天童よしみさんが、衣装への思いを明かしました。
7月31日(日)の『ボクらの時代』は、泉ピン子さん、内館牧子さん、天童よしみさんが登場しました。
内館牧子「珍島物語」を聴いて、天童よしみの名前をメモ
今回が初対面の内館さんと天童さん。内館さんは「『珍島物語』からの天童さんファン」と打ち明けました。
内館:たまたま、テレビ見てたら(天童さんが登場して)「珍島物語」歌って。うまいし、情感あるし。(天童さんの名前を)メモしてさ。
天童:えー。
泉:そんなさ、歌聴いて、名前メモして。(天童さんに)うれしいよね(笑)。
天童:いやぁ、うれしいですね。歌手の人もいっぱいいるのに、心に留めていただけて。
内館:活躍なさってると、「私の見る目に狂いはなかった」って思うわよね(笑)。
泉:あはは!そりゃそうですよ。私は新幹線で、偶然、東京駅でお見掛けして。「あなた、頑張ってね」って。
内館:って言ったの?
泉:そう。橋田(壽賀子)先生も紹介して。
天童:そうですね。
泉:先生の前で「珍島物語」を、アカペラで歌わせたの。
天童:アカペラで。ピン子さんが「よしみちゃん、歌って」って。それで、橋田先生がおられて、アカペラで…。
内館:歌ったの?
泉:今考えると、よく歌ったわね(笑)。
天童:私も、緊張しましたよ。アカペラというのは、もう…。
泉さんは、演歌が大好きだったという橋田さんが、感極まって涙を流したと明かしました。
「床山になろうと思った」その情熱の先に
内館さんは、橋田さんのもとで脚本の勉強した日々を振り返りました。
内館:大きな造船所にいたのね。そこに勤めていたときに、シナリオの学校に行っていて。
天童:はい。
内館:橋田先生って、お弟子さんをとるようなタイプじゃなかったから、私はお手伝いに来ているアルバイト、みたいなもんだったんですよね。
天童:ああ、そうなんですね。
内館:だけど、結構、聞いてたの。そのときから。「朝ドラはどうやって書くのか?」とか、「大河ドラマというのは、どうやってテーマを決めるのか?」とか。
泉:ああ、そう。
内館:まだ会社員で、何の仕事もないんですよ?それなのに、先生、真面目に教えてくださるのよ。
泉:それが、プラスになったの?
内館:もちろん、なった。
当時は「女の人はいてもいなくてもいいというような時代だった」と、会社員だったころを振り返り「特殊な技術を身につけないと、女の人は大変だ」と実感していたという内館さん。
脚本家を目指す前は、「力士のまげを結う、床山(とこやま)になろうと思った」と明かしました。
泉:まげ結うのって、女性でもいいんですか?
内館:ダメなんですよ。わかってたわけ、ダメだっていうのは。
泉:やっぱり、そうなんですか。
内館:だけど、万が一っていうのがあるから、(相撲)協会に電話したの。「私、力士の床山になりたいんですけど」って。そうしたら「残念ですけど、女の人はダメなんですよ」って。
泉:ああ。
内館:私は、そのあともずっと相撲の仕事に就きたくて。
泉:そんなに好きなんだ~。
内館:そう。北海道から九州まで、新聞社や雑誌社に電話をかけて「私を相撲記者に使ってください」って。
天童:うわぁ。
泉:情熱じゃない?
天童:情熱ですね。
内館:全部断られて。でもやっぱり、それくらい一生懸命だったのが、(連続テレビ小説)『ひらり』(NHK)でうまく花開いた、といえば聞こえがいいけど。
天童:そうですよね。
大の相撲好きとして知られる内館さんは、そんな経緯もあり、相撲を題材に大ヒットした『ひらり』の脚本執筆は「本当に楽しかった」と振り返りました。
「好きなものを好き」と言って続けることの大切さ
天童さんは、幼少期から歌が好きで「三面鏡でザ・ピーナッツやこまどり姉妹」を歌って遊んでいたといいます。
天童:それがもうね、楽しくて。ずっと三面鏡で遊んでましたよ。それくらい、好きで好きでたまらなかったです。
内館:でも何か、今考えると「好きなものを好き」って言って、ずっと続けるって…。
泉:それで食べられるって…。
内館:大きいことですよね。ほらやっぱり、相撲もそうですけど、普通は「そんなもの好きでも、暮らしの役に立たないとか、成績が上がらない」とかって言われるけど、結果的にそれで生きていくってなるんですもんね。
泉:そうねぇ。
長いキャリアを誇る3人は、好きなことを長く続けることの大切さを実感している様子でした。
天童よしみ やしきたかじんの応援で3年かけて『紅白』出場
泉さんは、「橋田先生と出会っていなければ、今日はない」と語り、3人は「出会い」についても言及。
泉:だから、「会う」チャンス?
