石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

8月11日(火)の放送は、ゲストに和菓子の老舗、虎屋の代表取締役会長・黒川光博氏が登場し、新社長誕生で目指す新しい時代の虎屋や、「羊かんを世界の菓子にしたい」という思いを語った。

みんなが反対から読む!?虎屋暖簾の文字

黒川氏の出演に「来ていただけるなんて。震えましたね」という石橋は、娘たちが小さいころに散歩で虎屋の前を通る際、毎回「やらと」と読んでいたとエピソードを告白。

黒川氏も「そうですね、あの暖簾(のれん)の字、昔はああやって(右から)書いていたんですね。変えようって話もだいぶあったんですけれど、あれはもうあれでいいかなって(笑)」と話し、石橋も「そうでなくちゃ」と大きくうなづいた。

黒川氏は、虎屋の17代代表取締役社長を務め、今年6月に社長を息子の黒川光晴氏に譲り、代表取締役会長に就いている。

石橋:(創業)500年なんですか。虎屋さんは。

黒川:らしいですね(笑)。

石橋:(笑)。織田信長が生まれるちょっと前ですか。その時にもうすでにあったわけですか。

黒川:見てないからわかりませんけど(笑)。

石橋:すごいですよね。いわゆる庶民と言われる人たちが、甘いものを食するようになったのが、江戸時代の真ん中ぐらいなんですね。

黒川:でしょうね、はい。

石橋:砂糖ってすごく高価なもので。

黒川:それまでは貴重品として、薬みたいな使われ方をしてきたというふうに言われています。

石橋:そのころって、どういった甘いものが?

黒川:私共で作っています生菓子のカタログみたいなものがあるんですけど。「見本帳」という言い方をしているけれど、その一番古いのは1695年ぐらいにできているんですね。だから、かなり前からそういう生菓子は、あったんではないでしょうか。

石橋:虎屋さんが新しくなった時に、地下のギャラリーに絵がたくさん飾ってありましたよね。あれって全部レシピは残っているんですか?

黒川:レシピはね、あるのは少しなんですよね。

石橋:じゃあ、ひょっとして何個かできないものもあるんですか?

黒川:ありますね。いや、全然、できないものもありますよ。形をどう作ってきたかっていうのもなかなか…。

石橋:江戸時代ぐらいは、男の人の教養の一つだったんですね。お菓子の種類をどれだけ知っているかという。

黒川:昔はやっぱり、武士なんかもお茶を立てて飲んでいたっていうことですから、その流れの中かなとは思いますね。

2人は室町時代の後期に創業したと言われる虎屋の長い歴史に思いを馳せた。

虎屋が500年続いている理由とは?

石橋:なぜ、虎屋さんは500年もの長きに渡り続いているんですか?

黒川:最近ちょっと感じるのは、最初にスタートした人から30年とか50年くらいが本当の正念場なんだろうと思うんですよね。そこで「やめよう」と思ってしまうか、「よし、辛いけど頑張ろう」と思うか。あとはまぁ、どうにかやっていけるんじゃないですか。

石橋:じゃあ、初代の方の最初の30年ぐらいは…。

黒川:そうでしょうね。その人ばっかりではなくて、そこに一緒に、志を同じくしている人が、作ってくれていたりとか、そばにいたんだと思うんですけど、そういう人たちがいるからこそ、やっぱり続いている。心から自分が作っている菓子に打ち込んで、愚直なまでにやっている、そういうことが積み重なってきたとしか言えないんじゃないかと思うんですね。

「僕にないものを持っている」新社長に「何が出てくるかなという期待感」

石橋は、伝統を“継いでいくこと”や、次世代に期待することにも迫っていく。

石橋:何を一番期待されているんですか、18代目に。

黒川:(光晴氏は)今35歳なんですけど、若いから思いつくこととか、若いからのスピード感だとか、そういうものは本当に、僕なんかにはないものを持っていると思うんですね。それを、周りのしがらみだとか、その一つは私かもしれないんだけど…そういう言葉に負けて、やらないんじゃなくて、とりあえずやってみるというようなことを。「何が出てくるかな」という期待感はありますよね。

石橋:黒川さんは、何歳で継いだんですか?

