石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。
6月30日(火)の放送は、青山学院大学陸上競技部監督・原晋が登場。サラリーマンから大学駅伝の監督へ転身した経緯や、箱根駅伝で優勝するまでの道のり、今後の展望について語った。
一般サラリーマンが「縁もゆかりもない」青学で監督になった理由
2015年、青山学院大学(以下、青学)史上初となる箱根駅伝総合優勝を実現させ、一躍注目を浴びた原監督。指導経験がない中、2004年に「縁もゆかりもない」青学の監督に就任したが、それまでは「中国電力」で一般のサラリーマンとして働いていたという。
石橋:サラリーマンとしては、素晴らしい成績を収めていたと聞いてますよ。
原:そもそも電力業界自体が「電気いかがですか?」というような世界じゃありませんので、営業という分野がない業界だったんですね。そこに新しく、電力の自由化の中で、初めて業界の中である意味“営業”として動いた。何もないところから編み出すことにある種長けていた部分はあるのかなというふうには思っているんですよ。今まで経験のないことに対してチャレンジしていくタイプだったので。
石橋:そういうことに対しては、ビビらず飛び込めるんですか。
原:逆にそっちの方が楽しいですね。
石橋:青学の監督といっても、OBでもない、ましてや(駅伝を)指導したこともない。どこで青学の上層部に「よし、原さんに監督を任そう」と(言わせた)?
原:高校時代までは、全国高校駅伝2番(準優勝)というところでキャプテンをやらせてもらったり、大学3年生のときも全日本インターカレッジ(5000m)で3番という実績はあったわけですね。それなりのノウハウは持っていたという思いはあったんですね。
そのメソッドを企画書としてですね、パワーポイントを用いて資料として提案していった。これはビジネスマンとしてのノウハウを、10年間のサラリーマンの中で作ることができたのかなと。そして10年計画書として、この部を10年後にどうしたいのかというのを提案していった。
5年で箱根駅伝に出場させる、8年後くらいにシード権、10年後優勝という具体的なプランニングを作って。もう一つのコンセプトは、箱根駅伝といえども、これは大学の教育期間なので、教育としてどうあるべきかというのも併せて提案していったところが、受け入れていただいたのかなと思いますね。
廃部の危機を乗り越えて5年目でつかんだ箱根駅伝への切符
石橋:監督を任されたときは、青学はどのくらいのチームだったんですか?
原:弱いなんていうもんじゃなかったですね。もう28年箱根駅伝に出ていないチームの再建を託されての監督就任だったんですよ。
石橋:小田原厚木道路まで行ってない感じですね、完全に。
原:(笑)。雨降ってたら、コンビニで立ち読みしている子もいるし、飲みすぎて小田急線で吐いて緊急停止ボタン押されちゃって追い出されたり。
石橋:荒くれ軍団だったんですか!?
原:そこまで根の悪い子はいませんでしたけども、陸上に真剣に向き合っているかと言ったら、ちょっとクエスチョンだったですよね。
石橋:何から着手したんですか?
原:朝ちゃんと起きて。
石橋:あははは。そこですか。朝、ちゃんと起きる。
原:朝ごはんもみんなで食べて。そのサイクルを、言わなくても自然にできるようにするのに、まぁ、8年くらいかかりました。
石橋:だって当初は、5年で(箱根駅伝に)行かなきゃいけないわけでしょ?
原:ええ。特に3年目なんかはボロボロで、タイム差でいえば初年度よりも3年目の方が、順位は一緒だったんですけど、タイム差がひどくて。チームが崩壊しかけた時期もありましたね。
石橋:大学側からしたら原監督、成績出ていないじゃないかということですよね。
原:私自身が3年間の嘱託職員で、3年で契約が切れる、クビになる。一応話を聞いてくれるということで大学側に説明をしに行ったんですけれども。具体的な陸上に対するプランニングよりも、「この子たちはちゃんと規則正しい生活ができるようになりました」「私はクビにしてもらっても構いませんけれども、この部だけは存続してください」と。「必ず来年成果が出ますから」ということは伝えました。
石橋:廃部もあったわけですね、下手すれば。
原:ありました。周りは「もうやっても仕方ないじゃないか」という雰囲気になっていました。
石橋:それをどうやって食い止めたんですか?
