髙嶋政伸:
やっぱり笑いの絶えない家庭だったかなと思いますね。両親ってユーモアの精神をすごい大事にしてたんで、そこら辺はすごく面白い家族だったんじゃないかなって。

家族との思い出を振り返ってくれたのは、俳優・髙嶋政伸さん59歳。

6月24日、芸能一家・髙嶋家の規格外な日常や、豪華な出会いに彩られた俳優人生をユーモアたっぷりにつづった初のエッセイ集を発売しました。

髙嶋政伸:
父はものすごく良い人のイメージで仕事をさせていただいてたんですが、実は、ものすごく変な人でもあったんです。

父は、俳優、司会者として一世を風靡した高島忠夫さん。母は元宝塚トップスター寿美花代さん。兄は同じく俳優の髙嶋政宏さん。さらに、いとこは、バイオリニスト高嶋ちさ子さん。

まさに“芸能界のロイヤルファミリー”で育った髙嶋さんですが…その日常は、とにかく規格外でした。

――小さい頃はご両親が有名人という感覚はあった?
髙嶋政伸:

ご飯食べてるとそこの料理長が挨拶に来てくれたりとか、父親と一緒に歩いてると選挙カーが止まってその選挙の人が降りてきて「高島さん上に乗って一緒にマイクでしゃべりましょう」みたいな。いやいやちょっとそれはみたいな父親が言ったりとか、なんか特別な人なのかなっていう感じはしてましたね。

と、のっけから飛び出した濃いエピソードですが、これはまだ序の口。髙嶋家のケタ違いな日常を一気にご紹介します!

華麗なる芸能一家・髙嶋家「規格外エピソードその1」

夏休みの遊び相手は…、まさかの世界的ミュージシャン!

髙嶋政伸:
夏になるとホテルオークラにずっと夏中泊まってたんですよ。僕らはホテルオークラのプールで遊んだりとかずっとそんな感じで過ごしてましたね。
そこで、ジョン・レノンと一緒に泳いでたっていう。

30歳ぐらいになって(母から)「あんたホテルオークラでジョン・レノンさんと泳いでたのよ」って言われて二夏ぐらい一緒だったらしいんですよ。その白人の方はなんとなく覚えてるんですよ、クロールで泳いでて、その子供と僕ら兄弟は遊んでて、ということはオノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんでホテルオークラに泊まってたってことは、息子さんのショーン・レノンだったっていう、ショーン・レノンと一緒に遊んでたってことになるんでなんでもっと早く言わないんだよって(笑)。

髙嶋家の華麗なる交流は、これだけにとどまりません!

「規格外エピソードその2」世界的スターが自宅訪問!?

髙嶋政伸:
家に帰ると見慣れぬ靴が2足ぐらいあって入っていくとジョン・ローンさんが家でカレーライス食べたりとかして。

映画「ラストエンペラー」で主演を務めた世界的スター俳優、ジョン・ローン。

髙嶋政伸:
お正月行くとまた見慣れぬ靴があってジョン・ローンさんが七草粥食べたりとかしてて、ジョン・ローンさんはね、結構よく来られたんですよ。最初にいらっしゃった時は「ラストエンペラー」の時なんで、やっぱ海外のスターってすごいなっていう。

そんな華やかな交流の裏で思わぬ事件に巻き込まれることも…。

「規格外エピソードその3」誘拐予告で刑事と共同生活!?

髙嶋政伸:
結構多かったんですよね。「高島忠夫、出てこい!」って、刃渡り20㎝くらいの包丁持ってきたりとか、それで誘拐予告が来て「お前の息子を誘拐する」って刑事さんが来られて結構4カ月か5カ月ぐらいずっと一緒にいてくれて、僕と。

――それは一緒に住んでたってことですか?
髙嶋政伸:

一緒に住んでたんです。仏間にその刑事さん寝て、寝泊まりして、朝ごはんも食べて、学校も一緒に行ってくれて手錠見せてくれたりとかね。東北のなまりがある方だったんで、「これをつけるとね、犯人はおとなしくなるんだよ(東北訛り)」って。
あーちゃんって呼ばれてたので、絵見せたりすると、「あーちゃんは絵がうまいんだね」とかって言ってすごい仲良くなったんですよね、本当に。

だから刑事さんがもう、とりあえず誘拐予告を出した人が捕まったみたいな感じになったんで、「これで大丈夫でしょう」っていうことで、刑事さんが車で帰るとき、もう泣きながら車を走って追いかけたりなんかして、「行かないでー!」みたいな、そういう感じはありましたね。

