朝の情報番組『とくダネ!』に、長野智子がコメンテーターとして出演することが決定した。長野は、元フジテレビアナウンサー(85年~90年)で、2000年からはフリーアナウンサーとなり、テレビ朝日の報道番組のメインキャスターとして活躍。このたび、番組を卒業し、10月1日(木)に久しぶりにフジテレビに出演することとなる。
フジテレビュー!!では、そんな長野にインタビュー。古巣からのオファーを受けた思い、番組の印象、「キラキラしていた」という在職時のフジテレビの思い出などについて聞いた。
<長野智子 インタビュー>
――『とくダネ!』のオファーを受けた感想から聞かせてください。
すごくうれしかったです。00年からお世話になったテレビ朝日からの卒業が発表されて、この先どうしようかと思っていたときに、フジテレビの現場にいる若いみなさんに名前を挙げていただいたとうかがって。それは本当にうれしかったです。
でも、私は河田町時代(~97年3月)のフジテレビしか知りませんし、アナウンサーのOB・OG会でお邪魔したことはあっても、お台場に来るのもほとんど初めてで。局に入って、キョロキョロしちゃいました。
――フジテレビ入社が1985年、退社が1990年でしたよね。
私の在職時はフジテレビが絶好調で、全員が地面から5cmくらい浮き上がっているというか(笑)、毎日が学園祭みたいだったんです。しかも、私が出演していた『オレたちひょうきん族』(長野は86年から「ひょうきんベストテン」を担当)は『夜のヒットスタジオ』と同じ曜日に撮影だったので、(明石家)さんまさんや(ビート)たけしさん、そして数多のすばらしい歌手の方の中でもみくちゃになりながらお仕事をさせていただいて。本当に毎日がキラキラしていました。その中には苦労も涙も、いっぱいあったんですけど、楽しい思い出しかない。アナウンス室もすごく楽しかったなぁ。
でも、今日改めて、フジテレビの“キラキラ感”は、私がいた時代と変わらないなと感じました。局に入っただけで「あ、この感じ!」って(笑)。故郷って、何十年ぶりに帰ると、街の景色も変わって、人も年をとっているんだけど、ものすごく懐かしい気持ちになるじゃないですか。そんな感覚でしたね。
――小倉智昭さんとは初共演となります。
小倉さんは、職人みたいなプロの話し手だと本当に尊敬しています。しかも『とくダネ!』はニュースや時事はもちろん、カルチャーや音楽の面でも、小倉さんのセンスがすごく光っていて。どれだけ勉強したら、あれだけの知識量が蓄えられるんでしょうね?私は20年半生放送をやってきましたが、週1回でも大変だと感じていたのに、あの勉強量で連日生放送に臨まれるというのは、すごすぎます!
――ワイドショーのコメンテーターも初めてのチャレンジだそうですね。
コメンテーターとして司会から話を振られる役割は初めてなので、緊張しています。自分の話をするより、小倉さんの話が聞きたくなって、質問してしまいそうですが、(今までMCだったので)自分で司会しないようにしないと(笑)。でも、これまで取材を通して蓄積してきたものを番組で話せるのは楽しみです。
一方で、何かの出来事について私が白黒付けるのではなく、そのものの本質を視聴者に提示して、正解を見つけてもらうスタイルが好みなので、物事についてハッキリとコメントしなければいけないのは、ちょっと心配でもありますね。
――『とくダネ!』は、情報番組ですから、話題の幅もすごく広いですよね。
20年報道番組をやってきたので、ニュースばかりやってきたすごく固いイメージがあると思うんですけど、「ミスDJリクエストパレード」(82年〜83年/文化放送)に出演していたこともありますし、音楽や映画、特に80年代のUKロックがすごく好きなんです。だから、今まで扱えなかったエンタメ系の話題を扱えるのはとてもうれしいです。
ただ、お願いだから有名人のみなさんには不倫しないでほしい。「どう思いますか?」と振られても、どんなコメントをしたらいいのか、わからなんです。トンチンカンなことを言っちゃったらどうしよう…(苦笑)。どうせなら、不倫した人の話をしっかり取材した上で喋りたい、っていう発想になっちゃうんですけど、それじゃダメですかね?
――お話を伺っていると、長野さんご自身がとてもキラキラしていると感じるのですが、秘訣は何ですか?
一番大きいのは、仕事が好きなこと。なにしろニュースが好きで、現場に取材に行くことが私にとって一番うれしくて楽しいことなので、それを続けてこられたのが大きいと思います。
あとは、“叶えられない夢”があることかもしれないです。昔から変わらない夢は、ホワイトハウスでアメリカの大統領にインタビューすること。トランプ大統領のホワイトハウスでの会見には出席したんですが、個別のインタビューはまだ叶えられないままなんですよね。今後『とくダネ!』が叶えてくれるかな…というのは冗談としても、夢を叶えるために、まずは報道の仕事をやりたい、次は報道でメインのMCをやりたい、って少しずつ近付いていく過程が大事だと思うんです。
しかも、「叶えられない」というのがポイント。目標に無我夢中で向かっていって、試行錯誤する時間が、夢を持つことの一番の楽しさですものね。叶ってしまうと、「次どうしよう?」って停滞してしまうじゃないですか。目標に向かって努力し続けている時間が私にとって人生で一番幸せな瞬間で、その状態が続いていることが元気の秘訣だと思っています。
――今後、番組でやってみたいことはありますか?
リオ五輪でオリンピック初出場を果たした「難民選手団」のアスリートたちは、東京オリンピック・パラリンピックを目指して努力を続けています。UNHCR(国民難民高等弁務官事務所)の報道ディレクター(※)として、今年の2月にケニアで練習している選手に会ってきたので、東京で彼らに活躍してほしいという思いが強すぎて。
※東京オリンピック・パラリンピックの難民選手団の来日に際し、UNHCRの難民支援の最前線の現実を、見て、聞いて、伝える役割として昨年6月に就任。
彼らにはふるさとがないし、コロナ禍でどれだけの応援団が来日できるかわからない中で、彼らの活躍を盛り上げてあげることが、目下の私の目標。選手の取材にもまた行きたいですし、ぜひ小倉さんにも難民選手団の応援をお願いしたいです。