宇梶剛士さんが、恩師との出会いと思い出を語りました。

現在放送中のドラマ『ナンバMG5』(フジテレビ毎週水曜22時~)に出演している宇梶さんが、自身の人生を語る「オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~」に登場。

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前編では、青年時代の原動力となった大人に対する憤りや、俳優になろうと思ったきっかけについて聞きました。後編では、師匠で恩人である菅原文太さんとの思い出、映画・劇場版「永遠ノ矢トワノアイ」について語ってもらいました。

菅原文太との運命の出会い

──俳優を志してからの道のりについてお聞かせください。

「俳優になる」と言いながら15年も工事現場で働いていました(笑)。普通だったら投げ出してしまっていたかもしれません。

20代半ばまでは、大好きだったけど手放さざるを得なかった野球のことを夢で思い出し、泣きながら目を覚ますことがたびたびあって。それでも、ここまで来るのには多くの人の助言、叱咤激励があったことは紛れもない事実で、僕の心の中では、俳優になる夢を二度と手放したくない、その思いが一番強かったと思います。

錦野旦さんの付き人をしていたある日、錦野さんが出演するドラマの台本を取りに行くようにと、おつかいを頼まれました。向かった場所は菅原のオヤジが所属する事務所。お分かりの人も多いと思いますが、菅原のオヤジとは菅原文太さんのことです。

僕が菅原のオヤジと鶴田浩二さんと俊藤浩滋さんが会議をしている部屋の前をちょうど通りがかった時、オヤジに呼び止められました。「おまえ、何者だ」と尋ねられたので、「錦野さんのところでお手伝いをさせてもらってます」と答えたんです。

そしたらオヤジはすぐさまその場で錦野さんの事務所に電話をかけ、「おまえさんのところの若い者もらっていいか」。そして電話を切って僕を見て「そういうことだ」と(笑)。一週間後、事務所に行ったら今度はパンチパーマの菅田俊さんがいて、オヤジから「今日からこいつがおまえの兄貴じゃ」と言われました。

ある日、映画の試写券をいただき、菅田さんと一緒に観に行くことになり、菅田さんの車で晴海埠頭まで連れて行かれたんです。埠頭、車、パンチパーマ…映画でよく見る危険なワンシーンだと思って緊張していたら、「あのよ…オレ、本名が渋谷昌道(まさみち)って言うんだけど、今日からオレのこと、“マーちゃん”って呼んでくれ」と。とても優しく面倒見の良い先輩で、たぶん先輩なりの冗談だったと思うのですが、その時は全然ワケがわかりませんでした(笑)。

心に深く刻まれた菅原文太からの教え

──そこからの俳優人生はいかがでしたか?

いざ俳優として活動を始めることができたものの、いただくのはチンピラの役ばかり。まだ演技力もないので仕方なかったのですが、不良をやめて俳優になったはずなのに…という不満が少しずつ募り、また、現場で何もできずにいる若造には先輩やスタッフさんの風当たりも強く、イライラは溜まる一方でした。

そんなある時、菅原のオヤジから「おまえ、暴れたくてしょうがない顔してるな」と言われて。「そんなことありません!」と答えると、オヤジは「暴れたかったら暴れていいぞ。ただし、その時は必ず人前でやれ。おまえに正しさが間違いなくあれば、半分は味方になってくれる」と言ってくれたんです。

しかし、そこからさらに加えられた言葉がありました。「そうして暴れたら、この世界を去れ。なぜなら、どんなに自分が正しくても暴力は悪だからだ」。

若かったこともあり、その時すぐには飲み込めませんでしたが、それまではただ「暴力はいけない」とだけ教わってきた自分にとって、オヤジの言葉はとても深く突き刺さり、今も残っています。

──そういった言葉をご自身のお子さんにかけることはありますか?

僕は自分の子どもに対して頭ごなしに「ダメ」と言ったことはありません。まず「なぜそうしたいのか」、その理由と、こからどうしていくつもりなのかを具体的に尋ねます。

息子が「高校を辞めて一人暮らしがしたい」と言い出した時は「辞めるのはいいけど、働いて給料が15万円として、アパートの家賃は?携帯代は?毎日の食費は?」とアドバイスを交えながら細かく確認し、最後に彼は高校に通い続けることを選択しました。そのあたり、確かにオヤジの影響があるかもしれません。

思い出のドラマ『君が嘘をついた』『ひとつ屋根の下2』

──これまでのキャリアを振り返り、印象に残る作品を挙げるとしたら?