原:私だけの力ではなくて、1期生の学生たちが「原監督ともう1年頑張りたい」と言ってくれたんで、大学側も「そこまで言うなら」と。
廃部の危機を乗り越えて迎えた4年目も、箱根駅伝には次点で届かず「甘くなかった」と振り返る原監督。またもクビになりかけたが「次点のチームの監督が関東学連選抜チームの監督になる」というルールがあり、そこで現在でも最高順位である4位という成績を残し、引き続き監督として青学に留まることが決定する。非常勤の職員から正式な職員に採用となり、その年に33年ぶりの箱根駅伝出場を叶えた。
原:今でも忘れないんですけども、当時は記念大会だったんで13枠まで出られたんです。でも発表のときに、12枠まで呼ばれない。
石橋:あと1枠。
原:「やっぱりダメか」と思っていたら、 報道の方々、カメラさんがえらい近寄ってくるんですね。それで「第13位、青山学院大学」って言われた瞬間はですね、人間ていうのはうれしいときは、ジャンプしますね。
石橋:あはははは。
原:思わずガッツポーズ。次の大学とのタイム差が9秒だったんですよ。10人で割ると、1人、約1秒。1秒の頑張りで33年ぶりに出られたという。
石橋:そういういい流れになると、それこそ合宿所の生活とか、そういうのが一気にまた好転していく?
原:あの箱根駅伝を一度経験すると、それはそれはもう、沿道からの声援とか何番でも、それはそれは夢心地ですからね。
初出場から初優勝へ導いた原メソッドとは?
石橋:計画書でいったら、まだ1ページ目(箱根駅伝出場)をクリアしただけですよね?次の優勝争い、そして優勝するという2つのミッションはどうクリアしていったんですか?
原:やはり、当たり前のベースを上げていくだけなんですね。
石橋:当たり前のベースを上げる?
原:はい。陸上競技というのは規則正しい生活をきちんとやらなければいけないと。朝早く起きて、夜早く寝て、3食を摂るという当たり前のベースをきちんとやっていく、それが定着する。トレーニングもその設定タイムを少しずつ上げていくことによって、昔だったらこの練習はヒーヒーハーハー言っていたものが、今、楽にできるようになるというような。
できる半歩先の目標を考えながら積み上げていく。その子の能力の行き過ぎたもの(目標)は、妄想に過ぎないので、その子の能力の半歩先を見据えて、そこを成果として、当たり前のベースとしていく、その連続性だと思うんですよね。
石橋:当然のように、10人いたら、10人の長所短所は違いますよね?
原:はい。これもビジネスメソッドの一つなんですけども、A4一枚の目標管理シートにですね、年間の目標、月間の目標、これはチームとして共通項なんですけれども、その2つを受けて、個人の目標を考えさせて、それに対する具体的なやり方、陸上面と生活面、これを1つのシートに、私が指示をするのではなく、学生たちが自らの心と向き合いながら記入していって、それをチーム全体でグループ討議をしていって、自分自身のものにして行動にすると。
そういう仕掛けを就任当時からやっていたわけですけれども、それが当たり前に定着するのに、5年6年かかって。やり方は一緒なんだけれども、その中身が徐々に高まっていく、その繰り返しだと僕は思っているんですね。
石橋:日常の形がかなり固まってきたら、その初出場から優勝争いというのは近かったですか?
