実業家としての顔も持つ3人が、社会貢献、感謝について語りました。
9月11日(日)の『ボクらの時代』は、福山雅治さん、柴咲コウさん、北村一輝さんが登場しました。
9月16日(金)公開予定の映画「沈黙のパレード」に出演する3人。「この3人のトライアングルで映画を作ったのは、14年ぶり」(福山)と、和やかな雰囲気で鼎談がスタートしました。
柴咲コウ「芝居にどんどん魅了されていった」
スカウトがきっかけで芸能界入りした柴咲さん。当初、芸能界に「全然興味がなかった」といいます。
福山:やってみようと思った最初のきっかけは?
柴咲:経済的な理由です。
福山:ほう。
柴咲:早く大人になって、自立したかったから。それが早く訪れるかもしれない、できるかもしれないというチャンスが来た、という感じ。(スカウトを受けた)14歳のときは、親の反対にもあい、16歳になってから事務所に入りました。
福山:やっぱり反対でしたか、親御さんは。
柴咲:猛反対ですよ。一人娘なので、父親からしたら「そんなところに入れられない」ってなりました。
福山:「芸能界って、怪しいところだろ」っていう。
柴咲:まさに。
福山:お芝居をやりたいっていう気持ちはあった?
柴咲:したことがないから、わからないですよね。憧れてもいなかったので。ただ、どんどん魅了されていったというのはあるんですよね。「面白いな」って、のめり込んでいった感じ。
福山:それは、いい出会いだったんでしょうね、いろいろ。
柴咲さんは、当時は「へたくそ!帰れ」などと怒鳴られることもあり、その悔しさも芝居に向き合っていく原動力になったと語りました。
北村一輝「人を認められなかったから、何も入ってこない」
北村さんは18歳で上京し、「右も左もわからず、どうやれば俳優になれるか」という状況だったと振り返りました。
オーディションを受けるも「どこもダメ」というなか、エキストラからキャリアをスタート。
北村:そのうちに今でいう、巨匠ですかね。三池崇史監督やら、望月六郎監督、小林政広さんとかと、自主映画やVシネマのころに、一緒にやり始めたの。
柴咲:ふーん。
北村:その監督たちが、だんだん注目されるようになってきて。そのころには、1年に何十本って小さい映画を…何やってるかわからないくらい本数やって。で、初めて事務所に入れるようになったのが、20代後半ですね。
福山:バイトをしながら?
北村:はい。
福山:不安でした?それとも、「何とかなる」って思ってた?
北村:不安は…変な話ですけど、たぶんなかった。基本的に「成功するまで何でもする」っていう。「何をやってでも、成功してやる」って。簡単にいえば、人の3倍努力すればできるはずだし、3倍で足りなかったら、5倍やればいいっていう感じで。
福山:うん、うん。
北村:だから変な話、服も買わなかったんですよ。全部レッスンにお金をかけて。笑われたりしても「いつか俺にはスタイリストがつくから」っていうくらいの大口をたたいて。下積みっていう感覚は、一切なく。徐々に役が上がっていくわけですから。
福山:むしろ、手応えを感じられたと。不安というよりは、少しずつ積みあがっていってるぞっていう、実感があった?
北村:そうですね。
すると、北村さんは「あんまり話したこともない、自分の中の転機というのがあった」と明かしました。
北村:例えば、同じ年くらいでどんどん売れていく人たちを見て、悔しく思ったりする自分がいて。そのときに、最初は認められなかったんですよね。「なんで、こんなやつが売れてるんだよ。俺の方ができるのに」みたいなのがあったんですけど。(ある時期に)認められるようになったんですよ。
「こうなるためには、何が必要か」と図を描き、自分に足りないものを書き連ねるうちに、「すぐに人と比べる自分があって。人を認められなかったから、何も入ってこない」ことに気づいたといいます。
北村:自分と向き合わなきゃいけない。人と比べるとかじゃなくて「すごい人は、みんな良いじゃない!俺もそこへ行くし!」っていうくらいの、何かいいマインドに変わった。
福山:すごく、論理的じゃないですか。
柴咲:楽観的で絶対にマイナスに考えない。「できなかったらどうしよう」とは考えないところはありつつ、その対策をきちっと考えて、抽出して、課題解決する。そういうマップみたいなのを作ってるっていうのが…。
北村:作ってた(笑)。
柴咲:すごい。
福山さんも「すごく勉強ができる大学生のノートの取り方みたい」と感心しました。
福山雅治「福山の血液は『感謝』でできています(笑)」
それぞれ、実業家としての側面も持つ3人は、ビジネスについても言及。
まずは、北村さんがカレー店のオーナーを務めていることについて語りました。
北村:あれは、違う目的もありまして。
福山:うん、そうだよね。
北村:ちょっとしたきっかけでお店の話をいただいたときに、高齢者の雇用とか、母子家庭の人とか、いろいろいるじゃないですか。自分の周りにもそういう人たちがいて。何かそういうことを自分が仕事をやっていくうちに広げられるかなと。最初は、それで始めて。
柴咲:へぇ。
北村:そうしたら、コロナに。そこで、フランチャイズみたいなことをやり始めたりしているんですけど。全国のお店に「どうぞ安く使ってください」って、ほとんど利益取らずに。それで、少しでも助かっているというお店が、いくつか出てきていて。
柴咲:へぇー!
