錦織一清さんが、今後の生き方について熱く語りました。

まもなく開幕する舞台「サラリーマンナイトフィーバー」で脚本・演出を務めるほか、5年ぶりに俳優として同作に出演する錦織さんが、自身の半生を語る「オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~」に登場。

前編では、「サラリーマンナイトフィーバー」に込めたメッセージや制作秘話、錦織さん自身の幼少期や少年隊としてデビューしたころの思い出を聞きました。

錦織一清 5年ぶりに俳優として舞台へ「最初は漠然。徐々に気持ちが乗っていった」

後編では、少年隊というグループへ抱く思い、さらに2人の恩師からうけた影響などをインタビュー。

57歳になった錦織さん、「今が一番幸せ」なのだそうです。

錦織一清さんフォトギャラリー(写真22点)

少年隊最強のメンバーはジャニーさん

――1986年からは青山劇場で、少年隊の主演ミュージカル「PLAYZONE」シリーズがスタートしましたね。

実はその前にも大阪の梅田コマ劇場で1本やっているのですが、そちらはその年限りで。「PLAYZONE」は1986年から2008年まで、全23作品を上演しました。(1985年に開館した)青山劇場は合宿所からも近く、ジャニーさんが「すごい劇場ができたよ」と興奮していて。

毎年、夏の一番いい時期に、若い子が大好きな青山という街で、40歳を過ぎてまで「PLAYZONE」をやらせてもらったのは奇跡みたいなもので。

本当はもっと早く退かなきゃいけなかったんだよね。「俺たちがやっていて平気なんだろうか。後輩たちに早くこの場所を受け渡さないと」――そんな気持ちを抱えながらやっていました。

もちろん、お客さんが来てくれることはうれしいですよ。初演のときに独身だったファンの方が、後半になってくるとお子さんを連れて観に来てくれてね。

それは最初にメリー(喜多川)さんがマニフェストとして打ち出していたことなんです。「長くやっていたら親子で見るものになり、そのことで絆が深まっていく。そうなるべきものなんだ」と。実際にそうなったことがスゴいですよね。

――1999年にはフジテレビで冠番組『少年隊夢』がスタートし、その後『少年タイヤ』とタイトルを変えて放送されました。

僕たちってあまり番組をもっていなかったから、冠番組はほぼ初めてに近かったんじゃないかな。高校の同級生だったパパイヤ鈴木とは、この番組で再会しました。番組がなかったら、今みたいなつき合いはしていなかったかもしれません。

僕たちは、どちらかというとフォーマルな雰囲気のグループだったから、カジュアルな面をお見せできる初めての番組だったような気がします。

――ジャニー喜多川さんは「少年隊は僕の最高傑作」と生前、話されていたそうですが、錦織さんは少年隊にどのような思いをもっていますか?

他の2人がどう思っているのかわからないけど、僕は“少年隊”というグループ名を聞いたとき、真っ先に連想するのが3人ではなく、ジャニーさんなんです。

ジャニーさんが作ったチームだし、僕らって「何かやろうぜ」と3人で話し合ったことがなく、何かを決めたこともない。すべてジャニーさんが決めたもので、ジャニーさんがリーダーなんですよ。

だって、ジャニーさんが手繰り寄せた3人だったから、最強のメンバーはジャニーさん。僕は少年隊=ジャニーさんといっても過言ではないと思っています。だから、ジャニーさんも「少年隊は最高傑作」だと言ったんじゃないかな?

すべてを背負い込むつかこうへいさんのカッコよさを見習いたい

――1999年に舞台「蒲田行進曲」(※)でつかこうへいさんと初めてタッグを組み、錦織さんにとって大きな出会いとなったと思いますが…。

つかさんには、けちょんけちょんに言われましたし、全部むき出しにされました。でも、30歳を過ぎてそう言われる機会ってなかなかないことですから、いい意味でのトラウマになっています。つかさんと出会ったおかげで、今もピリッとしていられるっていうのかな。そうじゃないと怒られそうな気がするんですよ。

※1980年、つかこうへい氏によって書かれた戯曲。「第15回 紀伊國屋演劇賞」を受賞し、1982年、風間杜夫さん、松坂慶子さん、平田満さんの出演で映画化され、その年の映画賞を総なめに。

舞台版ではスター俳優・倉岡銀四郎に錦織さんが扮し、その恋人・小夏を小西真奈美さん、大部屋俳優のヤスを草彅剛さんが演じた。

――「蒲田行進曲」の稽古期間、つかさんに話をうかがう機会があり、「錦織と草彅がいいんだよ」と絶賛していたことを記憶しています。

つかさんって本人の前ではけちょんけちょんに言うくせに、本人がいないところでは「あいついいだろ」って言う人なんですよ。つかさんの芝居を観にいくと、終演後に必ず呑みにつれていかれて、「いいだろ、いいだろ」ってそれしか言わないの。役者の悪口を一切言わないんです。だから、僕は演劇界でつかさんのことを一番信用している。

僕らがセリフを間違えると、つかさんが傷つくんですよ。「お前が言いづらいセリフを俺は渡したんだな」って。だから、役者は余計間違えられなくなる。

全部、自分で背負いこむ人。芝居があたらなければ、役者じゃなくて自分のせいにするんです。カッコいいなと思ってね。それは見習いたいこところです。

つかさんの芝居には、前向きになれる死生観が存在している

――錦織さんをはじめ、つか作品に携わった方たちには多くの宝物が残っていると思いますが、“つかイズム”の継承についてどのように考えていますか?