原:回転すると速かったですよね。やっぱり顔つきも、目つきも、言葉も、変わってきますよね。
上級生が頑張っている姿を見て、下級生が「あの先輩のために」となってくる
次第に「青学で走りたい」という高校生も増え、スカウティングもうまくいくようになり、ますますチームの士気は上がっていったという。
原:注意点としては、体育会系にありがちなですね、「いい選手が入ってきたら上が潰す」ようなことが従来の体育会系ではあったと思うんですけども、私はそれを決して許さない。「みんな仲間なんだ、ファミリーなんだと。良き兄貴分として、後輩を従えてくれよ」と。「威張り散らしてこき使う、滅私奉公、付き人のようなことは絶対に許さんからな」ということは、ずっと言い続けましたね。
石橋:やっぱり4年生の力は絶大ですか。
原:大きいです。その年の4年生の踏ん張りが、最後の箱根駅伝、みんなで笑えるか否かだと思います。4年生が頑張ってる、レギュラーになれる子なれない子関係なく、頑張っている姿を見て、下級生が「あの先輩のために」となってくるもんですね、学生スポーツというものは。
石橋:それで、ついに優勝が。
原:「こんなにうまくいっていいのかな」というのと、「他の大学何やってんや?」と。こういうこと言うとまたバッシング受けるんですよ(笑)。普通にやっていれば、普通に伸びるでしょうと、僕は思うんですけども、それだけ陸上業界が遅れた産業だったんだと思います。
就任当時、「自分が現役だったころと変わらない光景、文化を目にした」と語る原監督は、「それだけ遅れているところに異端児が飛び込んで、ある意味ガシャガシャとやったら、10年かかったけれども勝てました、という。私が改革して何か新しいものを取り入れたというよりは、社会常識からすれば普通のことをやっただけに過ぎない」と分析する。
箱根駅伝初優勝から5連覇を成し遂げている青学。「学生が原イズムをくみ取って頑張ってくれた」と話す原監督に石橋は「1区から10区までって、どうやって決めるんですか?」と選手の采配についても問う。
10年前に比べると体育会の雰囲気変わってきた
原:夏合宿でアップダウンのあるコースとかも結構走っていくので、この子、上りに向ているなとか、あるいは寮生活の中できちっとしている子は、復路で仮に単独走になったときでも自分のペースをきちっと刻めるとか、爆発力のある子は、どちらかというと割と明るい子が(多く)、レースでもワァーっと行くので、往路に向いているとか。組み合わせですね。
石橋:そういうところで判断して組み立てていくんですか。
原:その子の能力に適した場所を、まずは作っていくというような。
石橋:あぁ、そうなんですか。
原:2区のエース区間=エースを持っていくという発想ではないですね。
石橋:「監督、2区走らせてくれよ」「10区走らせてくれよ」とか主張してくる子はいないんですか?
原:次点で漏れて「なぜ選ばれなかったのか教えてください」と言ってくる子はいます。そのときにちゃんと理屈を指導者が言えて、かつ選んだ側がちゃんと走ってくれれば、(選ばれなかったのも)「しょうがないね」っていうふうになるんですけど。
ここで誤った選択を1年、2年、3年と続けていくと、監督としての信頼が失われますので。本当はみんなに走らせてあげたいんですけれども、特にギリギリ次点、次次点で走れない子のことは、その子のことだけじゃなくてご家族のことも頭の中に浮かんでくるので。
石橋:はぁ~、それは大変な作業ですね。でも各大学も黙って見ていないでしょうから「打倒!原監督」「打倒青山学院」と。これが陸上競技界全部の底上げになっていくわけですよね。
原:はい。10年前に比べると体育会の雰囲気変わってきました。我々も止まっているわけにいかないので、またそこに負けじと頑張る、またついてくる、また頑張る。その繰り返しで業界全体が盛り上がっていけば、それはそれでうれしいなと思います。
昨年度から青山学院の地球社会共生学部の教授に
原監督の言葉の数々に「これは強いわ」と納得の石橋だった。そのほか、「学生に寄り添ってくれる」妻の協力や、実は高校野球界から監督のオファーがあったという話題も明かす。
原:ただ、今さらそういう分野のチャレンジというより、昨年度から青山学院の地球社会共生学部の教授にですね…。
石橋:ついに!だって最初は、非常勤ですよね?
原:リーダーシップ演習というのを担当させていただいていて「リーダーとは何ぞや」、それはスポーツであろうがビジネスであろうが、ご家庭であろうが、変わらない通底するベースがありますので、それを学生たちに伝えています。日本の教育や、日本のリーダーの在り方についての改革マインドを学生たちに伝えて、教育界での活動を地道にこれからはやっていきたいかなと今は思っています。
今年度も「良い選手が入ってきた」という青学陸上競技部に、石橋も大きな期待を寄せていた。
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