宇梶剛士さんが、グレた過去と俳優を目指したきっかけを語りました。

現在放送中のドラマ『ナンバMG5』(フジテレビ毎週水曜22時~)に出演している宇梶さんが、自身の人生を語る「オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~」に登場。

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若い頃の数々の伝説が語られる宇梶さんですが、あることをきっかけに俳優の道を志し、今やドラマ・映画・舞台に欠かせない名バイプレイヤーに。いったい何があったのでしょうか。これまでの人生、そしてこれからの人生について語ってもらいました。

『ナンバMG5』の現場は「新鮮な感覚」

──まずは、ドラマ『ナンバMG5』の撮影現場の雰囲気についてお聞かせください。

今回、演じている難破勝という役は、自分で言うのもアレですが、街で会いたくない、見かけたら歩くコースを変えるタイプのキャラクターですよね(笑)。でも、今回の現場の何が楽しいって、自分も含め「芝居をやりたい」と思って集まった役者たちが「次の場面、どうしようか」と率直に話し合える、いわゆる職業的な楽しさがあること。気を使わなくても自然と輪に入っていける、非常にリラックスした撮影現場なんです。

僕なんかは若い頃、よく先輩から「(撮影現場で)友だちなんて作ってんじゃねえぞ!」と叱られて育った世代ですし(笑)、このガタイでこの風貌ですから、ほとんど共演者に話しかけずにここまで来てしまった。「仕事場」という意識が強く染み付いているんです。なので、主演で次男・剛役の間宮(祥太朗)くん、長男・猛役の満島(真之介)くんら、いろいろな世代といろいろな意見を交わしながら一つの場面を作り上げていく過程には、まるで劇団の仲間と一緒にモノづくりをしているような新鮮な感覚があります。

社会生活の中でも、簡単に近づいた人は簡単に離れていくものじゃないですか。そういうこともあって、仕事場での人づきあいに関しては慎重な自分がいたんですけど、『ナンバMG5』では、みんなの表情がとても普通なんですよ。あとは、自分も歳をとって「言う」より「聞く」ことが増えているというのも感じますね。

──主演の間宮祥太朗さんの印象はいかがですか?

間宮くんは皮膚感が良いというか、肩に力が入ってない自然体な人で、その場で感じたことを表現できる俳優だと思います。それはもう、持って生まれたものなんでしょうね。僕なんかは自分がいびつであることが分かっているから、努力して自然でいよう、相手と目の高さを合わせよう、と常に言い聞かせてやって来ましたが。

17、18歳の頃に読んだことわざ辞典に「習慣は第二の天性」というのがあったんです。その頃、自分の性格がすごく嫌いで、それを読んだ時に「ああ、そういうふうにすればいいんだ!」と気づかされて、自分がいいと思った言動を習慣化させるように。それが今に至っています。

大好きだった野球を取り上げた、大人への不信感と怒り

──宇梶さんはどんな青年時代を過ごしていましたか?

振り返ると、10代の自分を支えていたものは、大人に対する不信感と怒りでした。

高校生の時に野球部に所属していましたが、1年以上にわたって先輩たちから激しい暴力を受け続け、100人以上いた仲間が25人にまで減ってしまったんです。僕は「野球がやりたい」という一心でなんとか耐えていたけど、それでも限界が来て告発したら、なぜか学校は「暴力はほぼ無かった」と。それどころか僕が首謀者となって野球部に対して謀反を起こした、ということになってしまって。

理不尽極まりないですが、強豪校でしたし、不祥事を学校の外に絶対に出すまい、という“大人の対応”だった、の一言に尽きると思います。そうして2ヵ月もの間、グランドには出られても、野球をすることは禁じられまして。

失意の中帰る道すがら、駅前に暴走族がたまっていて、それまでは挨拶程度でやり過ごしていたんですが…。

僕は決して不良少年ではなかったんですよ。でも、自分がガキ大将だった頃の仲間や子分がその暴走族にいたので、次第に一緒に行動するようになって。そこで彼らから、暴力団の食い物にされているという話を聞いて、じゃあ俺が話をつけにいってやる、となり…。結果、大きな事件になってしまいました。

──大人から理不尽に押さえつけられると、子どもは反発するものですよね。

そうですね。社会において、ルールやマニュアルなど、人間はさまざまな形で均衡を保とうとするものですが、僕は「してはいけないこと」よりも「したほうがいいこと」を教えるほうが大事だと思うんです。

規則や法律を制定して「こうやってはいけません」と、いくら細かく張り巡らしても、日常が息苦しくなるだけで、結局は網の目をくぐって裏に回る。そうではなく「こうしなさい」という生き方や考え方を、大人がきちんと若者に教え、示していかないと社会はなかなか変わらないのではないでしょうか。

「暴力はいけません」「差別はいけません」と、その場しのぎの薄っぺらい言葉を並べるのではなく、嘆くよりも考える、考えればやがてそれが行動につながっていくと僕は信じています。

俳優になろうと決めたきっかけは、チャップリンの伝記

──俳優を目指すきっかけは、なんだったのでしょうか?

俳優の道を志すようになったきっかけは、少年院に入っていた時に母が差し入れてくれたチャップリンの伝記です。それまでは面白くて、世界的スターで、大金持ちで、豪邸に住んでて、成功者として何不自由なく暮らしているイメージでしたが、伝記を読むと、子どもの頃、父親が家族を捨てて家を出てしまい、どんどん貧しくいく中でも俳優になる夢をあきらめず、チャンスをつかんでいく、とんでもない努力の人でした。

当時の僕にとって、“未来”であり“生きる原動力”になっていたのは「野球」でしたから、それが無くなったことはとても大きく、グレにグレて気づいたら檻の中にいた。留置所と鑑別所合わせて50日、少年院に4ヵ月。自分の足元を見つめ直し、高校受験に挑戦しようかと思っていたタイミングで、チャップリンの伝記と出会ったんです。

団地に住んでいて、親がなかなか家に帰って来なかった寂しさと、周りから同情され心配される恥ずかしさを抱えながら生きていた自分自身の姿と重ね合わせると共に、チャップリンはあんなに努力したのに、いったい俺は何やっているんだ、と。もう泣いて泣いて自分の中のコールタールのような、ヘドロのような汚い感情をすべて流し出し、「俳優」になると決めました。

生きる原動力だった野球を無情にも取り上げた大人への憤りを募らせ、道を外れてしまった苦い過去。そこから見つけ出した「俳優」という一筋の光。自身の経験を踏まえ、静かに熱く語ってくれた宇梶さん。 後編では恩師・菅原文太さんとの運命的な出会い、映画・劇場版「永遠ノ矢トワノアイ」の制作秘話について迫ります。

撮影:河井彩美
取材・文:中村裕一