さぁて、今週の『グランマ』は?

「秀じい(泉谷しげる)、決死のカーチェイス!!」

「グランマ(萬田久子)、スマホ中毒の少女を救え!!」

の、二本立て!!!(雑か!)

うん、まず、タイトルが『グランマの憂鬱』だというのに、憂鬱どころの騒ぎじゃない、“決死”だわ、“カーチェイス”だわ、そもそもいきなり“秀じい”って誰?だわの、ツッコミどころ満載の「秀じい、決死のカーチェイス!!」。

これ、ホントに、僕が過剰に盛ってるわけではありません(いや少し盛ってる可能性もあり…おい!)。冒頭、前回の振り返り後、突如、のどかな田園風景の中で、謎に、カーチェイスが繰り広げられるというキャッチーで幕を開けます。で、その、カーチェイスを繰り広げる張本人ってのが、今回のゲスト、泉谷しげるさん演じる“秀じい”。

よくよく考えると、この世のリアルに、“秀じい”なんて存在するのか?(いや、このドラマもフィクションなんだけど)ふと邪念がよぎるわけですが、泉谷しげるさんが出てきた瞬間、“秀じい”でしかない説得力。なおかつ、“秀じい”が泉谷しげるさんなもんで、このドラマの着地点が、決して一筋縄ではいかないな…と想像させるスリリングです。

で、その通り、なぜ秀じいは、カーチェイスを繰り広げたのか?しかも、なぜ “決死”だったのか?その答えは、まさか、「免許返納問題」にまで切り込む社会派視点も加わった見事な仕上がり。「秀じい、決死のカーチェイス!!」という字面からは想像できない(自分で書いてんだけど)そのドラマの結末とは!?

グランマの懐の深さ大海原のごとし!!

で、2つ目の「グランマ、スマホ中毒の少女を救え!!」も、なぜ急に、スマホ中毒の少女(リコ)をグランマが救わにゃならんのか?という謎しかない導入部。

いやだって、いきなりグランマ(萬田久子)のもとに“とある親子”がやってきて、「娘が“スマホ中毒”だから何とかしてください!」て、THE知らんがな(自分で解決しろ)案件。

いくらグランマが村の相談役=総領だからって、急にやってきて、ほぼ関係ない少女の、知らんがな過ぎる事情を、なぜにグランマが解決しなきゃならんのよ…ってこっちが鼻で笑いかけてたら、即座に「だったら、2、3日、うちに泊まらせていくかい?」という、グランマの懐の深さ大海原のごとし!!なおかつ「何ができるか、見てみようじゃないかい?」だもん。逆に、僕の懐の小ささを反省しましたよ…。

とはいえ、だけど、そこは『グランマの憂鬱』。そんなツッコミは承知の上(?)、ちゃーんと、「なぜ少女を救うのか?」にもドラマが隠されているのだから信用できるのです。

しかも、「スマホ中毒」とさっきの「カーチェイス」を見事にリンクさせて、グランマなりのラストへ導いていく展開は見事。なぜグランマは、知らんがな案件なのに、少女受け入れることにしたのか?そしてどうやってグランマはスマホ中毒の少女を解決させるのか?それがまた、涙が出るほど美しいストーリーラインで描いていくので、お楽しみに!

饒舌感はまったくないのに…萬田久子さんだからこその独特の味わい

で、結局のところ、この第2話まできてやっぱり思うのは、萬田久子さん演じるグランマの独自性ですよ。このドラマを一言でまとめるとしたら、おばあちゃんが主人公の世直し成敗もので、決めゼリフが“喝!”だけど(雑にまとめすぎ)、決してキャラクタードラマに持っていかないんですよね。いや、萬田久子が決してそうはさせない(呼び捨てにすな!)キャラクター造形が秀逸なんですよね。

だって萬田久子さんが演じていて「喝!!」とかとりあえず言わせとけば、多少の“強引”だって、キャラクターの力でもっていくらでもねじ伏せられるじゃないですか。なのに、そうはさせない“誠実さ”があるんですよね。

表現が難しいんだけど、問題を解決させる=説き伏せる展開へと持っていくんだけど、饒舌感はまったくなくって、むしろ全然喋っていないような、喋ってないのに、佇(たたず)まいでもって説得力を持たせて、視聴者を納得させる感じ?その存在感と雰囲気は、萬田久子さんだからこそ。

主人公の喝!!は、スカッ!とするのに、そのスカッ!がどのドラマでも味わったことのないような『グランマの憂鬱』独特の味わい…。今回もじっくり堪能できます。

「喝ぬりえ」のシュールさたるや!

で、話はかなり飛びますが、公式ページにある「喝ぬりえ」のシュールさたるや。

え?「喝ぬりえ」?って思ったみなさん…。きっと、萬田久子さん演じるグランマの似顔絵とか、イラストとか、そういう系統の「ぬりえ」かな?と想像するでしょう?いや、だけど、この令和の時代にどうして「ぬりえ」???「ぬりえ」したところで何がどうだっていうの??そもそも「喝ぬりえ」ってどういうネーミング??と、この「喝ぬりえ」というワードだけで、味わいしかないわけですが、その「喝ぬりえ」を想像して、想像して、散々味わったあと、実際に「喝ぬりえ」を覗(のぞ)いてみてください…。あなたの想像を絶する…いや、想像通りの、いや、逆に想像通りすぎて、想像できない(どないやねん)、3周回った付近に位置するTHEシュールぬりえ、それが「喝ぬりえ」!!

この「喝ぬりえ」、一体どうやって「ぬりえ」しろというのでしょうか?「ぬりえ」の“余白”が概念にも及んでいて、創作の余地があまりにも無限大過ぎて、究極のクリエイティブセンスが求められます。っというわけで、この「#喝ぬりえ」の行方も見逃せません!!