テレビマンの仕事の極意と、彼らの素顔に迫る連載「テレビマンって実は」。
第2回に登場するのは、現在、フジテレビで放送中の木曜劇場『知ってるワイフ』(毎週木曜22時~)を手がける、貸川聡子(かしかわ・さとこ)プロデューサー(以下、貸川P)だ。
共同テレビに所属する貸川Pは、ドラマを始め、現在公開中の「名のなき世界のエンドロール」や、「半径1メートルの君~上を向いて歩こう~」(2月26日公開)といった映画のプロデュースも手掛ける。
知っているようで知らないドラマ/映画プロデューサーの仕事とは?貸川Pにリモートでのインタビューで聞いた。
監督・ディレクターが“現場の指揮官”であるなら、プロデューサーは、“総指揮官”のような役回り
――『知ってるワイフ』は、すでに撮影を終えているそうですが、今現在は、どのようなお仕事をされていますか?
『知ってるワイフ』の編集の仕上げ作業をやったり、番宣の仕込みをしたり、映画に関しては、昨年末に撮影が終わった「半径1メートルの君」の、こちらも編集の仕上げや最終的に詰める作業をしています。あとは、今年の夏頃に放送予定のドラマの準備もしています。
――共同テレビは、制作プロダクションですが、そこでのプロデューサーとは、どのようなお仕事でしょうか?
基本的には企画を立てることからスタートします。日々アンテナを貼り、リサーチをしながら、面白いと思ったものを「この題材なら連ドラであの枠がいい。こっちなら単発ドラマがいい」などと考えて企画にし、それを「キャストは〇〇さんで、こんな風にやってみたい」とテレビ局や映画会社に売り込んだり、あるいは、最初から局や映画会社の方と一緒に企画を考えていったりします。
キャスティングをし、脚本家さんを決め、脚本家さんと一緒にストーリーを作っていく、という大枠、側(がわ)を作り上げていく作業ですね。
あとは、現場の管理も。撮影にあたっての予算であるとか、安全管理面を考えるのも仕事です。監督・ディレクターが“現場の指揮官”であるなら、プロデューサーは、さらにその周りのいろいろなことを見る“総指揮官”のような役回りといったところでしょうか。
ずっと同じ人たちばかりじゃない、座組が変わるというのも、自分の性格に合っていた
――貸川さんがプロデューサーになられたのは2005年でしょうか?
2004年から先輩プロデューサーの下で、“プロデューサー”の肩書はありましたが、実際に連ドラで初めてプロデュースしたのは05年の『1リットルの涙』(フジテレビ)からです。02年入社ですので、かなり早めのスタートではありますね。当時、下積みも大事だけれど、若いうちにプロデューサーをやらせて、そこで学ばせようという会社の方針で、比較的若手が登用される時期があったんです。その中で抜擢してもらいスタートを切れた形でした。
そこから今まで現場でやってみて、結果として、私自身ディレクターよりもプロデューサーのほうが向いていたのかな、と感じています。
――どんなところが向いていたと思いますか?
ディレクターは、そこにある食材でどう料理するか、その手腕が問われる仕事で、料理の仕方がとっても大事なんですけど、プロデューサーは、その前に食材を用意してどんな料理を作るかを決めるところからが仕事で。私としてはそっちのほうにやりがいを感じるといいますか。
企画、キャスト、脚本家、監督といった座組(組み合わせ)を考えて選んでいくのは、掛け合わせの面白さがすごくあるんです。そこを味わえるのはプロデューサーならではですので。
あとは、ざっくりした性格なので(笑)、例えば、美術セットの細かい一つひとつにまで目配りしなければいけないディレクターより、もうちょっと“大枠”を見るほうに興味がわくタイプなのかなと思います。
「ドラマが人様の人生を変えるきっかけにもなるんだ、と気づかされた」
――特にやりがい、醍醐味を感じるのはどんな時ですか?
やっぱり自分が考えたり面白いと思ったりして作った作品が、尋常じゃない数の人の目に触れることが、怖さはあっても得難いことだと思っているので、シンプルですけどその醍醐味と、あとはモノ作りの楽しさです。キャスト、スタッフ、関係者…かなり大人数で仕事をするんですけど、価値観の共有のようなことがすごい密度で行われるので、関係性やつながりがとても深くなるんです。そこが好きですね。
そしてそれが、ずっと同じ人たちばかりじゃない、座組が変わるというのも、自分の性格に合ってるな、という(笑)。同じ組では二度とできないその刹那と、だからこそ得難いみたいなところが性に合ってるんだと思います。
――ご自身にとってターニングポイントといえる作品はありますか?
08年、NHKの企画募集に応募してやることになった『乙女のパンチ』という連ドラでしょうか。04年くらいから20代のプロデューサーとして、現場経験も少なく未熟なところも多い中やってきて、06から07年頃にやっぱり無理がでてきたんです。
それで、06年~07年頃、ドラマと兼務して当時立ち上がったばかりのWEB媒体を扱う部署にいたことも。ただ、そこでやれるのはドラマではなかったので、やはり「自分はドラマが作りたいんだ」と痛感したんです。そこで、自分なりに「建て直さなければいけない」と思い立って、NHKの企画に応募。初めて自分で企画プロデュースの作品をやることになりました。
しずちゃん(山崎静代)演じる主人公がボクサーを目指す話で、その時、監修についてくださったボクシング指導の方がトレーナーになって、後にしずちゃんは本当にボクサーを目指すことになるんです。
ドラマが人様の人生を変えるきっかけにもなるんだ、と気づかされもしましたし、自分の人生としても一つのポイントになった作品だと思います。
【全クリエイターへの共通質問】
――座右の銘/好きな言葉は?
「さよならだけが人生だ」
――忘れられない人、もう一度会いたい人は?
父親。私が20代の頃に亡くなったので、今のプロデュース作品を見たら何と言うか聞いてみたいです。
――いつも心にある作品は?
「地獄の黙示録」
初めて映像に圧倒された、という体験をしたのがこれ。作りたいジャンルそのものとは違いますが、作る側になってみたいと思ったきっかけのような気はします。
――憧れる人は?
黒柳徹子さん。唯一無二の存在なので。
――すごく落ち込むことがあった日には、何をしますか?
酒を飲んで、寝る。
――今、一番の至福の時間は?
布団乾燥機で温めた布団に入った瞬間。笑
――神様から一つ能力が与えられるとしたら、何を望みますか?
何を食べてもどんなに運動しなくても太らない能力。
――思い出の品といえば、どんなものになりますか?
あまり物に執着がなくて…特にありません。