八木亜希子さんが、30年を迎える『めざましテレビ』の思い出と裏話を披露しました。
4月22日(土)あさ5時30分から放送の『週刊フジテレビ批評』では、2週にわたり特別企画「30年を迎える めざましテレビ 進化と果たしてきた役割」を展開。
1994年の放送開始から『めざましテレビ』の初代メインキャスターを務めた元フジテレビアナウンサーの八木さんと、初回から出演し続けている軽部真一フジテレビアナウンサー、高橋龍平チーフプロデューサー(以下、CP)が出演し、スタート当時の裏話や変わりゆく番組への思いを語り合います。
フジテレビュー!!では、和気あいあいとした番組収録に密着。収録後には、番組では語り切れなかった“ここだけの話”を展開してもらいました。
番組開始時から続く「きょうのわんこ」「きょうの占い」誕生秘話も
1994年4月1日にスタートし今年で30年目を迎える『めざましテレビ』は、5年で民放同時間帯視聴率1位を獲得するなど、いまや朝には欠かせない番組になっていますが、スタート当初は様々な苦労があったと振り返ります。
メインキャスターには元NHKアナウンサーの大塚範一さんがサプライズ起用され、その隣には入社7年目の八木さんが。エンタメコーナーには、蝶ネクタイとサスペンダーを身につけた若かりし軽部アナの姿も映像で紹介されました。
今やすっかり軽部アナのトレードマークになったこのスタイルですが、八木さんから「怪しげなテディベア」とツッコまれていたと軽部アナは振り返ります。軽部アナのスタイルの変遷をたどりながら繰り広げられる軽快なやり取りに、スタジオに笑いが響きます。
『めざましテレビ』の歴史を作ってきたとも言える、エンタメコーナーはいかに誕生し、続いてきたのか。軽部アナのハリウッドスターとの思い出やハプニングエピソードが紹介されると、“軽部節”に一同が聞き入る場面も。
そして、『めざましテレビ』の大人気コーナー「きょうのわんこ」の誕生秘話も明かされます。
番組開始から6672回(※収録日時点)も放送されている「きょうのわんこ」は、初回からずっと同じディレクター2人が担当。実に6600匹以上の犬を取材してきた中で、コーナーへのこだわりも語られます。
『めざましテレビ』には欠かせない「きょうのわんこ」と、「きょうの占い」コーナーですが、実は当初、八木さんはこの2つのコーナーに反対していたといいます。
八木さんはその理由を「犬だけではなく、いろいろな動物を扱ったほうがいいのでは?」と思ったと明かし、そこから30年続いたことに笑いながら「私の見る目がなかった」と、述懐していました。
今も継承されている、占いで最下位だった星座を読み上げる際の「ごめんなさい」という呼びかけがなぜ誕生したのかも、高橋CPの解説を交えて紐解かれていきます。
時代に合わせて変わってきたこと、新たに挑戦していくこと。『めざましテレビ』の未来についても、和気あいあいとした空気の中で語られます。
「生放送中に笑い声が入るということはあり得なかった」
<八木亜希子×軽部真一アナ×高橋龍平CP インタビュー>
――収録は大盛り上がりでした。改めて、『めざましテレビ』の歴史を振り返ってみて、新たな発見はありましたか?
