2011年3月11日に発生した東日本大震災から今年で12年。改めて、当時を思い、“知り続ける”ことの大切さが見直されています。発災当時、取材・報道の現場で「伝え続けた」テレビ局のアナウンサーたちは今、知り続けることの大切さについて何を思うのでしょうか。
伊藤利尋フジテレビアナウンサーは、当時を振り返り、被害状況が広すぎて全容を伝えきれない中、「自分たちは今、何をしているのか」と自問自答したと語ります。
当時の状況、震災報道を経験して感じる“伝える側”としての変化、知り続けていることについて聞きました。
<伊藤利尋アナウンサー インタビュー>
――2011年3月11日、震災発生時のご自身の状況を教えてください。
当時は『めざましテレビ』『知りたがり!』の2番組のスタジオを担当していました。スタジオでは福島第一原子力発電所の事故の状況を伝えることが大きなテーマで、すぐに現場に行くという感じではありませんでした。
私自身、発災時は飛行機に乗って大阪へ向かっている途中でしたので、大阪に到着してから震災が起きたことを知りました。フジテレビでは金曜日の発災直後から報道局が震災報道を続けていましたが、現場の疲弊もあることから日曜日の夜の放送は情報制作局が担当することに決まり、プロデューサーからの連絡を受けて私は日曜の朝に飛行機で東京に戻りました。同様に地方出張中だった(『情報プレゼンター とくダネ!』メインキャスターの)小倉智昭さんも急遽、東京に戻って来られ、一緒に番組を担当しました。
スタジオでは、「何が起きているのか、全容を伝えないといけない」という気持ちでしたが、日曜の夜の時点では、あまりに被害地域が広くと、原発の状況などもよく分からなかったため、「全容を伝えきれないな」と感じたのを覚えています。本来は、全容を把握したうえで「今、何を伝えるべきか」判断をするのが正しいのですが、発災から3日目の時点でも、「自分たちは今、何をしているのか」「何を伝えるべきか」困惑するような空気の中でやっていた印象があります。
今、当時を振り返ると、やはり「原発とは一体どういうものなのか」ということに対する僕らの知見が足りなかったところは否定できません。もちろん高度な部分は専門家に聞きますが、「何が起きているのか」を理解するベースラインの知見が僕らもスタッフも足りなかった。「何を信じていいのかわからない」という、あの時の空気感もちょっと異常だったと感じています。
――そのような状況の中、伝える際にどんなことを感じていましたか?
震災の全体像を自分自身が把握できないまま、入ってくる情報に対応していかなければいけない。当時はまだ余震が多くて、緊急地震速報が頻発していたため、その対応もありました。情報を整理して伝えたいとは思うけれど、整理しきれなくて、結果としていたずらに視聴者の不安を煽ることになっていたのでは、と反省する部分もあります。
いわゆる“予報”としての緊急地震速報が出ると、何秒か後に揺れてその“答え”があります。ところが当時は、緊急地震速報が出てもすぐにまた次の緊急地震速報が出たりする。そうすると、自分の中で「この揺れはさっきの緊急地震速報に対して揺れなのだろうか」と、まだわかっていないのに伝えなければいけない。避難している最中の人や避難所にいる人たちは、どんな気持ちでこの放送を見たのだろうかと今でも考えます。
東京も揺れた東日本大震災を経て、みんな初めて“自分ごと”に
――実際の取材で印象に残っていることを教えてください。
僕はスタジオ担当でしたので、現場には発災から3ヵ月後ぐらいに行きました。『めざましテレビ』の中継コーナーでお世話になった、岩手で料理店をやってらっしゃる方に会いに行く取材でした。すごく元気な女将さんなんですが、久しぶりに会うと泣き崩れられて…いかに不安な日々を過ごされていたのかと強く感じました。
発災直後は、どうしても「今、起きていること」に反応することしか僕らはできない。「何人が避難しています」と数字だけを言うのは簡単ですが、すごい緊張感の中で避難生活をしている被災した人たちの気持ちにに、どれだけ寄り添えるのかということが大事ですし、心して伝えないといけないなと思いました。
――震災から12年、伝える側としての変化は感じますか?
