石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

9月15日(火)の放送は、ゲストに髙嶋政宏が登場。芸能一家に生まれた髙嶋が俳優になった経緯や、夢と挫折、人生に影響を与えた言葉などを語った。

最初の「生とんねるず」はスタジオの隅で「眺めていた」

髙嶋は弟で俳優の高嶋政伸もいることから、石橋から「兄(アニ)」と呼ばれている。

石橋:アニが役者さんになる前に、僕は初めてニューヨークにロケに行かせてもらって。『オールナイトフジ』『クイズ・ドレミファドン!』『夕やけニャンニャン』、この3つの番組の合同ロケだったんです。そこに、お父様(故・高島忠夫さん。当時、『クイズ・ドレミファドン!』の司会を務めていた)がいらして。そのとき、初めて僕はアニと会ってるんですよね。

髙嶋:いえ、そんなことより、学生の時に父に頼み込んで『オールナイトフジ』に見学に行きましたからね(笑)。

石橋:えぇ!?

髙嶋:そこが、最初の。

石橋:生とんねるず?

髙嶋:ええ。端っこの方で見学させてもらって。それですよ。

石橋:その(ロケの)前に会ってたんだね。

髙嶋:「会った」っていうか、もう、スタジオの隅で、「眺めてた」っていう。

学生時代は役者になろうという気持ちは「なかった」といい、中学3年生のころからバンドでベースを担当。ディスコでビジーフォーの前座をやっていたと語り、石橋は「すごい経歴ありますね」と声を上げた。

高嶋ちさ子の父から突然「お前、役者になることに決まったから」

役者の道へと進んだのには、家族からの進言もあったという。

髙嶋:ある日、大学のアメフトの練習終わって帰ったら、僕が一番仲のいい従妹、高嶋ちさ子のお父さん、おじの高嶋弘之さんと両親がいて。ガチャッと開けた瞬間に「ああ、政宏。今、満場一致でお前、役者になることに決まったから」って。急に言われたから「えぇ!?」って。

石橋:じゃあ、ちさ子ちゃんのお父さんが、かなり推してくれて?

髙嶋:あるとき、父が出ていた『ゴールデン洋画劇場』で、相米慎二監督の新作の主役のオーディションをやることになり、それを広く公募する、と。「185センチで熊のような男」というのが応募資格だったんですね。当時アメリカンフットボールやっていたので、父が「これはお前だから、行ってこい」と。全然素人ですよ、でも、そこがきっかけと言ったらきっかけなんですよね。

しかし、そのオーディションでは「華奢だからこの役には合わない」と不合格。「いい経験になった」と元の生活に戻ったが、その後、あるパーティで撮影した集合写真が週刊誌に載り、それが事務所のマネジャーの目に留まって「やる気があるならうちからオーディションを受けて」と誘いを受けた。

髙嶋:それで、大森一樹監督の「トットチャンネル」っていう映画のオーディションを受けに行くんです。受かると思っていないから、午前中アメフトの試合やって、そのまんまジャージを着て、バッグを背負って、東宝撮影所に行ったんですよ。そうしたら大森監督が「何だよ、みんなジャケットとか着てこじゃれて来るのに、お前、面白いな」と。そこで、デビューですよ。

髙嶋は「トットチャンネル」後も、2作目「BU・SU」に出演し、「なんて楽しいんだ」と役者の仕事にハマりかけたが、3作目「ステイ・ゴールド」で、アフレコの芝居が上手くできずスタッフに酷評されたという。その言われ様に「何でそこまで言われなきゃならないんだ、もう辞めてやる!」と思ったが、次に出会ったのが森田芳光監督だった。

森田監督の現場では、ベテラン俳優が練ってきた演技プランが通らず、新人の髙嶋が監督から言われるままに演じると、どんどんOKが出た。撮影が終わる間際に「髙嶋、お前は監督を喜ばせることだけを考えておけばいいんだ。それが俳優なんだ」と言われ「俳優って、こんなに面白いんだ」と、新たな感動があったと振り返った。

カチンコの音を聞いた瞬間「これは俺が一生やる仕事だ」

そんな髙嶋が役者になって興奮したことは…。

髙嶋:最初に受かった「トットチャンネル」(撮影)初日の前の晩、緊張して眠れないんです。

石橋:結構、アニはナーバスなの?