初めて出演した連続ドラマは、三上博史さん主演の『君が嘘をついた』(1988年)でした。お金持ちでキザな弁護士の役。『愛しあってるかい!』(1989年)では、かっこつけたがりの教師を演じました。

チャップリンにせよ、菅原文太にせよ、僕は“かっこ悪いヒーロー”が好きなんですよ。『ひとつ屋根の下2』(1997年)で演じたピカリンは、見合い相手の小雪(酒井法子)にフラれるんだけど、最後に本当の自分を見せようとカツラを取る。髪の毛と共に心の鎧を取っていく素敵な役でしたね。

その頃『笑っていいとも!』のテレホンショッキングに初めて出られましたし、続けて『徹子の部屋』にも呼ばれました。ただ、テレホンショッキングに出る直前に父親が亡くなってしまったので、息子の晴れ姿を見せてやれなかったのは残念でした。

自身のルーツであるアイヌをみつめる

──宇梶さんが作・演出を手がけた舞台「永遠ノ矢トワノアイ」が劇場版となって3月に北海道・札幌で上映。さらに、この6月から北海道内9ヵ所の劇場で上映されるそうですね。

この作品は、僕が主宰する劇団パトスパックが2019年に高円寺で上演した舞台作品で、2021年には北海道7ヵ所での上演を予定していました。しかし、コロナ禍で3ヵ所の上演になってしまったんです。

アイヌ関係者や北海道の皆さまの「ぜひ、うちの地元で上演してほしい」という声に応えてのものだったので、なんとかならないかと考え、釧路の公演に5台のカメラを入れて上演記録映画を作りました。

2018年、北海道を命名した松浦武四郎さんの生誕イベントのトークショーに、母親と生まれて初めて一緒に出演しました。ちょうどそのとき、劇団の制作から次の舞台の企画書の提出を迫られ、とっさに僕は「都会のアイヌ」と書いたんです。アイヌの血が流れていながらアイヌのことを知らない青年が北海道に渡り、アイヌたちとの交流の中で自分を探す──。これってまさに僕のことじゃないかと。

ほどなくして2019年、松本潤くん主演のドラマ『永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎』(NHK)でアイヌの長老のエカシという役を演じ、2020年に北海道白老郡白老町に開業したアイヌの歴史や文化を学び伝えるナショナルセンター「ウポポイ」(民族共生象徴空間)のPRアンバサダーに就任。

こういったこともあって、僕の中でくすぶっていたアイヌに対する気持ちや関わり方がこの数年で一気に広がりました。

【思い出の品】クマがモチーフの指輪

この指輪はクマをモチーフにアイヌ文化を伝承するアーティストが作ったものです。

クマはアイヌにおけるカムイ(神のような存在)の中でも位が高い動物です。いかつい輩に見られるのが嫌で、この手のアクセサリーはなるべくしないようにしてきたのですが、50歳も半ばを過ぎたので、もうそろそろいいだろうと(笑)。裏側が肉球のデザインになっていて、かわいいんですよ。

恩師と出会い、俳優という仕事に打ち込み、映画を通し自身のルーツであるアイヌと向き合う宇梶さん。甘党としても有名とのことで「この世で一番好きな甘いものは?」と聞いてみました。

すると、「こしあんの柏餅ですね。それも草もちではなく、白くて薄い餅。葉っぱを静かにめくるところから想像しただけでも、もう美味しいですよね~(笑)」と、この日一番の笑顔を見せました。

撮影:河井彩美
取材・文:中村裕一

<劇場版「永遠ノ矢トワノアイ」作品情報>

宇梶剛士さん主宰の劇団PATHOS PACK(パトスパック)による舞台「永遠ノ矢=トワノアイ」は、宇梶さんが作・演出を務め、自身のルーツのひとつである北海道、そしてアイヌをテーマに描かれています。

遠い昔より北の大地で紡がれてきた先人たちの思いを受け、現代を生きる青年の成長物語。タイトルの“アイ”は、アイヌ語で“矢”を意味する言葉です。

2019年東京(高円寺)での初演では、1週間という短い期間に2000人近い観客数を記録。多くのアイヌ関係者から寄せられた北海道での上演希望の声を受け、札幌をはじめ道内7ヵ所で企画されましたが、2021年夏、コロナ禍の影響で釧路・平取・北見の3ヵ所のみ公演が行われました。

この戯曲の上演を楽しみにしていた方のため、またより多くの北海道の方たちに届けるために、映画版『永遠ノ矢(トワノアイ)』を製作。本作は、2021年7月1日釧路にて行われた舞台の上演記録です。

【拡大ロードショー】
■5月27日(金)~

イオンシネマ釧路
イオンシネマ旭川駅前
イオンシネマ江別
イオンシネマ北見
イオンシネマ小樽
ディノスシネマズ苫小牧
ディノスシネマズ室蘭

■6月3日(金)〜
シネマ太陽帯広

■7月8日(金)〜
シネマ太陽函館

最新情報は、劇場版「永遠ノ矢トワノアイ」公式サイトまで。