<大東駿介 コメント>

「このシーンに、今自分ができる最上級を持って行こう」というピークが、毎作品ひとつくらいはあるんですけど、この作品には、それが何個もあって。

車にはねられるシーンもそうやし、ホームレスのシーンもそうやし。“絶望できない男”の壮絶な人生が4話の30分に凝縮されてるんです。

そうなると、自分も芝居のパンチラインが増えていくんやなと。ただ、個人的に一番の見どころは、やっぱり“金属バットとの共演”ですね。あれは、学生時代の俺たちと今の姿が重なりすぎました。

(中学生のころには両親が出ていき、一人きりでの極貧サバイバル生活を強いられ「絶望期」のどん底にいた大東さんにとってエネルギーとなったのが、「人と属せないダメなやつら」と言い合いながらも、一緒に時間を過ごした小林さんの存在だったそう)

一番一緒にいたのは、中学校のときですね。めちゃくちゃ一緒にいました。「同級生」とかじゃないんですよ。小林とは、マジでずっと一緒にいた。寝ても覚めても、ずっと一緒にいましたね。

(当時、一人きりで家に引きこもっていた大東さんを心配した小林さんら友人が、実家のドアを蹴り破って救い出した――そんな噂がメディアを通して広まったことについて)あれも、小林とよく話すんですけど、いろんな人を経由して話が美化されてるんですよ。

そもそも、母親もいなくなって家にひきこもっていたことを、当時、僕も恥ずかしくて、誰にも言ってなかったから、小林たちは僕がそんな状況やってことを知らなかったんです。

俺が住んでた家っていうのが、安っぽいプラスチックのドアで。そこに昔、一回泥棒が入ったことがあって、ドアノブの上がノコギリで真っ四角に切り抜かれたんですよ。

家には金目のものもないから、結局何も盗まれずに、ご丁寧にその切り抜かれた四角いパーツが落ちてたんで、それをまたスポッてドアにハメて暮らしてたんです。

だから、そこをグーパンチしたらいつでも鍵を開けられたっていう。大層に「ドアぶっ壊した」っていうけど、泥棒が丁寧に開けた四角い穴にハメ込んだ板を外してたっていう、それだけの話なんですよ。

でも、実際俺は引きこもってたから、それで助かったっていうのは事実なんですけど。

本当に救われましたね。電気、ガス、水道の順で止まっていって食べるもんもなかったときに、友だちのおかんが「飯食ってけ」って言ってくれて。

ある日、「お腹空いてるやろ、食べてき」って、スパゲッティ2袋にカレー、うどん、たこ焼きって、炭水化物ばっかり山ほど出されて(笑)。

いくら腹減ってても、その日に食える量は決まってるやろ!みたいな。

小林はじめ友だちだけやなくて、近所の人や先生にもすごく救われました。みんな、何も言わんと、黙って助けてくれたんです。

小林としては「あいつんち、親おらへんから溜まり場にしよう」くらいの感じで、助けている自覚もなかったんじゃないですかね。

だから、金属バットとの共演は、めちゃくちゃエモかったっすよ。

小林との学生生活、特に中高生のときは、ほんまに昨日のことよりはっきり覚えてるっていうか。めちゃくちゃ自分の核になってるところで。

当時、小林と一緒に同級生5人で同じチームで…“チーム”っていうか、ただほんまにはぐれ者の集団やったんですけど。

友だちの一人がビデオカメラを買って、僕は俳優をやりたかったから、カメラを回してあいつらに芝居させて映像撮って。小林は、音楽とお笑いに興味があったから、あいつネタ帳持ってずっとネタ考えてたんですよ。

そんな映像を撮ってた僕が俳優になって、ネタ帳持ってたあいつが芸人になって。

あんときと、やってることまったく変わらんけど、お互い夢の延長線上で、もう一回再会してお互いやりたいことやっていて。

安いビデオカメラで撮ってた自分たちを、今こうやってテレビで流してもらえるって、熱すぎるやろ、みたいな。

あのころは、ほんま友だちだけが俺らのエネルギーやったんですよね。そんな友だちと一緒に仕事できたっていうのはめっちゃうれしいし、感謝してます。

金属バットの芸風からしたら、別にドラマに出演しなくてもいいと思うんですよ。でも、「(小林さんの)“連れ”が呼んでるっていうから来たわ」って友保くんが言ってくれて。

その言葉に感動したし、うれしかったっすね。仕事ごとにいろんな感動があるけど、今回はマジで学生時代と今の自分が重なって、言葉では言い表せないぐらい感動しました。

小林も友保くんも、絶望期にいたころの“連れ”ですから。

あぁ、俺はやっぱり“絶望できない男”やなと思います。あんときのまま絶望してたら、こんな幸福は待ってなかったわけで。

あいつ(小林)は、キョトンとしてましたけど(笑)。ほんま「ドラマみたいやな」って。頭の中で自分で編集しちゃいましたもん。

僕と小林が芝居してるところがスローモーションになって、学生服のあのころの俺たちに重なっていく、みたいな。「それ撮っとけばよかったなぁ!」って(笑)。

今でも大阪に行ったときに「飯行こうか」っていうくらいで、普段は全然連絡をとらないです。

でも、この間会ったときは、夕方から翌朝まで11時間も飲みました。何を今さら11時間も話すねんって(笑)。

お互い思想が違うから、ちゃんとピリピリして、いまだにケンカもする。でも、同じ場所でこうやって会えるのがめっちゃうれしいです。

金属バットも、枠にとらわれへんネタをやってる。お互い教養があった人生じゃないけど、こうやってなにか自分たちの足りないものを生かして、それを武器に変えている感じはすごくしますよね。

“足りない”って、足りないことに気づかなかったら欠点やけど、足りないことを自覚したらそれは武器になんねんなっていうことを、僕ら象徴してるよなぁって感じがしますね。

これって結構なんか核心かもなと思うんですけど、SNSって自分の足りないものを、実体験じゃなく知識として瞬間的に吸収できるから、自分が何者かになったって錯覚するじゃないですか。

世のSNSの揉め事って大体その錯覚から起きてる気がして。実像のない虚像同士の戦い、みたいな。

でも、足りないものを自覚して、それが虚像であるっていうことを自覚してたら、やっぱ足りないものを埋めようとする作業、もしくはその足りないものを自分として誇れる作業が、自分という実像を浮かび上がらせるというか。

それをやってきているのが、俺とか小林なんかな、みたいな。生身で勝負するしかないよなって感じがするんですよね。