黒川:僕は、47歳です。

石橋:プレッシャーとか、黒川さんにはなかったんですか?

黒川:それまでずっと父と一緒に仕事もやっていましたから、やることはある程度はわかっていたし、そんなにプレッシャーとは思わなかったですけど。

石橋:きっちりとした虎屋さんのお店と、(それとは別に)カフェみたいなところもあるじゃないですか。あれはなぜ作ろうと考えたんですか?

黒川:あれは一つの挑戦ではあったと思いますね。「新しいものも作っていかないとダメだ」という思いは、いつの時代もあったわけで。それをどう表現するかがなかなか難しかったんですけど六本木ヒルズという、あの街をこれから作るというときに、そこに「新しい虎屋を作ってほしい」と言っていただいて。「よし、今がチャンスだ」というのがなんとなくピンと来たんですね。

黒川氏は、若い世代にチャンスを与えたいと、若手を起用した大胆な人事を編成した際に、祖父から「それも非常に良いことだけど、古い人も大切にな」と訓示を受けたことなど、自らのチャレンジを振り返った。

石橋:黒川さんがチャレンジして道が広がっているところへ、18代はもっとその道を広げていくわけですね。

黒川:いやぁ、彼と私とである程度思いを一つにしていることは「ただただ大きくすることが良いことではない」ということ。質の高さというか、それは菓子の品質でもあり、あるいはそこに勤める人の「質」というものを高くしたいと。「会社の売上高がこんなになったぞ」とか、「店をこんなにいっぱい持っているぞ」ということじゃない価値があるということは、息子とは共有できていると思っています。だから「こんなに大きくしましたよ」とあいつは威張らないんじゃないですかね。

「そこまでやるんだ、日本」驚くべききめ細やかさ

「キャンプは好きだけれど、最近行けていない」と話す黒川氏は、最近テンションが上がった出来事として「ラグビーワールドカップ」を挙げた。

黒川:僕はラグビー好きですね。世界であそこまで行くというのは、やっぱりただ、個人の体の大きさだけの問題じゃないなというのは、すごく感じましたね。

石橋:スクラムとかも角度を決めて、押し負けないためには、この何度の角度を保たなければいけないとか、そのためのソックスも、スパイクの中で遊ばない、グッと止まる繊維をちゃんと、織り方とか糸とかを開発して「そこまでやるんだ、日本」という。

黒川:それは、すごいことですよね。

石橋:やっぱりそういうことをやらせたら、日本人って、きめの細かさというか。

黒川:あるんでしょうね、やっぱりね。

石橋:それは和菓子にも通じるものが、当然。

黒川:きめの細かさというのは、もちろん外国の方も持っておられるんでしょうけど、日本人は意外と職人技という、そういうことができる、やりたいと思う人の数は多いかもしれませんよね。私どものところに入ってくれる人も、「自分で何かを極めていきたい」と。彼らと話していると面白いですよね。本当に技術者というか、職人というか。

石橋:ちなみに和菓子職人になりたいと入って、ほぼほぼ一人前になるのにはどのくらいかかるんですか?

黒川:10年くらいはかかるでしょうね、きっと。

石橋:10年ですか。

黒川:お菓子って、同じものばっかりいつも作っているわけじゃないんで。季節に合わせていろいろな材料が変わったりとか、その年の出来によって塩梅が変わったりするわけですよね。そういうのをある程度、自分で身につけるには、ちょっと年数が要ると思うんですね。

羊かんはダメだとか、和菓子はもうダメだと思う必要はない

そして黒川氏は、 「羊かんを世界の菓子にしたい」という夢について語る。

石橋:びっくりしたのは「羊かんをとにかく世界のものにしたい、だけどそれは別に虎屋じゃなくてもいいんだ」という発言が書いてあったんですけど、ご自身のところの羊かんじゃなくていいんですか?

