石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

5月26日(火)の放送は、メジャーリーガーの前田健太投手がアメリカの自宅からリモート出演。本来であればシーズン中で出演が難しい時期だが、メジャーリーグの開幕が延期になり自宅で自主トレーニングの日々を過ごしているという。

以前から親交がある石橋と、これまでとこれからの野球人生をじっくり語った。

前田は、コロナ禍の中「ロサンゼルスに自宅があるので、そこで家族と過ごしています」と近況報告。日本に戻る選択肢もあったが「2週間の隔離生活もありますし、家の問題もありますね。ウエイト器具を少し置いていたりとか、庭でキャッチボールできたりとか、ロサンゼルスに残っていた方が練習できる」という理由でアメリカに残っているという。

無観客試合は気持ち的にすごく難しい「ファンの声援のありがたさ」実感

いつ始まるかわからないシーズンにあって、可能性がささやかれている無観客試合について、石橋は「選手としてはどうなの?」と訊ねる。

前田:無観客はすごく難しいです。気持ちが上がらないというか。何回か練習試合やオープン戦で無観客試合をやったことがあるんですけど、僕はもう全然ダメで。そういうときってボコボコに打たれるんです。シーンとしてると集中できなかったりとか。

石橋:そういうものなの?シーンとしてるほうが(集中モードに)入れるのかなと思ったけど。

前田:その“シーン”に集中力が行ってしまうんですよね。逆に声援があるほうが、気にならない。

声援によって集中力やモチベーションが保てていると明かし「ファンの方たちの声援のありがたさを感じる」と応援してくれる人たちに感謝した。

どうしたら勝てるようになるのか?見つけ出した答えとは

高校時代は、野球の名門・PL学園で活躍し、ドラフト1位指名で広島東洋カープに入団。その後もメジャーリーグへと移籍し順風満帆に野球人生を歩んできたように見える前田だが、実は辛い時期もあったと語った。

それはプロになって3年目、8勝14敗という成績で「1軍で戦う辛さ」を知り「マウンドに上がるたびに、打たれる気しかしなかった」と振り返る。

石橋は、打たれ続けても投げさせていた「(マーティ・)ブラウン監督の『エースとして育てたい』という期待の表れだったのでは?」と聞くと「その期待もすごく感じたので、その期待に応えられなかったのがすごく辛かった」と答えた。

そして、その年のオフに「どうやったら自分は勝てるんだろう?」と悩んだと明かす。

石橋:そのころ(2009年ころ)「いいピッチャーだな」と感じたのは、誰だったんですか?

前田:吉見(一起)さんですね。中日ドラゴンズの吉見さんに何回も負けましたね。いつも当たるんで。それで必ず勝てないんですよ。「僕と吉見さんの違いは何だろう」というのは、考えていましたね。

石橋:答えは、何だったんですか?

前田:答えはもう、「大事なところ、勝負どころで絶対に点を与えない」ということ。「この回が勝負」とか、流れがあるじゃないですか、野球とかスポーツって。そこで僕は点を取られて、相手ピッチャー、吉見さんとかは必ずそこをしっかり抑えてくる。

石橋:ボールを甘くさせないために、技術的なことは何かあったんですか?

前田:勝負どころを自分で試合の中で作って、「ここはもう絶対点を与えない」とか、「ここは大事だ」というのは試合の中で感じるようにして。良くなったボールもたくさんあるので、技術的なこともあるんですけど、勝負どころで抑えられるようになったのがよかったのかなって。

その結果、翌年の2010年には、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を獲得し、沢村賞を受賞した。

プロになった前田を変えたブラウン監督のアドバイス

プロに入った時はストレートとカーブしか投げられなかったが、ブラウン監督に「スライダーもチェンジアップも覚えないと1軍では勝てない」と言われ、1年目が終わった秋のキャンプあたりからその2つの練習を始めたという。

前田は、「あの人のおかげで僕は良くなったと思うので、ブラウン監督には本当に感謝しています」と話した。

高校時代の伸び悩み…初めてプロへの道が見えなくなった

また、PL学園時代の話題も。前田は、PL学園を選んだのは「プロに行くため」と、中学生のころからプロ野球選手になることを視野に入れていたと明かす。

入学した同級生18人のうち「4月には、5人くらいいなくなっていた」という野球部で、1年生の夏に甲子園に出場し「桑田真澄二世」ともてはやされたが、2年生の春大会、夏大会での甲子園出場は叶わなかった。

前田:僕自身も伸び悩んでいて、PL学園の部長から「このままだとプロは厳しい」と言われて。僕は「プロ一本」と監督とコーチには言っていたので、その時が一番きつかったかもしれない。小中学校で「自分はプロに行ける」と完全に信じていたので、初めて「あれ?プロに行けないのかな」と感じたのが高2くらいですね。

石橋:ちょうど、マーくん(田中将大選手)が、夏に勝った時だよね。2年生の夏って。

前田:はい、同級生に良いピッチャーがいっぱい出てきて。

石橋:3年生でグッと伸びたのは、また、自分に何を課したの?

