毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。

1月17日(日)は、講談師・神田伯山、落語家・瀧川鯉斗、中田敦彦(オリエンタルラジオ)が登場する。

左から)瀧川鯉斗、神田伯山、中田敦彦(オリエンタルラジオ)

「会った方がいい」妻・福田萌の猛プッシュでテレビ出演を決めた中田

神田と瀧川は14年来の仲で、「兄さん」「ジョウ」(※)と呼び合う間柄だが、2人と中田は初対面。

(※)「ジョウ」は、神田伯山襲名前の神田松之丞(かんだ・まつのじょう)から。

現在はYouTubeを中心に「週2日しか働いていない」と明かす中田

神田:(自分と瀧川)2人(の出演)が決まってたんですよ。あと1人誰にしよう?となったときに、「中田さんにお会いしたいな」と思って。

中田:えー、うれしい。

神田:中田さんは、私や鯉斗兄さんに対して印象とかって?

中田:僕は、正直、今テレビにそんなにたくさん呼んでもらう立場ではない。今の主軸の活動がYouTubeなので。だけど、このお話をいただいたときに、神田伯山さん、ずっと気になっていたんですよ。

神田:ありがたい。

中田:「この人は、見ておいた方がいいと思う」と言われて。

神田:奥様が?

中田:そう。だから、そこからずっと研究してたんですよ…。

中田は、テレビには出るつもりはなかったが、瀧川についても妻・福田萌の「会った方がいい」という「猛プッシュ」があり、出演オファーを受けたと経緯を語る。

「何もなかった」10代から「講談師」になるまでの起爆剤となったのは?

瀧川は、落語家としてだけではなく、元暴走族という異色の経歴や、そのルックスでも注目を集め、各方面で活躍の場を広げている。

故・桂歌丸師匠にかわいがられたという瀧川

中田:やっぱりこの「落語」というジャンルで、一番、待ち望まれていた人材ですよね?

神田:そうです。いい男だし、華もあるんで、兄さん目当てで、今、お客さんがこのコロナの時代なのに寄席に来ますもん。

瀧川:あ、やっぱり(笑)?

中田:あはははは!いいですね。

瀧川:俺は、10代のころ“少年A”でおイタしてたけど、じょうは10代のころ何してたの?

神田:何もしてない。ボーッとしてましたよ(笑)。

瀧川:何かやってたでしょ?

神田:でも僕はね、何もなくて。中田さんみたいに勉強もできるわけじゃないし。

中田:いえいえ。

神田:運動もできるわけじゃないし、自分に何もないわけ。そういう人、テレビを見ている人の中にたくさんいると思うけど…。

神田は「何もない」中で好きなことを見つけ、講談師を目指すきっかけ、「起爆剤」となった思いを語っていく。

また、瀧川も「役者になりたくて上京」したのち、落語に出会ったいきさつや、役者を目指していたからこそ気づいた落語の魅力を語る。

神田、瀧川が語る伝統芸能の世界

中田は「全然知らない世界なので…」と、講談師と落語家の違いなどを尋ねる。神田と瀧川は、修業時代のエピソードを語り、伝統芸能を継承していくこと、それぞれの師匠や、故・桂歌丸さんとのエピソードを明かす。

「講談以外に興味がない」と語る神田

神田:俺も、鯉斗兄さんも師匠が良い人だからいいけど、嫌な人のところに入ったら地獄ですよね。

瀧川:地獄だね。

中田:良い師匠と悪い師匠って、何対何でいるんですか?

神田:これは難しくて。

瀧川:難しいな。

神田:その人を嫌いになっても、芸を好きでいればいいんですよ。

「芸」にほれ込んでいればこそ、辛い修業も乗り越えられるという神田の答えに、中田は感嘆の声をあげる。

また、神田はテレビ番組のお見合い企画で浅田真央さんと連絡先を交換した瀧川に「やりとりしているのか」と突っ込んだ話を聞くほか、今年「シンガポールに移住する」という中田にその真意を聞いていく。

そのほか、テレビタレントやこれからのテレビについて、「芸」と「お金」についてなど、忖度なしの本音を語り合う。