石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。
9月29日(火)の放送は、ゲストにサンドウィッチマン・伊達みきおが登場。相方・富澤たけしとのコンビ結成からブレークするまで、そして地元・宮城や東北への思いを語った。
「焚き火を囲みながらお話するって最高じゃないですか!」と、自ら売り込み、番組に出演した伊達。「初めてですよ、売り込みでゲストに入った方」と石橋に言われると「なかなかこうして貴明さんとお話しできる機会がないので、うれしいです」「(相方の)富澤(たけし)は、たぶんオンエア見ていると思います(笑)」と、対談がスタートした。
石橋からの「あんまり小ぎれいになるなよ」というアドバイス
石橋はまず、サンドウィッチマンの印象から語った。
石橋:何かね、最初『M-1(グランプリ)』に出たとき、敗者復活戦でドンと持っていったときに、「ああ、このコンビはなかなか面白くて良いもの持ってるんだな」って。
伊達:うれしいです。
石橋:(その後)ちょっと途中で「あら?やばいかなって」っていうときも…(笑)。
伊達:(笑)。たぶんそのくらいのときに、お話させていただいてるんですよ。
石橋:「あんまり小ぎれいになるなよ」って言ったんだよね。
伊達:そうです、そうです。「チンピラみたいな感じでお前ら出てきたんだから、そのまんま行った方がいいぞ」と、貴明さんに言われたんですよ。
ネタ番組を録画して見ていると明かした石橋は、「いつ見てもネタがちゃんとしている」とサンドウィッチマンをべた褒め。伊達も「僕らは、どうしてもネタを期待される」と語り、ネタはすべて富澤が作っていると言うと、石橋は「伊達くんじゃないの?」「(イメージと)全然違った」と驚いていた。
厳しかった父親を説得して上京…約束の3年を過ぎてつかんだチャンス
ネタ作りも、お笑いに誘ったのも富澤だと明かした伊達は、デビュー前は、地元・宮城でサラリーマンとして働いていた。
伊達:会社員やってました。福祉系の。
石橋:お父さんも厳しかったんでしょ?
伊達:親父は厳しかったですね。銀行員の系譜なんですよ、じいちゃんも銀行員で、両親共に銀行員で。僕も銀行員になれるのかなと思ってたんですけど、そんなレベルの学力はなかったですね。
石橋:それで、なぜ富澤の誘いに乗ったの?
伊達:僕が就職している間、富澤は別の中学校の同級生とコンビを組んで、当時仙台によしもとの劇場があって、そこの素人コーナーみたいなのにずっと出ていたんですよ。あいつは元々こういう世界に入りたいと言っていたんですけど、僕は劇場に見に行って「面白いな」と思って。ずっと誘われてはいたんですね。「一緒にやろう」と。(会社員として)5年間しっかり働いてから、辞めて。
石橋:なんで5年間も働いていたのに、辞めちゃったの?
伊達:5年というのは、親父のコネで入った会社だったので。親父の顔を立てるために「最低でも5年は働いてくれ」って言われたのもありましたね。
石橋:そんなに厳しいお父さんを何で説得したの?
伊達:「3年間だけ好きなことをやりたい」と。大学も行ってないし。
石橋:23歳くらい?
伊達:そうですね。挑戦してみたいなというのがあって、上京してやってみようと。「3年間だったら一緒に住もうか」って、(富澤と)同居していたんですよ、ずっと。
上京後は、事務所に所属したものの、その後フリーになり、数年間は芸人仲間のつてでライブに出演する生活を送った。
石橋:3年なんてあっという間でしょ?
伊達:あっという間です。何にも引っかからなかったですね。
石橋:じゃあ、お父さん「帰って来い」って?
伊達:ええ、あの…電話しないようにしました、その辺は(笑)。
石橋:消息不明に(笑)。
伊達:はい、そうですね(笑)。連絡を頻繁に取らない時期がありましたね。結局10年、富澤と住みましたから。
石橋:親父さんに「3年だけやらせてくれ」って言ったのに、10年行っちゃったの?