前田:完全にちょっと調子に乗っていたというか、「自分はプロに行ける」と思っている部分もあって、普通に周りと同じ練習をして過ごしていただけだったので。コーチ監督と相談して、一回チームと離されて。

石橋:え、隔離されちゃったの?

前田:はい。個人練習になって、体を強くしようということで軽いウエイトトレーニングを始めたりだとか、ランニングメニューも人より多く走らされたりとか。

そこから「もう一度自分が伸びた」と振り返り、周囲が「今のままだと厳しいよ」と言葉をかけ気付かせてくれたことが、大きな出来事だったと語った。

新鮮な気持ちで野球に取り組むことができる「環境の変化」はすごく大事

プロ野球選手になった当初、メジャーリーグには「あこがれも興味もなかった」という前田。

2013年のWBCで初めて海外で野球をして、初めて海外の選手が参加している大会で投げたこと、そしてダルビッシュ有投手や田中将大投手という同世代の選手がメジャーに行ったことで「自分が行ったらどうなるんだろう」「すごい選手がたくさんいる中で自分もやってみたい」と思うようになったそうだ。

石橋:2016年に(ロサンゼルス・)ドジャースに決まった時って、PL学園に入った時とか、広島に入った時のように、モチベーションが上がるわけですよね。

前田:はい。また同じ気持ちですね。新鮮な気持ちで、ルーキーのような気持ちで野球に取り組むことができたので、環境の変化というのは、すごく大事だなって感じますね。

石橋:また、ドジャースいいですもんね。

前田:ドジャース、いいですね、良かったですね。すごくいいチームでしたね。

新天地ツインズは「ピッチャーにとっていいチーム」

そんな中、今年2月、ミネソタ・ツインズにトレード移籍が決まった。

急な話に、石橋は「ビジネスライクに話を進めちゃうし、チームの功労者とか、そういう気持ちがないんだなと思って」とメジャーリーグのドライさに言及。すると前田は、トレードについて1年目は驚いたが「4年メジャーでやっていれば、予想がついてくる」と淡々と答える。

前田:僕の(トレードの)うわさも12月ごろからあったので、僕的には「(トレード)あるかな?」という気持ちで過ごしていたんで。

石橋:だって、急に生活変わっちゃうわけじゃないですか、例えば前田くんだとお子さんもいるし。俺なんか、「ミネソタ」って言われても「ミネソタってどこだよ?」って(笑)。

住む家も探していたが、シーズンが延期になったのでまだミネソタに足を踏み入れていない状態だという。しかし、移籍先のツインズは「強いチームですし、打線がすごくいいので、ピッチャーにとってはいいチームだと思います」と期待を込める。

今まで一度も直接対戦したことがない田中将大投手と「投げ合いたい」

石橋:(ニューヨーク・ヤンキースの)マーくんと投げ合うということも?

前田:はい、可能性が高くなりましたね。

石橋:これは何か、期するものが当然あるわけですか?

前田:はい、投げ合いたいですね。プロになってまだ1回も投げ合ったことがないので。

石橋:え!ないんですか?

意外にも、高校時代や中学時代にさかのぼっても「投げ合ったことは一度もない」そうで、中学時代はキャッチャーをやっていたこともある田中投手を「僕の中ではキャッチャーのイメージだったので、(高2の甲子園でのピッチングを見たときは)『あの時のキャッチャーだ!』って思いましたね。びっくりしましたね」と振り返り、改めて「投げ合いたいですね」と力を込めた。

前田「あの瞬間は、野球人生最高の舞台」

前田は、ドジャース時代、ワールドシリーズに進出し、2016年、2017年と日本人投手として初めて2年連続の登板を果たした。

特に2017年は「人生で一番緊張したし、一番気合の入った試合だった」とし「あの瞬間は、野球人生最高の舞台」と心に残るうれしい体験だったという。

石橋:じゃあ、今シーズンはツインズで頑張って、きっちり。

前田:そうですね、ワールドチャンピオンになりたいですね。

石橋:ヤンキースを倒し、ヒューストン(・アストロズ)を倒さないと、ワールドシリーズっていうのが見えてこないですもんね。

前田:そこを倒すためにひとつ頑張りたいなと思いますし、GMにも「プレーオフのヤンキース戦で先発してもらうために獲った」と言ってもらえたので、僕にとってはそれがすごくうれしい言葉でしたし、ツインズに行ってよかったなと思える瞬間だったので、今年はツインズのために一生懸命頑張りたいなって思います。

そのほか「やりのこしたのは、200勝」と話し「200勝達成するまでは現役を続けたい」というこれからの目標や、「日本でもう一度プレーしたい気持ちはある」「求められる状態で帰れればベスト」と、日本のプロ野球への復帰願望も明かしていた。