今年、芸能生活40周年を迎えた伍代夏子へのインタビュー。3度の改名を経たデビューからの軌跡と、杉良太郎との結婚までを語った前編に続き、後編では、杉良太郎と行っている福祉活動、自身の闘病の中で見えてきた新たな可能性などについて話を聞いた。
<【前編】芸能生活40周年!伍代夏子 杉良太郎との結婚は「『仕事しながらできるの?』と、初めて思いました」>
<伍代夏子 インタビュー>
――杉良太郎さんと結婚した後、杉さんのライフワークであるチャリティーイベントや福祉活動に参加した感想は?
それまで、ある意味、目を背けてきた部分ですよね。杉さんの場合、福祉と民間外交をずっとやってきて、外務省とご一緒したり。今は法務省ともいろいろやっています。
でも、私たち演歌歌手の場合、そういう主張や強い色を出さないように、という環境で育ってきてるんですよね。例えば、自分が先頭に立って被災地に行ったり、寄付をするといったことは、残念なことですけれど、うがった見方をされる人も多いし、「言わないほうがいい」「やらないほうがいい」という風潮だったんです。
主人はそこばかりやってきた人で、「何を言われても関係ないよ」というスタンス。人の評判ばかり気にする商売をしていた私にとっては「まずいな」「困ったな」という部分でもあったんですけど、いざ飛び込んだら、逆に強くなりました。
一緒にやってきて、福祉活動は、少しだけでも誰かの役に立って、どこかの誰かの命が助かるかもしれない。そういう有意義な活動は、黙ってやればよし、だと。
主人の口グセですけど、お金がある人はお金を(寄付などで使ってほしい)、お金がなければ、時間を寄付してください、両方自由にならない人は、そういう活動を理解してください、という。まさしくそれはその通りだな、と。できる範囲でやっていきたい、と思えるようになりました。
声が出なくなり、「歌の活動をお休みします」と公表したら安心できた
――2010年にはC型肝炎を、今年3月には喉のジストニアを公表、歌手活動の休止も発表しました。病気については、どうやって乗り越えたのですか?
前の病気(C型肝炎)のときは、「絶対治る」、「治してやる」と思ってますから、その気持ちで前に進めたし、インターフェロンで治療することができましたけど、今回の喉だけは本当に参ったし、かなりショックでした。
だって、子どものころから声だけはよく通って、一番自信のあるところですから。高い声だろうが低い声だろうが、意識せずに出るはずなんですが、それがある日、自分の声じゃない声が出てしまうんです。思ってない声が。
自分でコントロールができない、自分の喉の筋肉が。これは、かなりショックです。原因はストレスと言われ、1回なったら治りにくい。けれど、ケロッと治った人もいる。3日で治る人もいれば、10年かかる人もいる。先が見えにくい。それで、ありとあらゆることを調べました。
良いと言われることは、全部やりましたね。瞑想をする、怒鳴る、汚い言葉をノートに書いて目で確認する、とか。あとは、砂浜を裸足で走る、紫外線を目から入れる、朝日を拝む、常に笑顔を作る、スクワットする、深呼吸する…。
それがどういう効果をもたらしてるのかもわからない。でも、今は徐々に良くなっているという感じですね。
――その中で、例えばミュージックビデオの制作や写真展の開催など、新しい表現へのアプローチも広がっていますね。
声が出なくなって、「歌の活動をお休みします」と公表したら安心したんです。それまでは、「今日は出るかな?」「できるかな?」って(不安だった)。
不思議なもので、公表するまでは、歌は普通に歌えていて、しゃべりだけがきつかったんです。それが、ある日、両方ダメになってきた。歌も満足に歌えないなら、歌手っていえないだろうってことで公表して、お休みしたんです。
そうしたら、会社側から「一旦会社を閉めて、全員を解雇したら?」という話をいただいて。そうすれば、みんなの給料の心配をする必要がないし、治ったらみんなに戻ってきてもらえばいいじゃないって。