作品の継承は、みんながやればいいことなんじゃないですか。大事なのは、例えばキャンプファイヤーの火が消えた後でプスプスくすぶっている火を絶やしちゃいけないということ。

稽古から本番にかけ、つかさんは燃え上がるように演出し、千穐楽で一度その火を消す。だけど、火を消した後もプスプスと燃える炭がお客さんの心の中には残っている。つか作品に関わった人間は、この炭を決して絶やさないんです。

僕はつか作品を上演することを、つかイズムの継承とは考えていません。今回、僕が脚本・演出を手がける「サラリーマンナイトフィーバー」だって、僕はつかイズムのつもりでやっています。

――今年はつかさんの十三回忌にあたります。つか作品が多くの人に愛される理由はどんなところにあると思いますか?

全員がバカなこと、下ネタをやったり、スリッパで頭をひっぱたいたりしていると、「なんだ、この演劇は」って思われちゃうかもしれないし、ちゃんとした人が見ると、行儀の悪い芝居に見えるかもしれない。だけど、最後まできちんと見ると、登場人物全員が勇敢で、勇気をもった人間ばかりだと思える。そこがすごいところ。

僕は「蒲田行進曲」で倉岡銀四郎を演じたときにすごいなって思ったんですよ。警視庁の刑事が銀四郎のところに来て、かつて階段落ちをやった自分の弟が半身不随になり、今も恨み言をつぶやきながら入院していることを告げる。

そして終盤、その刑事は小西真奈美さん演じる小夏の前に現れ、弟が亡くなったこと、さらに亡くなる前に口にしていたのは恨み言ではなく、大好きな映画への思いだったと明かしたところ、小夏が「よかったですね」と言いながらやさしく微笑むという、このやりとり。

人の死を報告しに来た人間に向かって「よかったですね」なんていう言葉を選択する勇気は、僕にはありません。でも、つかさんにはその勇気があった。つかさんの芝居の中には、前向きになれる死生観が存在しているんです。

つかさんって、病床に伏している人に向かって「大丈夫か?」と眉間にしわを寄せて言う人ではなく、「シャキッとせんか」って?咤激励しながら応援してくれる人なんです。

つかさんにいただいた勇気を、僕も今回の「サラリーマンナイトフィーバー」に託すつもりです。

これからは全力疾走ではなく、歩くように踊りたい

――今日は思い出のものとして、映画「蒲田行進曲」の台本を持ってきていただきました。

実はスタッフジャンパーも持っているのですが、それは次回、第2章で紹介させていただきます(笑)。

この台本は宣伝を担当されていた松竹の幸田さんという方が「すごいだろ」と、僕に譲ってくださったもので、普段は額装して自宅に飾ってあります。額は松竹映画の小道具を担当しているスタッフさんが作ってくださり、つかさんファンの友人が家に来るたびに自慢しては、僕がイヤなヤツになっています(笑)。

――植草克秀さんとのステージ「ふたりのSHOW&TIME『Song for you』」の開催も決定しましたが、ファンの皆さんは錦織さんが歌って踊る姿をもっと見たいと思っているのではないでしょうか。

先ほども話したようにあと3年で定年ですし、ビッグダディや亀田史郎さんと同い年なので、体が言うことをきかないんです。グループ時代の僕らのやり方はとても激しすぎて、今、あれをやれと言われたら「勘弁してくれ」という話ですよ。若いころからオーバーワークしてしまった結果、レントゲンを撮ると背骨が曲がっていますから。

若いときのダンスって全力疾走なんだよね。それが30歳を過ぎたぐらいからマラソンの速度になり、今の僕ぐらいの年齢になると、これからは歩くように踊りたいと思うようになる。

とはいっても速いサウンドではなく、マーヴィン・ゲイのようなサウンドで体を揺らすことが一番難しいので、これからやっとそういうダンスが踊れるようになるんじゃないかな。

――今後のビジョンについて聞かせてください。

前の事務所を退所したとき、人から言われたんですよ。「ニッキ、これからは好きなことをやっていきなよ」とか「ニッキさんが好きなことをやればいい。それよりもさらに大事なことが一つあって、これからの人生、やりたくないことはやらなくていいんだよ」って。

「やりたくないことはやらなくていい」…その幸せが一番大きいですね。

ファンの中には今の僕を見て、「ニッキってこんな人だったの!?」と驚く人だっているかもしれない。でも、これが本当の僕だから。真の僕をやっとわかってもらえるチャンスが訪れたんですよ。やりたいことをやっている僕を「私もそういうこと好きなんだよね」って共感してもらえるのが一番うれしい。

これからは好きに生きますよ。スイッチを自分で決められるのがいいね。引退だって自分で決められるじゃん。お金は減っていくかもしれないけど、一番大事なのは心の豊かさだから。芝居ってたいして儲からないかもしれないけど、見た人は心が豊かになるじゃないですか。それが一番いいんです。

今、仕事が面白くてしょうがなくて。これは匂わせや問題発言でも何でもなく、胸をはってそう言えます。2022年の今日この日、今現在が生まれてから一番幸せ。「サラリーマンナイトフィーバー」を上演できる今が一番幸せです。

舞台「サラリーマンナイトフィーバー」最新情報は、全国公演はこちら、大阪公演はこちらにて。

錦織一清オフィシャルサイト

錦織一清ファンクラブ

撮影:河井彩美