まるで姉妹のように…森光子さんと黒柳徹子さんは50年以上にわたり友情を深めてきました。
時には手をつないで出演舞台に向かったり、時にはプライベートで語り合ったり。笑いあり、涙あり。このたび、ふたりの50年を黒柳徹子さんが振り返りました。
92歳で亡くなるまで第一線で輝き続けた国民的女優・森光子さん。没後10年の節目となる今年、BSフジにて『私しか知らない森光子~豪華スター 涙と笑いの初告白~』が放送されます。
黒柳徹子さんは、今回、森さんの知られざる素顔を語る豪華ゲストのひとり。フジテレビュー!!は黒柳さんにお話をうかがいました。
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再現された森さんの楽屋に「うわぁ、懐かしい」
森さんが実際に使用していた愛用品で、今回特別に森さんの楽屋が再現されました。黒柳さんは、「うわぁ、懐かしい」とその空間を見つめ涙ぐんでいました。フジテレビュー!!が中でも思い出深い品は?と質問すると、意外にも「扇風機」という回答が。
黒柳さん:森さんってね、すごく暑がりなの。ひとつだけ森さんと合わなかったのが、私は寒がりだったということですね。芝居をしてからこの楽屋にふたりで戻ってきて、また舞台に一緒に出る時、森さんは『暑い!』って。私は『わー寒い』って(笑)。森さんは、この扇風機だけではなく、小さいのも持ち歩いていたんですよ、今でもよく覚えています。
番組のインタビューが始まると、黒柳さんと森さんとの懐かしいやり取りがVTRで流れ、黒柳さんは「笑っちゃうわね!女学生の上級生と下級生みたいないい関係でした」と振り返ります。
ふたりが同じ舞台に出演した時、本番中に起きたあるハプニングを森さんがおちゃめにツッコんでくれたこと。黒柳さんが仕事を少し休んでニューヨークに滞在していた時、森さんから送られた手紙を読んで「芸能界ってそう悪いものじゃないな」と思ったこと。
今でも大切にしている森さんと交わした直筆ファックスのエピソードなど、次々と笑顔で語っていきます。
森さんから「徹子ちゃん、子ども産まない?私が育ててあげるから」
ある日突然、森さんは、黒柳さんに「徹子ちゃん、子ども産まない?」と聞き「私が育ててあげるから」と話したそうです。黒柳さんが考える森さんの当時の思いとは――。
また森さんのライフワークといえる舞台「放浪記」。その大きな見せ場であったでんぐり返しを中止せざるをえない日がやってきます。2008年、森さんは88歳、2000回の公演を目前に安全面を考えた制作陣の判断でした。
共演していた黒柳さんは、当時でんぐり返しのことばかりを話題にされた森さんの本心について思うところがあったそうです。そして、同じ頃、森さんは黒柳さんに「私、すごくさみしくなる時があるのよ」とつぶやき…。黒柳さんはある後悔をしたことを明かします。
番組では、黒柳さんにうれしいサプライズが。森さんと足しげく通った、名門ホテルのカレーが登場します。「あらー。どうもありがとう」と黒柳さんはスタジオにできたてを用意してくれたホテルのスタッフに感謝しながらも涙を浮かべ言葉を失います。
懐かしさと同時に、森さんが「本当にいないということがはっきりしちゃって…」とさみしさがこみ上げたのです。
「森さんに会いたいです」
収録後、黒柳さんに感想を聞きました。
――森光子さんのことを改めて語るという収録はいかがでしたか?
一番思うことは、森さんに会いたいということでしょうね。森さんがいなくなってからの、いろんなことをお話したいですね。
現在の劇場のこともお話したいです、それができたらいいですね。
――コロナ禍の現在ですが、森さんだったらどんな励ましの言葉をくださるでしょうか。
「大丈夫よ、徹子ちゃん。私だって戦争のときにずっとやってきたんだから」と明るく力強くアドバイスをくださると思います、絶対。
森さんは、いっさい弱音を吐かない人でした。
最後にいただいたファックスも、また思い出のごはんを食べにいきましょうね、というものでしたから。
番組では、森さんと数多くのコント共演をしたザ・ドリフターズの加藤茶さんと、森さんが生前大ファンだったという爆笑問題の太田光さんが特別対談が実現。さらに登場するスペシャルゲストとは――。