だけど、そんなことできるわけないですよね。一回、会社を閉めて従業員をクビにしてしまったら、みな違うところに行ってしまいますよね。かといって、来月声が戻るのか、10年かかるのかもわからない。事務所を閉めずに何かしようと思っていたときに、ちょうど写真展のお話が来たから「やります」と手をあげました。
「新曲どうしますか?」という話にもなったんですけど、「満足に歌えないのに、先生に新しい歌を作っていただくのも失礼でしょ」って。けれど、休んでいるとはいえ、現役でやっているんだから、レコーディングはしましょう、というところからいろいろ考えて、だったら「雪中相合傘」(2020年1月リリース)の別バージョンで、もうちょっと世界が見えてくるものを作ろうということで、ミュージックビデオを作りました。どんなに長くたっていいかなというのもあって。
――11分38秒の大作ですね。
そうです。セリフを入れ、調子のいいときにレコーディングしてもらいました。どれだけ楽しかったか、ですよ。スタジオワークが。
でも、声を入れるときは、つらかったですよ。「ああ、ひどい声」って認識しなきゃいけなかったですから。
けど、まあいっか、って。これが今の精一杯だからって。それよりも、画もきれいだし、イメージ通りだしってことで、楽しい方向に自分を持っていきました。
凝り性、完璧主義の自分を見直し「これはやらない」ということを決めた
――写真についてはいかがですか?
写真の場合は、どれだけ粘っても、(環境に左右されるから)無理なものは無理ということもあるので、それは諦めもつくんですけど、ミュージックビデオの仕事に関しては、やっぱり眠れなくなりますね。というか、もう寝る気がないんですね(笑)。
「あそこで雪を降らせなきゃ…」とか、ずっと考えてるから眠くならないんです。でも、それはしょうがいないです。すべてが終わったら寝ますから。
――先ほど(前編参照)話していた、凝り性、完璧主義という部分ですね。
そうみたいなんです。だから、こういうことになるんですって。ちょっと切り替えが下手なのかもしれないですね。結婚して上手くなったはずなんですけど…。
でも、凝り性は凝り性で変わらないですね。そうすると、この病気にはよくないみたいです。完璧主義が良くないんです。「こうでなければならない」というものを自分に課しちゃうんですって。それが自分の首を絞めるんですって(苦笑)。
今は何となくわかってきたので、抜くところは抜いて、というのを無理して作る。「これはやらない」みたいなことを自分で決めることにしました。
――若々しくてお美しい伍代さんですが、美の秘訣を一つ教えていただけますか?
これは、本当に特別なことはやってなくて。私の場合は、とにかく化粧水しかつけないんです。あまりいろいろやり過ぎると、逆に調子が良くないんですよね。
だからもう石鹸で洗って汚れはとことん落として、あとはたっぷり潤いを与える。あとはもうとにかくポジティブ。前向きに捉える。そういう意識は大事。間違いなくそう思いますよ。
――では最後に、読者へのメッセージをお願いします。
30代から50代の女性が多いんですか?その年代は、ホルモンのバランスが崩れたりするんですよね。そうすると、自分で理解できないくらいの感情になったりするものなんですけど、それに戸惑わなくて大丈夫です。
知らないと戸惑うと思うんです。でも、そういうときがあるんだよ、女性は、と知っておくだけで安心するのではないでしょうか。もちろん個人差はありますけど、もし、「私、何か変だな」と感じても、全然、変じゃないんです。
気持ちがゆらいだりすることもあると思うけど、大丈夫。「今、私がこんなに涙もろいのは、そういう時期なんだ」と思えると、戸惑いや揺らぎも少なくて済みます。
それは、新たな可能性の自分が生まれるときなので、「前の自分じゃないからダメなんだ」なんて思わないほうが、人生楽しいですよ。
撮影:河井彩美 取材・文:田部井徹