伊達:そうですね。あの、30歳というのを(目標にして)…。
石橋:また次の(目標に)?「30くらいまでには、何とかなるだろう!」みたいな。
伊達:そうですね、「30歳までに全国ネットで漫才なりコントができなければ、それはもう俺らはダメなんだ。そしたら仙台に帰ろう」と富澤と話をして。そうしたら、30歳の年に『エンタの神様』(日本テレビ)というのに出られたんですよ。それで辞めずに済んだんです。
石橋:それに引っかからなかったら、仙台に帰ってたの?
伊達:帰っていたと思います。
サンドウィッチマンの“名作中の名作”ネタ「ピザの宅配」
ライブでは「そんなにスベった記憶がない」というサンドウィッチマン。たまたま出演していたライブに『エンタの神様』のカメラが入り、そこで「今やっていたネタをテレビでやってください」ということになったという。
石橋:それは何のネタなの?
伊達:「ピザの宅配」のネタなんですけど、そのネタって富澤が2年目に作ったんです。
石橋:(世に出るまでに)ずいぶんかかって。
伊達:そうなんです、結局『M-1』でもそのネタで優勝してるんです。
石橋:名作なんだね。
伊達:名作中の名作ですね。こんなの、自分で言うのもあれですけど。サンドウィッチマン=「ピザの宅配」なんです。
『エンタの神様』出演後すぐ、とんねるずからも声がかかり…。
伊達:「野球やってたんでしょ?」って。貴明さん覚えてないと思いますけど、160キロの球をキャッチできたら…。
石橋:はいはいはい!
伊達:「食わず嫌い(新・食わず嫌い王決定戦)」出してやるよっていう企画で。バッティングマシンの160キロ、キャッチできたんですよ。で、「食わず嫌い」ですよ。
石橋:ほら!もう、ちゃんといいふうに回ると回っていくんだよね。
伊達:(対戦)相手が、小泉今日子さんですよ。
石橋:すごいな。
伊達:「本当にいるんだ!」と思いましたもんね。
全国ネットのテレビ出演に、厳しかった父親も喜び「今では一番の応援団長です」と明かした。
好感度ナンバーワン芸人に!「東北の人」「良い人」のイメージを払拭したくて…
サンドウィッチマンは、2011年の東日本大震災以降、地元・東北のために被災地支援にも力を入れている。
石橋:でも立派だよね、東北のためにたくさんの義援金を集め、それをちゃんと続けてさ。
伊達:いえいえいえ。
石橋:気づくと、好きなお笑い芸人1位になって。
伊達:ありがたいです。
石橋:どうすんの?
伊達:いや、どうしたらいいんですかね?
石橋:すごろくで言ったら、あがりじゃない?
伊達:(笑)。まだまだ(これから)長いことあると思うんですけど。でも、「好感度」というのが、望んではいないんですけど、それでも評価していただいて。そんなのなかったじゃないですか、貴明さんとか。
石橋:俺なんか、好感度じゃないよ、バッドの方だもん。
伊達:あはははは!
石橋:でもね、バッドはバッドで楽なんだよ。
伊達:芸人としては、すごく楽ですよね。
石橋:すごく楽。何をやっても「あの人はバッドだから」って。
伊達:(笑)。
石橋:たまにご飯屋さんとか行って、普通にしていると「良い人なんですね」って。
伊達:あはははは!
石橋:これは、いいですよ。逆に伊達とかは、「良い人」だっていうのがあるから「テレビと違う」って言われちゃうんでしょ?
