毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。
8月1日(日)は、間もなく公開される映画「太陽の子」で共演している柳楽優弥、有村架純、國村隼が登場し、俳優になったきっかけや、現場での学びについて語り合った。
柳楽優弥・アメリカへの演劇留学で「自分の価値観が変わった」
「友達がたまたま昼ドラに出ていた」といい「人気者になりたくて」事務所の扉をたたいたと話す柳楽に「健全な動機やな(笑)」と國村。
しかし、初めて出演した映画「誰も知らない」で、カンヌ国際映画祭の史上最年少・日本人初の最優秀男優賞を受賞し、一躍時の人となった。
國村:センセーショナルな。14歳で。
柳楽:いや、僕の場合はなんか…。
國村:どんな反応やった?周りは。
柳楽:カンヌ映画祭、僕がわかってないっていう。
國村:あ、そうか。本人が一番(笑)。
柳楽: 14歳の僕からしてみたら、(きょろきょろして)「フランスに来れた」ってことくらいで。
有村:うふふふふ。
國村:まあ、そりゃあね。そんなことより『仮面ライダー』の主役のほうがええかもしれないね。考えたらね。
柳楽:そうですね。本当にそういうテンションだったから。
有村:そっかぁ。
と、柳楽は当時を振り返った。また、アメリカのリー・ストラスバーグ演劇映画学校への留学についても言及。
國村:どういうことをレッスンされるわけ?
柳楽:本当に自分の価値観がまったく変わるような感じなんです。例えば、「動物のマネして、ちょっと歩いてみて」とか。「今、シャワー浴びている状態で、どこから洗いますか」っていうのを、イメージして、体を洗っていくみたいな。想像力みたいなのを、もう明確に、ビビッドに表現していくみたいな。
有村:へぇー。
國村:で、それ、君のやったパフォーマンスに対して、コーチングしてくれるわけ?
柳楽:そうですね。先生がついてくださるんですけど、僕は英語がしゃべれなかったので…今もそんなしゃべれないんですけど。
柳楽は、英語が堪能ではなくても「言葉だけじゃなく、動きや顔の表情、いろんな表現方法で通じることを学べたのはすごく大きい」と、俳優として発見があったことを明かした。
リドリー・スコット監督、高倉健さん、松田優作さんから学んだこと
柳楽は、海外作品への出演経験も多い國村に「日本の映画と違う点」を質問した。
國村:いやいや、やることは一緒だもん。コミュニケーションを取るための言葉の問題は、その都度、その都度、あるかもしれないけど、台本はやっぱりあるわけやから。僕にとって台本っていうのは、なんとなく設計図っていうイメージなんだけどね。共通項として、その設計図をみんなが理解してれば、そんなに言葉でのコミュニケーションっていうのは、たくさん必要じゃないという。
柳楽:(映画)「ブラック・レイン」はどうでしたか?
國村:「ブラック・レイン」は、僕にとってはいろんな意味で、その後、映画というものに自分が関わっていく一番のきっかけになったものかなぁ。
柳楽:ああ。そうですか。
國村:あれを経験したことで、リドリー・スコットという人に、現場での撮影を通して、「映画の画角」「画角の中のパフォーマンス」というものを教えてもらったの。
國村が拳銃を持ちながら、フレームインして、一言発するというシーンでは、「最初のテイクが終わったときに、リドリー監督が『君の今のパフォーマンスは、すごくナチュラル。それはそれで全然おかしくないんだよ。だけどね、僕は今、君をこの画角で撮りたい。今の君の動きだと、拳銃の先っぽしか見えないんだよ』」と言われたという。
國村:この(動きの)ひとつがやっぱり、表現につながるという、映像の場合はね。
柳楽:そうですよね。
有村:それは、今でも?