北村さんは、カレー店の経営について「『ありがとうございました』と言われて、気持ち良く人とつながれて面白い」と、社会貢献の意味合いもあることを明かしました。
福山さんは、仕事場での出会いが、新たなビジネスにつながったと語りました。
福山:この仕事で収入が上がってくると「個人の会社を作ってください」と言われるんですよね。
柴咲:うん、そうですね。
福山:じゃあ、会社があって、いろんな業態を登記をしているんであれば、自分がやりたいと思っていることや出会いがあれば、そこと組んでいくっていう…。例えば、レコーディングスタジオで働いていたスタッフの方で、すごく料理の上手な人がいて。定食みたいなものを、そのスタジオが始めたんですよ。それがおいしくて。「もし、このレコーディングスタジオがつぶれたら、一緒にごはん屋さんでもやろうか」なんて言ってたら、本当にレコーディングスタジオがなくなっちゃった。
柴咲:えー!?
福山:「じゃあ、何かやろうか」っていうのが、始まりです。
この流れで、福山さんは、自身の芸能活動への気づきについても言及。
福山:自分がこう、仕事をやらせてもらっているというのは…もちろん自分の頑張りも、そりゃ頑張ってないとは言わないから頑張ってるし、汗もかいてるんだけど。やっぱり、運と出会いによって、ほぼほぼ生かされているというのが、事実、そうなんだと思うんだよね。
柴咲:(大きくうなずいて)事実、そうですね。
福山:そのマインドが生まれてきたときに、何か人の役に立てることに使えたらいいんじゃないかなっていうふうに、その感謝の気持ちを、どうやったら形にできるのかなということをやっているという状態ですね。
「若いときは、自分のことしか考えていなかった」という福山さんは、「音楽でデビューして、まったく売れなかったんですよ」と振り返りました。
福山:売れてないんだけど、それでも2枚とか3枚とかシングル出させてもらって。2枚目のアルバム、3枚目のアルバムくらいまで、バンバンやらせてくれるわけですよ。「あれ?これ、自分でお金出してないのに、全然取り戻せてないな」ってことに気づくわけです。
柴咲:うん。
福山:だけど、幸いなことに、ライブをやると、ファンの方が増えていっていた。で、僕はそのときに初めて「ファンの方が応援してくれている。この人たちのために頑張ろう」と思ったんです。
北村:なるほど。
柴咲:頑張れる対象に会えたっていう。
福山:そうですね。とにかく「恩返ししないと」っていう。ファンの方に、“時間”をもらった。レコード会社やプロダクションの方に期待という名の…執行猶予とでもいいましょうか。
柴咲:すごいプレッシャー(笑)。
福山:ということはもう、とにかく本番をやりながらでも、練習を積み重ねていく。で、その“時間”を与えてもらっているという感覚でずっとやってきたので。もう、「感謝」ですね。福山の血液は、「感謝」でできています(笑)。
そして、福山さんの話を「『激しく同意!』って思いながら聞いていました」と、柴咲さんも自身の思いを語りました。
柴咲:自分自身が世の中のことを知るようになって、社会課題、環境課題というのが、年々悪くなってきているなと。モノを売るというのは相反することかもしれないけれども、私たちは何かを消費しないと生きていけないわけだから、せめてそこに罪の意識というものが薄れるような、買い物自体も罪悪感なくできるモノづくりがしたいという思いがフツフツと芽生えてきて。そういったお洋服作ったりとか、化粧品作ったりとかを始めました。
現在、北海道にも自宅を構える柴咲さんは「都会で仕事をするだけの自分に飽きてきた」といいます。
柴咲:「真の豊かさとは何ぞや?」となったときに、もともとあるものや、自分では作り出せない自然だったり、森だったり、動植物たちだったり…それを感じられる機会が少ない人生って豊かなのかなって思って。できることなら、そういうものに触れられる時間を持ちたいし、それが自分の豊かさにつながると思ったので、私も考える前に行動するみたいな感じなんだけど、土地を買って。「じゃあもう、(家を)建てる」みたいな感じで(笑)。
柴咲さんが、「自分がやることが全部、何かしら役に立って循環すればいいなって。ただ、自分の満足度だけで終える人生じゃなくて、それが巡り巡ればいい」と語ると、北村さんは「ああ、わかる」と、大きくうなずきました。