伊達:実際にあるんですよ。ロケ先でカメラが回ってるときに「サインください」と言われて。「ごめんなさい、今カメラ回ってるんで」とか断ると「全然好感度ないじゃん」って。
石橋:バン!と殴っちゃえばいいじゃん。
伊達:いやいやいや(笑)。でも、震災があって、一生懸命やらせてもらって、何かこう、芸人というよりも「東北の人」「良い人」みたいに捉えられちゃったので、そのイメージを払拭したいなというのがあって。『バイキング』の「地引網中継」で、一般の方と絡むので、そこでめちゃくちゃやってやろうと。
石橋:でもあれ、面白かったよ、すごく。
伊達:それでね、変にまたそこで評価されてしまって。
石橋:いいんだよ、もう。このまんまずっと好感度を保って、東北の人たちのためにこれからもやり続けて。
「もうこのスタイルで、大丈夫ですかね?」と問う伊達に、石橋は「自信持ってやっていい」と太鼓判を押した。
ライバルの存在と、先輩・とんねるずの背中
石橋に認められてうれしそうな伊達は、ライバルの存在についても語った。
伊達:それこそナイツとかになってきますね。
石橋:そうね、サンドウィッチマン、コントと漫才とちょうど間くらいで。どっちも行けるって感じだもんね。
伊達:はい。富澤がそういうネタの作り方するんですよ。漫才コントですよね、いわゆる。だから、西の方ではあんまりやらない漫才だと思います。
石橋:ナイツとかはやっぱり、そういった意味ではライバルになるんだね。
伊達:しゃべくり漫才ですしね。あっちの方が正統派な漫才なんですけど。
そして話題は、とんねるずが生き抜いてきたお笑い界について、そして新しい挑戦であるYouTubeに及んだ。
伊達:昔って、関東対関西みたいなところあったじゃないですか。とんねるずさんって…?
石橋:俺らはちょうどね、何か抜けてるんだよね。20歳くらいからやり始めたんだけど、その時は漫才ブームで、とてもじゃないけど、この大きな波に乗れるような技術がないわけ。サーフィンで言ったら「これは波が高すぎるわ」って。
伊達:へぇー!漫才に挑戦はしなかったんですか。
石橋:漫才なんてやったことなかった。
伊達:え!?憲武さんからも「やろうか」みたいなのもないんですか。
石橋:ない。ただただ、サッカー部の部室と野球部の部室でやってるような…。
伊達:(笑)。なるほど。
石橋:ちゃんとしたネタとかコントとかをやってないんだよね。ネタをしっかり作って、ネタで売れてきて、という人たちを見ると、ただただ「すごいな」って思うの。俺たち、そういう感じの売れ方じゃないんだよ。お笑いというか、いつか誰かが言ってたけど「とんねるずはタレントだよね」って。「はい、タレントだな」っていう。
伊達:やらないんですか?
石橋:何を?
伊達:ネタ。
石橋:ネタ?どこでやるの?誰が見るの?
伊達:いやいや、みんな見ますよ!先輩としてとんねるずさんの背中を見ているじゃないですか。何歳になって、ああいう生き方があるとか。先輩の背中を見ていますから。もう還暦近いじゃないですか、とんねるずさんも。そこで「すごい、またライブやるんだ」とか思いたいです。
石橋:コツコツとか、努力するとか、全くできない人たちなんだよね。
伊達:いやいや、そんなことないでしょ。
石橋:俺もそうだし、憲武もそうだし。
伊達:(笑)。
石橋:だからもう、戦場をYouTubeのほうに移して。
伊達:(石橋の)YouTube、めちゃくちゃ面白いですよ!
石橋:伊達くんもやってるんでしょ?ただかつ丼を食べるとか。
伊達:そうです、そうです。富澤の指示で。
石橋:ものすごい見られてるんでしょ?
伊達:100万回くらい再生されて。
石橋:わははは!
伊達は「誰が見てるのかな?」「YouTube、わからない」とぼやいた。
「恩返しをしたい」伊達の野望に石橋も共感
石橋は、今後についても聞いた。
石橋:どうしてもこれはやり遂げたいという野望はあるの?
伊達:野望ですか?サンドウィッチマンとして…まだ富澤には何も話してないですけど、劇場みたいなのを仙台に作りたいなと。
石橋:それは仙台なの?
伊達:やっぱり、「恩返ししたいな」というのがあります。
石橋:東京じゃなくて?
伊達:はい。お笑いを目指そうと思う人たちを増やさないといけないんで。もともと宮城県とか東北から出る芸人ってあんまりいないんですよ。ほとんどいないですよ。
石橋:そうねぇ。
伊達:そんなに大きくなくても、劇場があると、目指す人が増えてくるんじゃないかと、何となく思いますね。
地元・東北から後輩を輩出したいと語る伊達に「いい目標だよね」と石橋も共感していた。