僕は神戸出身で、入社する年の1995年、1月17日に阪神・淡路大震災が起きました。この震災では6000人以上の方が亡くなっていますが、東京ではオウム真理教の事件がニュースの中心であまり報道されておらず、若かったこともあり「なんで阪神・淡路のことをやらないんだ」と憤りを感じていました。
「テロ事件」と「天災」の扱いの違い…テレビに毒されてしまったのか、今は僕自身も少し理解できる部分もありますが、震災報道についてはやはり東京も揺れた東日本大震災を経て、我々みんな初めて“自分ごと”になったという感じがします。
その後、僕は2016年4月に起きた熊本地震の取材をしました。悲しいことですけれども、震災報道については日本各地で大きな災害が起こる度に共有されてきたものも少なくないように感じます。例えば、他局が衝撃的で“派手”な映像を撮っていて、「うちだって」と競うようなことが以前はありましたが、今はもうそういう空気は変わってきています。現場で取材をする際の意識も合わせて、もっともっと変わらなきゃいけないと思いますが…。
家が倒れている衝撃的な様子はテレビ的には目立つという発想があるのかもしれないけれど、地盤の液状化で家がちょっとだけ傾いてしまった住人の方にとっても結局は家が壊れている状況と一緒なわけですよね。そこに変なテレビ的なバイアスをかけて、「こっちは派手だけど、こっちは地味」という発想はまったく違う。一見地味で映像的にひと目で被害を伝えることが難しくても、そこにある現実をどう伝えるかということが大事なのだと思います。
発災直後に「観光地はどうなったか」というような変な“東京目線”に引っ張られる傾向は否定できません。でも、現場で起きていることはそれだけではありません。
これまで災害が起きるたびにテレビの報道に対して様々な批判がありました。デマなども飛び交う被災地にあって、如何に我々を信頼してもらうか。「今、何をどう伝えるべきか」一瞬立ち止まって考えることの必要性を、今改めて強く感じています。
“そこに居る人たち”の日常に思いが至るような“継承”を
――当時の様子を伝える特番が減っていたり、伝え方が変わってきたりという中でも、忘れてはいけない、伝え続けないといけない使命のようなものがあると思います。その難しさをどう思いますか?
“教訓”にするということに尽きると思うんです。今後、同じようなことがほかのエリアでも起きる可能性はあるので、やはり教訓として「あのとき、実は助かった命がもっとあったんじゃないか」という点とともに、「自分の身に起きたらどうしますか?」という伝え方も含めて、トータルで防災・減災の取り組みをブラッシュアップしていくということが一つの形だと思います。
当時の映像を見てつらいと思われる方への配慮は当然必要です。12年経ち、東北を悼むという括りから変容している部分もありますし、むしろ元気な東北を伝えていくほうが今はいいのかもしれないと個人的には思いますが、合わせて“教訓”を伝え続ける取り組みの工夫も必要だと思います。
――伝える側の現場で感じる変化はありますか?
阪神・淡路大震災はもちろん、東日本大震災を知らない世代のアナウンサーが入社してきていますので、“継承”もテーマになりますね。テクニカルな面も大事ですが、僕はメンタリティを共有できたらいいなと思います。「そこに居る人たち」の日常に思いが至るようにしてほしい。
テレビでは、映像は派手なほうがいいという発想になってしまいがちなのは、僕自身もよくわかるのですが、「でも待てよ」という気持ちを持たないとダメですよね。そこを若い世代にどう伝えていくかというところが、おじさん世代の課題なんじゃないかなって思います。言葉には伝え手の気持ちが出ると思うので、そこに居る人たちをイメージして伝えないといけない。
「震度3のエリアを、きれいに噛まずに読めました」みたいなことではなく、「津波から逃げて」といったメッセージにいかに伝えるか…。今、オンエアを見ている人たちの減災につながる内容や言葉のチョイスがすべてだと思うので。
――伊藤アナが意識的に“知り続ける”ようにしていることはありますか?
東日本大震災に関しては、もう本当に原発の問題に尽きますね。「原発というものがどういうものか」このことの知見が当時はあまりにもなかった。そこが当時スタジオを預かっていた人間としては一番大きな反省です。
今は原発に詳しい解説員が報道にもいますが、「こんなことが起きている可能性がある」ということをわかったうえで我々が伝えているのか、 わからずに呼びかけているのかっていうところの違いはとても大きいです。
東日本大震災の教訓を共有する合同番組をきっかけに民放キー局5局とNHKのアナウンサーの勉強会が立ち上がったのですが、やはりこの場でも“知り続ける”ことが大きなテーマです。先日も「長周期地震動」を緊急地震速報の対象に加えるという変更について気象庁の方の説明を聞き、各局アナで理解を共有しました。
伝え手として“知り続ける”こと、これも東日本大震災の大きな教訓です。
伊藤利尋
ア編成制作局アナウンス室
局次長職情報担当
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