石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

9月8日(火)の放送は、ナイツ・塙宣之が登場。漫才師になったきっかけや、相方・土屋伸之との出会い、ライバルの存在、石橋に「どうしても言いたい」ことなどを語った。

漫才師へのきっかけは幼稚園時代の苦い思い出とドリフターズ

石橋:漫才師になろうと思ったきっかけは?

塙:きっかけは、うんこを漏らしちゃったんですよ、幼稚園のときに。みんなからちょっとかわれていたんです。

石橋:幼稚園時代のあだ名は「うんこ」でしょ?

塙:「うんこ」です。

石橋:「塙くん」なんて呼んでくれないですよね。

塙:小3になっても、何かを一生懸命頑張っても、うんこ漏らしたことの方が話題になっちゃって。

石橋:それは幼稚園からそのまま引っ張られちゃったの?

塙:そうなんですよ。同じクラスのやつが1人いて。「そういえばお前、幼稚園のとき、うんこ漏らしたよな」「そうなの?うんこ!うんこ!」って。それがすごい嫌だったんですよ。学校行きたくなくなっちゃって。それこそ親に言えなくて、1つ年上の兄(はなわ)に相談したら、その日から兄貴からもいじめられるようになっちゃって…家にも居場所がなくて。

悩んでいたときに、ドリフターズを見て、「うんこちんちん」とかああいうのをやっていたドリフを見て、この人たちは「うんこ」をネタにしてやっている。逆の発想で「ネタにしたらいいんじゃないか?」と思って、「うんこの歌」を作って、それをみんなの前で発表したんですよ。そこからいじめられなくなって、めちゃくちゃウケるようになって、そこからお笑い芸人になろうと思ったんです。

石橋:すごいね。一気に逆転したんだ、そこで。

塙:それが、小4とか小5なんですけど。

小学生の頃から「コンビを組んで26歳で売れる」と計画していた

兄・はなわのシングル「佐賀県」がヒットし、佐賀県生まれの佐賀県育ちと思われることも多いが、生まれは千葉県で、小学校高学年のときに佐賀県に引越した。兄が売れたことはうれしかったが、自分も芸人を目指していたのでこっそりオーディションを受ける日々を送っていたという。

塙:高校生のときに、九州の吉本興業の第二の華丸大吉を作るオーディションがあって、僕は友達と応募して優勝してるんですよ。本当は、福岡吉本に入ることが決まっていたんです。だけど、兄貴がお笑い芸人になっちゃったから、母親が2年連続で息子が芸人になるのが「つらい」と言って、福岡吉本に電話をして断っちゃったんですよ。「うちの息子は行かせません」と。

石橋:え、本当だったら吉本に入るはずだったの?

塙:はい。だけど母親から「お前だけは大学にちゃんと行ってくれ」という話になって、親孝行もあって、東京の大学に出てきて。大学入って、落語研究会というお笑いのサークルに入って。

石橋:土屋くんとそこで?

塙:そのときはまた違う先輩とコンビ組んでいて。

石橋:違うの?何で、最終的に土屋くんになったの?

塙:今みたいな、漫才師になろうという思いがそんなになかったので。

石橋:何をやろうとしていたの?

塙:お笑い芸人として、ただ売れたいと思っていただけで。

石橋:1人でやろうとしていたの?

塙:コンビでやりたかったんですよ。僕ら、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンとかのハイブリットの世代なんで、「コンビで26歳くらいで売れる」という計画を小学生くらいから立てていて。

石橋:ふははは!

塙:本当は高校卒業して、8年くらいかけて売れるって計画だったんですけど、大学に4年間行っちゃってる時点で…。

石橋:22歳になっちゃってる。

塙:22になっちゃってて。何とか売れようと思ったときに、コントも漫才も何でもやりたいと思っていたんですよ。土屋が意外にコントが上手くて。落研で合同コントを作ったとき「誰か一人足りない」というときは、必ず土屋を入れて穴埋めするくらい、いろいろ器用なやつだったから「こいつ上手いから一緒にいろんなことやろう」と思って組んだんですよ。

石橋:ひょっとしたら(ナイツは)コントからスタートしている感じなの?