高橋:初代のチーフプロデューサー(以下、CP)を務めた鈴木克明さんがインタビューで語っていたことと、自分が番組を作るうえで大切にしていることは変わっていなくて。
時代が変わっていっても番組の根幹は変えない、それがうまく継承されているからこそ番組が30年続いているんだろうなと思いました。
CPは僕で8代目になりますが、ここまでくると歌舞伎の継承のように思うことがあって。ただ継承するだけでは古くなっていってしまうので、そこに新しいエッセンスを加えていく。まぁ、うまくいってない時もありましたけれど。
八木:大変そう(笑)。当初はごった煮の寄せ集めのようなプロジェクトだったので、いろいろな部署から制作陣が来ていて、バラエティのスタッフがフロア(スタジオ)を担当していたんです。情報番組や報道番組では生放送中に笑い声が入るということはあり得なかったんですが、平気でフロアのスタッフが笑っちゃったりして。
でも、それを鈴木プロデューサーが良しとしたんですよね。まあそのぐらい笑っちゃうようなハプニングも多かったんですけどね(笑)。
高橋:放送初回の映像を改めて見ると、八木さんが「きょうの占い」コーナーで最下位を発表するときに「ごめんなさい」というのもそうですし、最初から『めざましテレビ』の根幹がそこにあるんだなと、思いましたね。
――八木さんと軽部アナのかけ合いも軽妙で、番組を明るくしていました。お互いに「さすがだなぁ」と感心した出来事があったら教えてください。
軽部:八木さんは常にさすがとしか言えないんですよ。僕のことを「怪しげなテディベア」って表現したり、海外セレブの取材で浴衣に着替えた僕を見て、「どちらにお泊まりかしら?」と、ひと言で笑いに持っていく
そういう“拾うセンス”に長けているし、言ってくれることによって救われることがある。僕なんてツッコまれてなんぼみたいなキャラだから、誰かがツッコんでくれないと成立しない、それを八木さんがやってくれた。
八木:歴代の女性アナウンサーは、みんな軽部さんにツッコんでますもんね(笑)。軽部さんにだけじゃなくて、大塚さんや三宅さん(三宅正治フジテレビアナウンサー)にもね。
軽部:おじさんたちがたしなめられる。暴走しそうになる時に止めてくれたりとかね。
八木:軽部さんは、話しやすい方なので、たぶん歴代の女性アナウンサーはみんな癒されていたと思います、確認していないですが(笑)。今日もスタジオで新美さん(新美有加フジテレビアナウンサー)が親しみをもって軽部さんに話しかけていましたし(笑)。
『めざましテレビ』立ち上げの時も、大塚さんはNHKからいらしたばかりの大御所の大先輩という存在。そういう方と番組を立ち上げる時に軽部さんがいてくださって、本当に安心感がありました。
私は軽部さんとは『めざましテレビ』の前の『おはよう!ナイスデイ』(※)でご一緒していて。コンプライアンスがそんなに叫ばれる前の、BPOもない時代のワイドショーだったので、扱うテーマや伝え方にいろいろな葛藤がありました。つらい時には軽部さんにはよく話を聞いてもらっていました。
(※)1982年4月から1999年3月31日まで平日朝に生放送していたワイドショー・情報番組。
軽部さんは私がワイドショーに葛藤があることを知っていたので。そういう「あ・うん」の呼吸がすごく2人の間にありましたね。
芸能情報を取り扱う時も楽しくなるように工夫してくださって。それがエンターテインメント情報として番組の特徴のひとつに昇華していくっていうのはさすがだなぁって。
軽部:八木さんは、「テレビは大変な力を持っているから、テレビによって誰かが傷ついたりしては絶対にダメなんだ」という強い信念を持っている人。だからワイドショーをやりながらものすごく悩んでいたし、近くで見ていてその葛藤がよくわかった。
だって、何度八木さんの涙を見たことか。だからこそ、八木さんにとっても『めざましテレビ』が代表作の1つになったと思うんですよね。
「人にやさしいテレビ」そういうスタンスでいたい
――「寄せ集めのようなプロジェクト」だったという『めざましテレビ』が、人気番組になった理由は何だと思いますか?