黒川:いいんじゃないですか。

石橋:羊かんが世界に広まれば?

黒川:先頭になってやりたいとは思いますよね。誰かが引っ張っていかないとなかなかできないと思うから、そういう意味では先頭に立ってやっていきたいとは思っていますけど、それが多くの人たちの手によって世界に広まるとしたら、虎屋がというより、よっぽど良いことだと思うし。そうなったときに「じゃあ負けないように頑張るぞ」というふうにはしたいと思いますけれど。

ある時、ふと思ったのは「チョコレートってどうしてどこの国に行ってもあるのかな」と。「誰でもチョコレートを知っている」と。何でこうなのだろうというのを疑問に思ったので、いろいろ調べて見てみたら、カカオ豆というのは紀元前2000年ごろにすでに見つけられていたらしいんですよね。それが何回も何回もいろんな人が挑戦したけれども、なかなか人の口に入るものになっていかなかったと。だけどある時に、ミルクと砂糖と一緒にすることを誰かがやった。それからバーンと広がったというんですよ。それがいつだったのか、というと、170年くらい前にしか過ぎないんですよね。それで思えば、羊かんはダメだとか、和菓子はもうダメだと思う必要はないんじゃないかと。

石橋:「500年やってるぞ」と。

黒川:(笑)。500年はまぁね、狭いところでやっていたかもしれないけど、これからはもっとそういうつもりでやれば、広いところでみなさんに好んでいただけるようなものもあるんじゃないかな、できるんじゃないかなと思って。

石橋:黒川さんの時代ですか、パリに出店したのは。

黒川:パリは父の時代ですね。1980年でしたから、まだ父が健在だったころに出しました。

石橋:何故、パリだったんですか?

黒川:父が戦後すぐに海外旅行をして、そのときに生まれて初めてフランス・パリに行ったと。虎屋というのは京都出身なんですけど、 街のたたずまいであるとか、人がすごく「京都と似ている」と、強いインパクトがあったらしいんですね。当時は本当に「もしも」の話だったと思いますけど、海外に店を出すような機会があったならば、何としてもパリに出したいという思いが強くあったみたいですね。

石橋:最近はパリのお客さんが「虎屋って日本にもあるの?」っていう。

黒川:確かにそう言われたというふうに(聞いています)。だいぶ根付いてきましたね。今年で40年目なんですけど。

石橋:だいたい、これだけ自然食品とか、みんな健康に気を付けているわけですから、外国人のちょっと健康オタク的な人は「豆なのかこれ、豆でこんなに甘いのか!」って。

黒川:そうですね、外国人が豆を甘くするというのはすごく違和感があったらしいんですね。だいたい、食事として。西部劇なんか見ていても、お皿の中でビーンズを食べたりしているじゃないですか。

石橋:ええ。

黒川:それが今、かなりパリの店なんかでも、みなさんに知れ渡ってきたのが、あれが植物性の物でできているということなんですね。「植物性が体に良い」という話は、万国共通なんだろうと思うんですよね。

石橋:ということは、絶対に「あんこ」は(世界に広まるチャンスが)ありますよね。

黒川:と、思うんですよね。それが150年かかるか、200年かかるか分からないけれども、地道にやっていくことによって、その時の人が「いつからこうなったの?」と言われた時に、150年前に日本の菓子屋で、例えばそれは虎屋って会社もあったかもしれないけど、そういうところの人間がやったから、ここで今、世界中が食べているんだと言われれば、それはそれで楽しいじゃないですか。

石橋:そこですよね、これからの500年とか。

黒川:そうですね。確かに。

次の500年への思いを語った黒川氏がこれからやりたいことは「虎屋オンリーだったところから外れて、家庭というのか、そういう生活を大切にするようなことをやってみたい」と、古いしきたりのある家に嫁ぎ、これまで支えてきてくれた妻へ「感謝の気持ちを表していきたい」と語っていた。