塙:はい。コントからスタートしてます。

ところが、2本ほどコントをやってみたところ、塙自身の演技力が足りず「コントに向いていない」と思い、漫才にシフトしたと明かした。

漫才協会に入ったのは亡き事務所会長の「浅草からスターを作りたい」という思い

石橋:若者2人がコンビを組んで、何で浅草なんかに行っちゃうの?浅草なんて最も避けるのに。

塙:もちろんそうです。これは事務所から言われたんです。マセキ芸能社の会長って、もう亡くなっちゃったんですけど、僕らが(事務所に)入った当時は社長で。浅草からスターを作りたい人だったんですよ。

石橋:欽ちゃん(萩本欽一)もそうだし、(ビート)たけしさんもそうだし。

塙:それで漫才協会にマセキ芸能社の芸人を入れるというのが毎年お約束になっていて。そのときに、漫才協会かテレビ、どっちで行くか2択で選べるんですよ。それこそ、バカリズムさんとかいとうあさこさんとか、当時コンビだったんですけど、みんな「テレビです」と言っていたんですけど、ナイツだけは、「テレビです」と言ったらダメだったんです。

石橋:何で?

塙:わかんないです。

石橋:22歳とか23歳の若者が!

塙:23歳で「内海桂子の弟子になれ」と言われて。

石橋:(笑)。すごいな。怖いな。

そうして浅草の門を叩き、2007年には史上最年少の29歳で漫才協会の理事に就任、2015年には副会長に就任した。

浅草からテレビへの礎を作った700のネタと年間500本の舞台

石橋:何をきっかけにテレビで(活躍するように)?

塙:まぁ、場数だと思うんですけど、その中でも「ヤホーで調べました」っていう漫才が2007年くらいにできたので。

石橋:あれは、浅草でかけて(披露して)いたの?

塙:かけていました。2005年くらいから「漫才を作らなきゃな」と思って、1日1本漫才を作ったんですよ。2年間で700本くらい作ったんです。かける場所が欲しいじゃないですか。そのときにちょうど、漫才協会とは別に寄席の世界に入ったんですよ。落語芸術協会っていう。

寄席って年中365日落語家さんと一緒にやっている舞台があって、そこに出るようになったから、年間500回くらいの舞台になって、毎日違うネタをそこで試すことができて。いろいろやっていく中で、この部分はウケるな、とか、この部分はウケないなというのがわかってきて、それで言い間違いの漫才ができるようになっていったんです。

観客に「このネタ見たことある」と思われるのが嫌で、10本の特番があれば10本のネタを用意し、「全くウケないときがしょっちゅうある」という。ネタ選びでは「反省することも多い」と語る塙に、石橋は「チャレンジャーだね」と感心した。

「爆笑問題さん気を遣ってかち上げる若手がいない」

そして石橋は、ナイツのライバルの存在についても切り込んだ。

石橋:負けられない相手はいるの?ライバルというか。

塙:それこそ、いろんな漫才をやるんですけど、基本的には時事ネタが一番メインなので、爆笑問題さんは「負けられない」というより、「倒さないとな」っていうのはありますね。

石橋:そうね、爆問と…2組だけで3本勝負とかやってもらいたいね。パルコ劇場とかそういうところで、先攻後攻とかじゃんけんで決めて、お客さんにどっちが面白かったかとか。

塙:うわぁ~!結構しびれますね、それ。

石橋:太田(光)、受けるかな、その挑戦を。

塙:絶対「受ける」って言ってくれますよ、太田さんは。

石橋:そしたら、俺、見たい。

塙:今はどっちかっていうと、爆笑問題さんは気を遣ってくれるんですよ。例えばネタ番組で、正月3日くらい(出演が)被るんですよ。そのときに「何やる?」と聞いてくるんですよ。「全然いいよ。俺たちはその中からやらないネタをやるから」って。

