“東京のミステリータウン”を探る特集「千住の街の謎」。今回は、足立区北千住と荒川区南千住の知られざる謎や疑問に迫った。
南千住には一般人立ち入り禁止の駅が存在する―。
そんな噂を聞きつけ、夏菜とジャングルポケット斉藤慎二がさっそく現地へ向かった。そこには団地風の建物があり、確かに「隅田川駅」と表示されているものの、門は閉ざされたまま。「関係者以外立ち入り禁止」の注意書きが掲げられていた。
この“駅”の中はどうなっているのか?
全容を知るという梶武さんに、中を案内してもらうことになった。
まず指示されたのは、ヘルメットの着用。「駅に入るのにヘルメット…?」と訝しがりながら構内へ歩を進めると、ガソリンスタンドにある給油機のようなものが目に付く。さらに、ホームらしきものがあり、線路の下には何やら怪しげなスペースが…。
さらに、その先には線路が10本以上ある広大な敷地が広がっていた。
ロケの最中、警報音が鳴り響いた。音のほうへ近づいていくと、到着したのは運転席に誰もいない列車。
一般の人が入れないのに、やはりここは駅なのか?
実はここ、「コンテナを輸送している貨物列車専用の駅」。
梶さんによると、隅田川駅に運び込まれるコンテナは1日に5000tで、「貨物の北の玄関口」と呼ばれているのだという。
千住は江戸時代から物流の街として栄えていた。そこには、徳川家康が行ったある政策が深く関係している。
江戸幕府ができる前、家康は北の方角に敵が多いことを問題視していた。そのため、隅田川を越えて攻め込まれないよう、橋を架けることを禁止した。
しかし、橋がまったくないのも不便だったため、隅田川で唯一橋を架けることを認めたのが現在の千住大橋だった。
これによって北からの物資がよく届くようになり、千住エリアは物流の拠点として発展。そして、明治30年、物流専門の隅田川駅が南千住に誕生することになったという。
バルコニーに囲まれた黄金の巨大観音像
続いて、夏菜と斉藤が向かったのは、同じく南千住にある巨大観音像。
近づいてみると、10m以上はあろうかという観音像が千住の街を見下ろしているのだが、その左右には7階構造のバルコニーが6つずつある。
入口の扉をあけると、そこには無機質な鉄パイプの階段。
斉藤は、手すりのない階段をおそるおそる上っていった。
2階に到着すると、バルコニーへ出て半周。そして、また扉を開けて階段を上り、バルコニーに出る。
実はこのバルコニーはメンテナンスをする時の階段代わりに造られたもの。そのため、いちいちバルコニーに出てくる構造になっていた。
また、この構造、七重塔を模して造られたものでもあるという。
この円通寺は791年、坂上田村麻呂が建立した由緒ある寺院。今から約40年前、街の人たちの幸せを願って、七重塔を建てようと計画があったそう。
しかし、予想以上に費用がかかってしまい、断念。苦肉の策として、七重塔を現代風にアレンジし、このバルコニー付き観音像が誕生したとのことだった。
460発の弾痕が残る黒門のナゾ
円通寺には黒門という穴だらけの門がひっそりと佇んでいる。穴の正体は銃弾の跡。番組調べでは、実に460発にものぼる。
ただ、長い歴史の中でも千住エリアで戦闘が起きた記録はない。この黒門は一体なぜ銃弾で穴だらけなのか?
これは上野に西郷隆盛像が建っていることと密接に関係している。
明治維新の折、徳川家の警護をするために彰義隊が結成された。
1868年5月15日、上野寛永寺にいた隊員たちは、西郷らが立ち上げた新政府軍に攻め込まれた。
世にいう上野戦争。戊辰戦争のひとつで、彰義隊は266人の死者を出し、壊滅状態になった。
この勝利を記念して、上野公園には西郷の像が建てられた。一方の彰義隊(旧幕府軍)は、新政府軍(天皇派)に弓を引いた賊軍とされたため、その死体を手厚く葬ろうとする人はおらず、放っておかれたという。
それを見かねたのが円通寺の住職。罰せられるのを覚悟で弔いを始めた。新政府軍に拘束されるなどの苦労はあったものの、最終的には彰義隊の死体を埋葬、供養する許可を得たという。
そして、彰義隊の墓が円通寺につくられ、上野にあった黒門も円通寺に移築された。
ちなみに、上野の西郷像が建っている場所は、円通寺の住職が彰義隊の火葬を行った場所と言われている。また、像の後ろには彰義隊の墓所も建てられている。