岡部さん(津田寛治)というここぞのキャラでもって自虐させてしまう懐の大きさ…

いや、うん、でも、一回冷静になるわ。(ホントに)

ベタとかなんとか、ここまでディスってんだか褒めてんだかよくわかんない形容を連発してしまいましたが、あの、無理矢理離れ離れのパターンを用意したのは、輝元の“お弁当”と“手を振る姿”を視聴者に見せたかったからなのは当然として、ドラマ終盤までの翔太と輝元の関係性によって、通常のドラマ思考ではハードルが高すぎる「寺>パリ」が成立してしまったから、なんだよね。

で、その「>(だいなり)」を、二人のキャラのおかげだけで、自然に“そうなっちゃった”だけでは、ドラマを成立させてはいけなかった。ちゃんと「寺>パリ」であることを、物語の中でちゃんと描く必要があって、だからこそあの状況を作り出すしかなかったということ…なんですよね。

でもって、輝元が翔太にウソをつくあのベタも、その前に“パパとママのウソ演技”という伏線が効いているというウィット。加えて「今までなんだったんだよ!!」という展開も、輝元が陽美(剛力彩芽)の店で働くという謎!?を挟んで、その謎もろとも、最終的に翔太が戻ってきたから「やーめた!」と劇中で茶化してしまう巧さ。さらには、あまりにも早すぎる帰還についても、岡部さん(津田寛治)というここぞのキャラでもって自虐させてしまう懐の大きさ…。

そしてそして、あの弁当の、あの弁当のどこで!!(味噌おにぎりと卵焼きの、あの二種で)指切ったんだよ!という、あのセリフによって、あの翔太と輝元の、あの関係性…二人の相思相愛を、さりげなく、だけど完璧に表現してしまう、あの巧妙さと複雑さ。うん、そう!つまり!つまりつまり、何もかも、ごちそうさんでした!!!

そしてなにやら、次は、ラ・ボンノォ、ではなく、ル・モンドゥ、との、こと!?る・もんどう???る…問答!?煩悩↔問答!?うん、わからん!とにかく、確かめるしかない!!!(何を)

ちなみに、土ドラは、7月から『浅草ラスボスおばあちゃん』がスタート!うん、マジで、どういうバトンタッチ!?煩悩↔ラスボス!?とにかく、確かめるしかない!!!(だから何をだよ)