10月3日(土)、大阪・枚方市の枚方 蔦屋書店にて、落語家・瀧川鯉斗のトークショーが行われた。
枚方 蔦屋書店では、10月3日(土)~31日(土)まで、「読書月間~大人達へ贈るひと月 文化色とりどりに~」を開催中。今年で4度目の開催となるこのイベントは、多数のトークイベントのほか、「川上未映子の本棚」・「益田ミリの本棚」のBOOKフェアなど、約1ヵ月間さまざまな文化に浸ることができるイベントだ。
今年のトークイベントの第1弾が、「CREATOR‘S SALON VOL.14 落語家・瀧川鯉斗」。鯉斗は、“元暴走族総長”の落語家として『ダウンタウンなう』(フジテレビ)などのテレビやラジオに多数出演し、ファッション誌に登場すれば、既存のモデルに引けをとらないイケメンとしても人気を得ている。
そんな鯉斗が会場に登場した瞬間、書店イベントではなかなか聞くことのない黄色い歓声があがる。そして、自身の過去や経歴の話からトークショーがスタートした。
名古屋市天白区出身の鯉斗。18歳までその地で暮らすが、「(暴走族を卒業して)何をしようかと思った末、役者になりたくて上京したんです。でも、食えないのでアルバイトを探したんですよ」と、上京し、役者を目指す一方で、生活費を稼ぐためにアルバイトを探していたという。
そして、新宿のレストラン「赤レンガ」(現在は閉店)でアルバイトを開始。そこで運命的な出会いを果たす。それが、「赤レンガ」で年に2回催される独演会の高座に上がっていた、瀧川鯉昇だ。
店のオーナーから「役者になりたいなら、落語くらい知っておけ」と言われるまま、鯉昇の独演会を見学した鯉斗。未来の師である鯉昇は「芝浜」を高座に上げ、女役を含めた複数人の登場人物を見事に演じ分け、その姿に魅せられた鯉斗は独演会当日の打ち上げでさっそく弟子入りを申し込んだそう。
その後、通い弟子となり、前座として365日休日のない厳しい日々を4年経験。弟子仕事の基本、着物の扱いから教わる。
いよいよ、人生で初めての芸名をもらうことになった時のこと。2つの芸名候補「鯉斗」「鯉茂(こいも)」が手書きの縦書きで記された、小さな紙片を見た鯉斗は、「鯉鯉?」「斗茂?」と、2つを横に読んでしまったという。当時のことを「日本語が分からなくて…」と、苦笑しながら明かした。
前座時代には、三遊亭小遊三の鞄持ちを経験したことも。大師匠から告げられた、突然の鞄持ちの任命は、地元・名古屋の寄席から始まったという。
また、あまり後輩に稽古を付けないと言われている春風亭小朝から、直接「鷺とり」を教わったこともあるそう。その稀な経験談は、鯉斗の人柄と、人に愛される才能をうかがわせるが、「先輩陣から受けた恩は、将来の弟子へもって返す」と、後輩へと受け継いでいくことを宣言した。
イベントの後半は、「何か聞きたいことはないですか?」という鯉斗の一声から始まった、客席からの質疑応答の時間に。「落語家になった苦しみ、反して、喜びはどういったものでしょうか?」という質問には、「僕らの生きる世界は、社会的ルールというものが存在しない。自分の師匠だけがルールだから、何かをつらいと思ったことはないです」と断言。師匠への絶大な信頼関係が感じられる。
続いて「落語をしていて楽しいことややり甲斐は何ですか?」とシンプルな質問。この問いに鯉斗は「稽古の時はC級の出来でも、高座に上げてお客さんに向き合うと噺が活きてくる。そこに自分の感性を入れてブラッシュアップをしていく…そういうことがすごく好きですね」と、語った。
「落語家になったあとに俳優になりたいと思ったこと、俳優以外の何かになりたいと思ったことはありますか?」の質問には、「いまだに役者になりたいですよ、俺。例えば、大河ドラマのオファーが来たら、喜んで受けます(笑)」と言い、笑いを誘う。
「ただ、根本は落語でね。舞台上で演じるといった点は一緒ですから。演じるいう姿勢を貫けば、役者の仕事も落語と同じクオリティでできるのではないかと思います」と、付け加え、真剣な一面を覗かせた。
さらに、「大阪・繁盛亭の出演は希望されないのでしょうか?」と、大阪の寄席への出演を希望するお客さんから質問が。すると、鯉斗は「普段お世話になっている先輩にお願いすると、出られるかもしれません。関西の寄席も本当に出たいので、明日、先輩に電話をして独演会の予定を聞いてみます(笑)」とノリノリ。
「今、最も得意とする演目は何ですか?」の質問には、「得意は生涯模索中なんですけど…今、力を入れているのは『明烏』という噺ですかね。…それか、『紺屋高尾』」と、明かす場面もあった。
約50分のトークショーの最後は、落語家を志す若者へ、「好きな師匠を見つけて、弟子入りを断られても食らいつくこと。諦めない熱さを示すこと」と、入門方法を指南しつつ、エールを送った。