は無事に終えましたが、「やりきった」という安堵感からか、その後、我々夫婦は、満身創痍(?)で、燃え尽き症候群のようになり、言葉を交わす余力もありませんでした。

それでも私には、余韻に浸っている暇はありませんでした。レポート課題を片付けなければならず、翌日はオンラインとはいえ、朝から授業があったのです。

そこから数日…。

すべてのタスクを終え、解放感と達成感に浸っていたところ…ありがちですが、気が緩(ゆる)んでしまい、体調を崩しました(苦笑)。

今はただ、楽しかったあの日を思い返しながら、ゆっくり体を休めたいと思っています。

宮崎産のオーガニックハーブのおいしさを伝えたくて

ハーバリスト・宮崎宣子のおまけコラム

今回、披露宴でのデザートの締めとして、コーヒー、紅茶に加えてオーガニックハーブティ(3種類)を提供させていただきました。

それは、宮崎県野尻町のハーブ農家の上原さんがお祝いとして送ってくださったもの。

上原さんは私にとってハーブの先生のような方で、4年前には土地をお借りして上原さんの指導のもと、ハーブを育てる経験をさせていただきました。

当時の私は、いつか自分が育てたハーブで商品を作ってみたいと夢見ていて、そのための勉強としてハーブ作りをスタートさせました。

基本、あまり手をかけなくていい、と言われるハーブですが、やはり日々の手入れが大事になるため、コロナ以前は、月に一度は帰省をして畑仕事をし、収穫も行っていました。

コロナになって帰省もままならず、手入れができなくなると、畑は雑草が生えすぎてハーブとの区別がつかなくなる始末に。

また、その土地は10年以上農薬を散布していないため、ハーブやほかに植えた野菜・芋なども、あっという間にイノシシやサルに食べられてしまいました。

翌年は、熊本県の水害で、そのあたりが避難地区になるなどしたため、畑へ行くことができず、結局、3年間のハーブ栽培をあきらめることにしました。それと同時に、自分の考えの甘さも知ることになりました。

一方、いつも明るく朗らかな上原さんが育てるハーブで作るハーブティは、その人柄が伝わるかのように、一般的なものより味が濃いのにマイルドで飲みやすいのです。

今回、宮崎の太陽の下、無農薬で天塩にかけて育てられ、手摘みで丁寧に収穫されたハーブのおいしさを味わっていただきたくてお出ししました。

ゲストの方からも好評をいただき、改めてハーブの素晴らしさを嚙みしめる日となりました。