軽部:当初は「芸能エンタメで数字(視聴率)取れるの?」みたいな懸念があって。実は僕も、「映画や音楽の紹介で、興味深い番組にできるのだろうか?」ってちょっと半信半疑でした。
でも鈴木プロデューサーはすごかった。鈴木さんの言うとおりに、実際にみんなが見てくれるようになっていきました。『めざましテレビ』のエンタメ紹介がひとつの発明品のようになり、他の番組も真似するようになっていったんです。
高橋:鈴木プロデューサーから聞きましたが、同時間帯に放送していた『ズームイン!!』(※)に徐々に視聴率が迫っていったときに、こちらのエンタメコーナーを真似したコーナーができたそうなんです。その瞬間に「勝てるな」って思ったっておっしゃっていて、『めざましテレビ』が生んだひとつのカルチャーはそこで確立したのかなとは思います。
(※)1979年3月から2001年9月28日まで日本テレビ系列で平日朝に生放送していた情報番組。
八木:本当に1年とかで番組が終わると思っていたくらい。1年程度ではそんなに視聴率は上がってこないんですよ。それで、「月曜から金曜の視聴率が5%を超えた“グランドスラム”状態になったら、みんなでハワイに行きましょう」と言い合っていたら3年目に達成しちゃったんですよ。みんなで「わーっ!」て喜んだんですけれど、ハワイではなく箱根になっていましたね(笑)。
軽部:みんなそんなに早く達成できると思っていなかったから(笑)。
――軽部アナは歴代出演者で唯一、30年間出演し続けています。この生活を続けていて、つらいと思ったことはないのでしょうか?
軽部:毎朝起きるのはつらいといえばつらい、それは30年たっても大変だけれども、この生活がしんどいとかつらいと思うことはないですね。ただ、番組を卒業していった人たちが言うには、「やめるといかに大変だったかがわかる」と。
仲の良い(元フジテレビアナウンサーの)笠井信輔も、女性アナウンサーでは最長となる7年間MCを務めた高島彩も「今はもうできません」と言っていたので、走ってるときには気づかないもんなんでしょうね。
八木:私は遠い昔なので忘れてしまいましたけれど(笑)。でも、起きるのは大変なんですけれども、来ちゃえばそこにはいっぱい仲間がいて楽しかったから。
軽部:やっぱり当時の楽しさって独特のものがあったね。八木さんが担当した4年間は、ちょうどフジテレビが河田町からお台場に移転した最初の年ぐらいで、沸き立つような雰囲気がずっとあった。それはやっぱり楽しかったんじゃないかな。
八木:なんで、ひとごとみたいなんですか(笑)。今は軽部さんの話を聞いているんだから。じゃあ飽きないで、あっ飽きないとか言ったらいけないですね(笑)、30年ずっと続けられているコツは?
軽部:例えばエンタメだったら、エンタメ自体がどんどん変わっていっている。1994年に伝えていることと、2023年に伝えていることって全然違いますよね。うつり変わっていくものに僕も一生懸命についていっているので、それが飽きない理由なんじゃないかな。同じ番組の中でも新しい挑戦をするので、ちゃんとメリハリが立っている感じはあると思うんです。
八木:じゃあ、軽部さんから見た高橋さんはどんなプロデューサーですか?
軽部:これだけの大きな番組になるとイニシアチブを取らなきゃいけなくなるし、いろいろな所との関係性もあるし、端から見ていると「そういうことに追われていて大変なんだろうな」ってすごく思いますね。どんどん番組が巨大化していっているから。
八木:「歌舞伎のよう」って番組の継承について例えていたけれども、すごくよくわかります。歌舞伎の世界の人たちも常に新しい歌舞伎を探ったりしているし、時代とともによりハードルが高くなってる感じがありますよね。
高橋:まさに、放送だけをやっていればいい時代ではなくて、4月から見逃し配信配信(「さくっと!めざましテレビ」Tverにて配信中)を始めたり、新しいことをどんどん入れていく必要があるかなと思っています。
軽部:でも番組が大きくなっても、いち番組には変わりがないし、謙虚さも持っていなければいけない。毎日の生放送で情報をいかにわかりやすく、大事なところを押さえて伝えていくのか。その原点は1994年の4月1日の番組スタートから何も変わっていないし、変わってはいけないと僕は思います。
伝えなきゃいけないこと、言わなければいけないことは伝えることは大事だけれども、基本的には「人にやさしいテレビ」、そういうスタンスでいたいよね。やっぱり楽しんでもらいたいし。
八木:朝の番組ですしね(笑)。
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