そんな規格外の日々を送っていた政伸少年ですが…、当時描いていた夢は、両親とは別の道でした。

デビュー前、18歳の頃、髙嶋一家を密着した映像では将来の夢について…、

忠夫「(紹介して)政伸です。」
政伸「髙嶋政伸です。今度成城大学の文学部」
忠夫「猿のケツみたいな顔してますけど、これは顔が焼けて皮がめくれた、でしょ?お前は何になるの?」
政伸「僕は映画監督になりたい」

そう、当時目指していたのは、俳優ではなく映画監督。

髙嶋政伸:
監督志望だったんですけど、高校3年生の時に8ミリで自主映画撮ったりして、それがだいたい5万円ぐらいで撮れたんですよね。それで第2弾でベータカムで撮ろうと思ってそれもだいたい予算決めて撮ったんですけど、最後にやった編集がここもうちょっとこうしてああしたいとかだったら3日間ぐらいになっちゃって、それが請求書が見てびっくりしたんですけど、280万だったんですよ。
19、20歳にとっての280万って今でいうと2億8千万くらいの金額で(笑)もう途方もない金額なんですよ。

でも親の手前「アルバイトして俺は俺で撮るんだ」みたいな、そういう薄っぺらいプライドみたいなのがあったんで親にすぐに泣きつくこともできず、いろんなバイトを探したんですけど支払いの期限も近づいてるしちょっとどうにもならなくなっちゃって…。

自主製作映画で多額の借金を抱え途方に暮れた末、両親へ打ち明けます。

役者になったきっかけは…父との約束

髙嶋政伸:
その日の夜、両親が仕事から帰っているのをずっと待ってて、帰ってきたらいきなりガーッと前に出てきて土下座して「どないしたん政伸」とか言われたんですけど、請求書スーッと前に出して、父親はそれを見て「偉い額やなー」って。

「わかった。借金は肩代わりしてやる。必ず返せよ」「借金を肩代わりする条件として役者になれ」って言われたんですよね。

こうして、父のひと言で始まった役者人生。そんな髙嶋さんの転機となったのがある大物タレントとの出会いでした。

髙嶋政伸:
そうこうしている時に父親が「クイズ!年の差なんて」という山田邦子さんが司会している番組に一緒に出させてくださったんですよ。
邦子さんが面白いって思っててくださったみたいで、そういうのもあって邦子さんが当時司会やってた『MOGITATEバナナ大使』っていう番組の相方の司会に抜擢してくださったんですよ。

それでやらせていただいたのをたまたまドラマ『HOTEL』のプロデューサーが見て「ちょっとオーディションに来い」って言われて行ってHOTELの役をいただけたっていうのは、まあそこからやっぱり大きく変わりましたかね。
だからまあ本当に邦子さんのおかげですよね。もう未だに邦子さんに足向けて眠れないですね。

1990年に放送された、ドラマ『HOTEL』で「姉さん、事件です」のセリフと共に一躍ブレイク。

そして今では、“怪演俳優”の代名詞的存在として唯一無二の存在感を放つ名優に。

髙嶋政伸:
この世界ってイメージの世界なんで、政伸って言ったら怪優のとか、連続殺人犯とか、そういうのやってる人だよね。みたいなイメージ持ってくださるのはやっぱり嬉しいですよね。

そんな“怪演俳優”も、家に帰れば2児の父。ただ、役作りに没頭するあまり思わぬ反応も…。

髙嶋政伸:
撮影が迫っていると(自宅で)練習とかしちゃうんですよ。(セリフ)「お前はこの先どうなるか分かってるだろうな」とか言ってると、
「お父さんどうしたの?お父さんどうしたの急に!」みたいな(笑)。
「ごめんごめん、これアクティングの練習なんだよ!気にしないで」って言うんですけど、子供はやっぱりちょっと怖がるんで「悪いお父さんを僕はやっつける」とか言われて(笑)

髙嶋さんも今年10月に還暦という新たな節目を迎えます。
60歳を前に、今思うことは…、

髙嶋政伸:
20代で役者やってた時は60歳になったらどんな名優になっているのかなと思ったらなってびっくり何にも変わってないっていう。
だから60歳になったのをきっかけにまた新人になったつもりで、もう一回一から頑張ろうかなっていう思いですね。

髙嶋政伸も…ノンストップ!

(『ノンストップ!』2026年6月25日放送より)