石橋:当然のように(ネタが)被っちゃうときがあるんだね。

塙:逆のときもあって。本当はこれをやりたいけど、爆笑さんがたぶんこれやりたいだろうなっていう、とっておきの不祥事とか。

石橋:(笑)。

塙:(そんなとき自分たちは)さっきも言ったトリッキーなネタにしちゃって、爆笑さんにネタを譲ったりするんですよ。フジテレビだったら『ENGEIグランドスラム』もがっちり時事ネタやりたいんですけど、(爆笑問題が)あの歳になってもずっと出るから。あの人たちがトリで。「もう出るなよ」と思ってて。けど絶対に出てやっちゃうから、やっぱりちょっと半分譲ってるというのはあります。

石橋:同じ時事ネタでも被ってもいいっていう…。

塙:そうしたほうがいいと思います、僕は。爆笑問題さんって、白鵬みたいなもんだと思っていて。ずっと横綱にいると思ってるんですよ。でも白鵬も全盛期過ぎて、ちょっとエルボーとかそういうのでつかみをやってるじゃないですか。太田さんが「わぁー」って出てくるのもこれ(エルボー)に近いと思っていて。

石橋:(笑)。もうお前の張り差しだとか、かち上げは効かないぞと。

塙:「こっちもかち上げやってもいいんだ」という若手がいないんですよ。相撲界もそうなんですよ。白鵬に対してかち上げをガンガンやって勝つぐらいに気持ちが強いやつがいないから、ずっと白鵬が一強のまま。今の漫才界の時事ネタ界も、爆笑問題さんにみんな気を遣ってかち上げる若手がいないから。やっぱり俺はゴンゴンかち上げて、かち上げて、先にバンバンやっていこうと思って。印籠渡そうと思って。

石橋:(笑)。いやぁ、いいね。

「大金もらってMCやりたい」とんねるずは「楽してる」?

そんな中、石橋に「どうしても言いたい」と、塙が悩みを打ち明けた。

塙:最近悩んでることでもあるんですけど、結構マジな話なんですけど、ホスト側になりたいというか。

石橋:ホスト側?

塙:早く成長してホスト側になって、いろんな人の話を聞く側になっていきたいというか。自分のことを話すのがしんどい時期にきてるんですよ。

石橋:1人で何か番組を持ちたいと?

塙:1人でも、ナイツでも。だってもう42(歳)ですから。とんねるずさんが42のときに、自分の家族の話とか、「恐妻家で…」とか、していないじゃないですか。俺たちはずっとやってるんですよ。毎回、トーク番組出るたびに、何かネタ作って。漫才のネタだけでもめちゃくちゃ作ってるのに、何でわざわざプライベートの切り売りした(ネタ作りを)…そんなんやりたくないんですよ!だから、早くこっち側(石橋側)に行って、楽…楽ってわけじゃ…まぁ、楽じゃないですか、こっちのほうが!

石橋:楽じゃないよ(笑)。

塙:楽ですよね?だって、誰か来て、話聞くだけだから。

石橋:(笑)。楽じゃないよ。

塙:あ、そうですか?俺、絶対、楽だと思うんですよ。絶対、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、とんねるずって楽してると思ってて。だって自分がやりたくない家族の話とか、見事に6人やってないですよ、プライベートの話とか。

石橋:あっはは。

塙:やってます?家族を売りにしてる?

石橋:(首を振って)やってない。

塙:俺、そうなりたくて芸人になったのに。大金もらってMCやりたいっすよ!ハッキリ言いますけど、漫才だけに集中させてくださいよ、ネタ作るのは!

石橋:でも、漫才はちゃんとやりたいの?

塙:漫才はちゃんとやります、それは、やっぱり。

石橋:漫才はちゃんとやって、楽して大金ももらいたい?

塙:はい。

石橋:もう、すぐでしょう?(オファー)来るよ、もう。

塙:結局、邪魔になってくるのが爆笑問題なんですよ!

石橋:ふはははは!

石橋は「太田にかち上げくらわすのは塙くんだよ!」と、漫才もMCもやっている爆笑問題を倒しに行かなければと、塙に発破をかけていた。