天童:そうですよね。めぐり合わせですよね。
泉:「出会い」とか。
天童:「出会い」ですよね。
内館:天童さんは、ピン子さんみたいな大きな「出会い」ってあったんですか?
天童:『紅白(NHK紅白歌合戦)』が夢で。どうしても「紅白に出場したいな」って思って…。
泉:あ!やしきたかじんさん?
天童:そうですね、たかじんさんですね。
内館:ああ、そうか、やしきさん。
泉:私、テレビで見たんだけど、たかじんさんが「天童よしみほど歌が上手な人はいないだろう。それがなぜ、『紅白』に出ないんだ」っていう…。
内館:テレビで、それをおっしゃったの?
泉:言ったの。私は、偶然大阪にいて見たの。
天童:ああ、そうだったんですか。
泉:「僕はね、天童よしみを『紅白』に出すまで頑張ろうと思うんだ。プロジェクトを作ってやる」って言って。
天童:そうですね。プロジェクトチームを。
泉:本当に作ったの?
天童:はい、作りました。3年間、ずっとレギュラーで。それこそ、女芸人さんみたいな感じの出方ですよね、バラエティですから。そこはもう、勇気を振り絞って、何でもやりました。どろんこエステもやりましたし。
泉:どろんこエステ(笑)!
天童:顔も全部、全部どろんこ。
泉:誰やわからんやろ(笑)。
天童:誰やわからへんかったんですよ(笑)。
天童さんは、その体当たりの挑戦で「若い人たちから、『あ、天童よしみや!』って言われるようになりました。幅はすごく広がっていきました」と振り返りました。
泉ピン子「終活」を夫に相談すると…
さまざまな話で盛り上がるうち、内館さんは「終活とか断捨離とか、まったくしていない」と打ち明けました。
泉:私さ、終活したら…。
内館:え、ピン子さん終活したの?
泉:終活、やりだしたの。そしたら、いろんな手紙あるじゃない。読んじゃうから、余計に散らかっちゃうの。写真も、懐かしいなって…。
天童:ずっと見てしまいますよね。
泉:すいませんけどね、前より散らかってるの。それで、私がうちの夫に「どうしたらいいんだろうか」って言ったら、「死んだら、誰かがやるよ」って言ったのよ。
内館:うん、そうそう。そう思う。
天童:そうですね、誰かがね。
泉:だから、「することないんじゃない?」って言われた。
内館:自分が死んだあとで、自分が大事にしていたものをね、知らない人たちがいらないと思って捨てても、しょうがないじゃない。
泉:知らない人から見たら、ごみかもしれないものね。
天童:そうなんですよね。
内館:宝だと思った人は、死んでるわけだから。ほかの人がごみかと思ったものは、ごみ処理してもらって、私は全然構わない。
泉:ああ、いいよね。
天童:そこですねー。
内館:(天童さんに)終活なんか、もちろんやってないでしょ?
天童:全然、考えてないですね。ためるだけためてますね。
泉:ドレスどのくらいあるの?
天童:今で、800枚超えました。
泉:ええー。はっきり言って、家、壊れるわ。重さで。
天童:はい。
泉:何トンもあるでしょ?
天童:何トンですよ。あの衣装部屋は。
泉:普段、着られないものね。
天童さんが「自分の衣装は、抱えて死ぬくらい。いっぱい思い出があるので、捨てられないんですよ。1枚ずつ全部(思い出が)よみがえってきます」と言うと、泉さんは「あなたはやっぱり、歌と結婚したのね」としみじみ。
鼎談の最後は、泉さんから「『珍島物語』を聴かせてください」と頼まれた天童さんが、アカペラで歌唱。内館さんは「贅沢(ぜいたく)な番組ね」と、その歌声に涙しました。