髙嶋:いや、今はまったく緊張しないし、寝られなかったのもその一日だけなんですよ。たった一言のセリフを何度も練習しているうちに眠れなくなって。そこで、ロケ現場に入りました、監督が「本番!よーい」、カチン!このカチンを聞いた瞬間に、ぶわーっと感動が。なぜか、突然。

石橋:カチンコを聞いた瞬間に?

髙嶋:なぜかそのときに、ど新人だったど素人の僕が、その場で「これは俺が一生やる仕事だ」って思ったんです。

石橋:体中に電気が走っちゃうみたいな?

髙嶋:下手したら涙ぐみそうな。何かこう、こみあげてくるんですよ。

石橋:素晴らしいな。何それ、急に?

髙嶋:いやぁ、びっくりしました。

石橋:それは、お父さんとか、お母さん(女優・寿美花代)の血がやっぱり自分には流れているんだなっていう。

髙嶋:何か、DNAですかねぇ。

夢がかなって自信にあふれていたときにかけられた衝撃のひと言

役者としての夢に「黒澤明監督の映画に出ること」「外国の演出家と仕事をすること」を掲げていた髙嶋。黒沢監督は亡くなってしまい、夢破れたが…。

髙嶋:あるとき、「レ・ミゼラブル」という舞台で、イギリスでサーの称号がついている(演出家の)ジョン・ケアードさんが新しいキャストを集めると。これを聞いて「ついに来た!」と、オーディションに行ったんですよ。受かって、ポスター撮影して、プログラムの撮影をして。「やった!これは完全に、遂に、夢をつかんだ」と思って。俺は毎日、帝劇(帝国劇場)で「レ・ミゼラブル」を、ジョン・ケアードの演出の下、(舞台に)立っているんだと、自分の中では自信に満ちあふれていて。

だが、ある日の舞台終わり、うどんでも食べようと立ち寄った店で「髙嶋さん、ファンなんですよ。でも、髙嶋さん、引退したんですよね?」と声をかけられショックを受けたという。

髙嶋:自分としては、今、すごいバリバリやっているのに、フラッと入ったうどん店で「引退したんですよね」。舞台を観に行く人にとっては「出てる」んですよ。でも行かない人にとっては「出てない」んですよ。何もやってないんですよ。

石橋:引退した役者だって?

髙嶋:そのときにね、父の言葉を思い出したんです。

石橋:お父さんは何と?

髙嶋:「これからの役者はね、バラエティとかもやっていかなきゃダメなんだよね」って。

さらに、事務所の取締役から言われていた「いろいろやっておかないとダメだぞ」という言葉が頭の中でわんわんと響き…。

髙嶋:そこからすぐ取締役に電話して「これからどんなに忙しくても、来た仕事、物理的に無理な場合以外は全部やります!」と(笑)。

石橋:ふはははは!何だよ、アニ!せっかく夢がかなってその素晴らしい舞台の役をやってるのに「これからはいろいろやらせていただきます」なの?

髙嶋:「これからは全部やらなきゃダメだ」で、今に至るんです。

石橋から「そのときの判断は正しかったの?」と問われると、「正しいと思います」ときっぱりと言い切った。

食事は「1人で行きたい」変態グルメ王の生態

食に対して変態レベルのこだわりを持ち、石橋の番組でもそのお眼鏡にかなった「変態グルメ」を紹介してきた髙嶋。食事に行くときも実は「1人で行きたい」と明かす。

『石橋貴明のたいむとんねる』「髙嶋政宏の変態グルメの世界」の記事はこちら!

髙嶋:先輩とかお世話になっている人から食事に誘われるじゃないですか。

石橋:うん。

髙嶋:行くんですよ。行くんですけど、「ワイン良いのあるから飲みましょうか」とか「コースで組みました」とか、「デザートはこれが美味い」とか…。(それらは)自分の食べたい物ではないから、だいたい、翌日とか2日後に、1人で行きます、その店に。

石橋:あはははは。

髙嶋は、1人で誰ともしゃべらずに、うなりながら食事を堪能すると話し、その相変わらずの変態ぶりに石橋も笑顔を見せた。