3月14日(日)14時からフジテレビでは『ザ・ノンフィクション わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<後編>』が放送され、ナレーションを薬師丸ひろ子が担当する。

<放送内容>

東日本大震災から丸10年。

あの日に起きたこと、人々を襲った悲しみと苦しみ、失ったものを、「忘れてはいけない」という思いで追い続けているドキュメンタリーシリーズ「わすれない」。今回、つづるのは、家族や仲間、故郷を失った少年と少女が歩んできた10年。先週に続く<後編>を放送する。

「もう取材はこれで…」そう口を開いたのは、石巻・大川小の“てっちゃん”、21歳になった只野哲也さん。

全校児童の約7割、74人の幼い命が津波で犠牲になった大川小学校で、多くの仲間と最愛の母・妹・祖父を失いながら奇跡的に助かった彼の10年…向けられるたくさんのカメラとマイク。人々に注目され続け、一挙手一投足までをメディアに取り上げられる日々。そんな哲也さんは今、苦しみの中にいる。明かされたのは、警察官になるという目標を失い、大学も中退したという事実…。

番組は、そんな彼が歩み、背負ってきた10年を巡る“旅”に出る。そして、初めて語ってくれたのは「このままだと生きているようで生きていないような…」という苦悩だった。

「これからは、誰かのためじゃなく自分のために時間を使いたい。だからもう取材はこれで…」打ち明けた彼の本心。その言葉をあとに、取材班は哲也のもとを離れた。

あれから10年の3月11日をてっちゃんは、どんな気持ちで迎えたのか…。

<薬師丸ひろ子 インタビュー>

これまでも2回、ドキュメンタリーシリーズ「わすれない」で、“てっちゃん”こと只野哲也さんの物語のナレーションを担当した薬師丸。彼の成長に驚きつつ、この10年で“てっちゃん”から受け取ったものを明かしてくれた。

――収録を終えての感想を教えてください。

改めて、誰かに何かを教えてもらうというのは、年齢は関係なく、その人の持っているものによるんだな、と感じました。今回で言えば哲也さんや、お父さんをはじめとする登場してくださった方々になりますが、背筋をしゃんと伸ばして生きることなどを教えてもらいました。

――哲也さんの10年をどのように感じましたか?

よそのお子さんの成長は早いと言いますけど、最初にあれから10年経った哲也さんを見たときは大人になっていてびっくりしました。

ただ、私たちとは違う長い長い10年だったのだろうな、と。人によって月日の流れに対する感じ方は違いますよね。それは震災というものが大きかったのだろう、とも思います。

――先週放送された<前編>のナレーションを担当して、周りから反響はありましたか?

哲也さんのことは、私の友人たちも以前から放送を見て知っていて、子どもを持つ友人も多いので、とても関心を持って見てくれています。本当に切なくて、身につまされる思いがして、涙なくして見られなかったという話ももらいました。

――<前編>では原発事故により大好きなふるさとを離れて暮らす島絵理奈さんの10年も取り上げられていました。

絵理奈さんは自分としてはふるさとで暮らしたいけど、少しでも放射能の影響が少ないところで暮らしてほしいという親の思いもわかるから、わがままを言ってはいけない、と思っている。一方で親としては、自分を抑え込んで納得出来ないけど必死に受け入れようとしている子どもの姿を見るのもつらいだろうと感じました。

――薬師丸さんはイベントなどで被災地を訪れていますが、どんなことを感じましたか?

行くたびに現地の方々にいろんな説明をしていただいて、震災前はどんなふうで、どれくらい変わってしまったのかを聞きながら、今は何もない野原や、途絶えた線路を見ると、以前を知らない私でさえ、相当な衝撃を受けます。だから、実際にそれを体験された被災地の方々にしてみたら、何も終わっていないことなんだ、と感じますね。

――今回の放送を見る方へメッセージをお願いします。

多感で難しい思春期の時期も、取材をさせてくれた哲也さん、ご家族の皆さん、その日常から伝わってくる思いに胸が熱くなりました。そして私はもう少し頑張らなくては…と。彼の姿、言葉はきっと皆さんの心に静かに流れると思います。