國村:もちろん。その画角を意識しながらパフォーマンスするっていうことは、映像をやる上においては不可欠なことで。という意味では、「ブラック・レイン」というのは、私にとって、その後「本気で映画やりたい」と思った大きなきっかけ。
また、國村は「ブラック・レイン」の現場での名優・松田優作さん、高倉健さんとの共演エピソードも明かした。
國村:高倉さんは…カメラ周りに、50人から60人ぐらいのスタッフも含めた人が固まってるのね。300メートルくらい向こうかな、50人ぐらい人がたかってる中で、ある1人の人にすーっと目が吸い寄せられていく。近づいていったら、高倉さんやった。
柳楽:えー、すごいっすね。
國村:あのとき、「あ、これがオーラっていうものか」って思った。何でか知らんけど、ほかにでっかい人なんていっぱいいるじゃん、アメリカのスタッフがいっぱいいるわけだから。にもかかわらず。あれこそオーラやなって。
柳楽:違うんですね、何か。
國村:だから僕にとっては、優作さんにいろんな話を聞かせてもらったのもそうだし、リドリーに映画の「いろは」みたいなことを教えてもらったのもそうだし、高倉さんという存在も。そんな人と一緒にできたこと。やっぱり、すごく大きかったね。
國村の話に、柳楽と有村は感心したように聞き入っていた。
有村・両親の離婚、学校での苦悩…10歳で「いろいろ悟った」
子どものころの話題では、有村は両親の離婚を経験し、「ちゃんと自分で生きていかなきゃいけないんだな」という意識が芽生えたと明かした。
有村:母親を支えていかなきゃいけないし、姉も守っていかなきゃ、自分が父親代わりにならなきゃみたいな意識がすごくあって。
柳楽:へぇー。
有村:そこからは、自分の考え方だったりとか、小学校4年生ぐらいからいろいろあったんですけど…。
國村:え、小学校4年からそんなこと考えてたの?
有村:そうですね。そういう意識が芽生え始めてきて。
國村:すごいね。
有村:一時期、家も結構、なんていうんですか、いい雰囲気ではない時期が続いたりとかして、学校でも友達関係がうまくいかず。そこでいろいろ悟りました。
國村:ようグレへんかったな、それ。
有村:(笑)。そうですね。いろんなことを学んで。
國村:小学校4年で。悟りやな。すごいな。
柳楽:悟りですね。いや、すごいと思います。
有村:だから、なんか「落ち着いてるね」ってよく言われるんですけど。
國村:それは、そうなるよね。
有村:なんか「ちゃんと保っていなきゃ」という意識が強いのかもしれないですね。
中学時代には、人並みに反抗期を迎えたと話す有村。これに柳楽は、「『反抗期』『演技わからない期』『思春期』」が重なり「今、考えても大変だったな」と思うほどの10代だったと振り返った。
國村:2人の状況はすごいね。そこに至るまでが。(有村に)あなたに至っては、小学4年生やろ?
有村:ふふふ。
柳楽:そうですね。
國村:10歳やんか。
柳楽:悟りが早い。早いよ(笑)。
國村:10歳で悟って。あとはもう「慌てず騒がず」やろ?
笑顔でうなずく有村に、「どうりで落ち着きますね、やっぱり一緒にいて」と柳楽は笑っていた。
映画「太陽の子」で共演した、三浦春馬さんの気配り
鼎談の最後には、映画「太陽の子」で共演した、三浦春馬さんの話題に。
國村:僕は、あの3人(柳楽、有村、三浦さん)の縁側のシーン。あそこがすごく好きで。
有村:あ、ありがとうございます。
國村:三浦春馬というね。 彼と一緒にやって、どうやった?
柳楽:あのシーン、本当に(有村演じる)世津のセリフがとても大切な。
國村:そうね、大切やね。
柳楽:シーンとしてもすごく大切なシーンだったんですよね。その中で、春馬くんの気配りって素晴らしいなって。「用意、スタート」で始まったけど、何回か音でこう…ちょっと飛行機飛んできたりして。
國村:あ、中断された。
柳楽:中断せざるを得ない状況の中、架純ちゃんがちゃんと世津として集中しているのを、春馬くんは、察していて。全部撮り終わったあとに、「いや、素晴らしかったよ」っていう声をしっかり掛けられる。それは、素晴らしいなって思いました。
國村:そうやね。ちゃんと気遣いできる人やったな。
柳楽:そうですね。やっぱりそういうことって、すごくいいリアクションになって、いい連鎖になって、何か「また明日もちゃんと頑張ろう」って思えるような。
國村:そういうのって、画の中にも、セリフのやりとり以外のところで映り込むからな。映像ってそこが面白くて。だから、あのシーンがすごくいい、あの3人がいいっていうふうに伝わってくるのは、それが画に映ってるんやろうな。
三浦さんとは、10代前半から共演経験があり、高校では先輩後輩の間柄(柳楽が先輩)だった柳楽は、「いろいろなタイミングでやっぱり意識する人でしたし、本当に人柄としても、あと、もちろん俳優としても、尊敬のできる人だなって思います」と語りった。
これに、國村は「2人(柳楽、有村)は、(三浦さんと映画で)がっつり一緒にやっていて、それ(現場の空気)も含めて、お客さんに受け取ってほしいよね」と、映画の公開に期待を込めた。